てやんでい、唐突に関係の無い話をしたいと思います。
玄米のビタミンB1の含有量は、白米の4〜8倍もあるそうです。収穫した稲のお米は黄色い籾殻に包まれていますが、その籾殻を取り除いたものが玄米です。玄米は米糠層に包まれており、それを除去する事を精米といいます。すると真っ白なお米、白米になります。精米すると口当たりが良く(美味しく)、吸収も良くなります。
精白米にもまだ粘着性の強い肌糠というものが残っており、糠臭いご飯にならぬよう、肌糠を除去する為に各自が最後の「米を研ぐ」という作業をするのです。工場の段階で肌糠まで除去したものを無洗米といい「研がずに炊ける」という訳です。
まぁとにかく人類は長い歴史の中で「如何に美味しくお米を食べるか」という事を徹底的に研究してきたんですね。近代以降では、日本人は収穫したお米の食べ方だけでなく、品種改良にも徹底的に取り組みました。現在、日本のブランド米は日本食の中心として、世界の人々をも魅了しています。
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という事なのですが、美味しく食べる為の精米で失われた米糠には、実は大切な栄養素もありました。
現在日本では余り見られなくなった病気に脚気があります。
脚気では、末梢神経障害や心不全が生じ、全身の倦怠感・食思不振・手足の痺れ・浮腫みなどの症状が出ます。
一度患者が出ると、同じ集団にいる人々の間で次々と患者の発生が続くので、脚気は長い間<感染症>だと信じられてきました。陸軍一等軍医であった森林太郎(鴎外)は、比較試験などを駆使して「白米には問題は無い」と脚気伝染病説を強力に主張し、既に玄米への変更の有効性に気づいていた海軍軍医の高木兼寛を痛烈に批判しました。
その結果、と言いましょうか、日本陸軍は日清戦争では4万、日露戦争では25万もの脚気患者を出し、しかも日露戦死者3万7千人中、脚気患者は2万8千人にも上ったとの事です。
西洋では多くの船員の命を奪った壊血病が有名ですが、これはビタミンCの欠乏によるものです。壊血病は点状出血・紫斑から脱力・鬱症状・神経障害を来たし、消化管出血などの末に衰弱死する恐ろしい病気ですが、比較的早期より柑橘系の果物を摂取する事で予防出来る事が判っていました。
船乗りは壊血病と共に脚気も併発する事が多かったのですが、脚気の方は中々原因が特定出来なかったようです。
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さてこのように人々に恐れられていた謎の流行り病=脚気ですが、農芸化学者=鈴木梅太郎博士が、1910年の12月13日、とうとう原因となる栄養素を特定・発表しました。彼は米糠から抽出した成分の欠乏が脚気を引き起こすとして、稲の学名 Olyzasativa より「オリザニン」と命名したと東京化学会例会に発表したのです。ところがその発表は世界的には注目されず、翌年にポーランド出身の Casimir Funk が鳥類白米病に有効な抗脚気因子を提唱、更に1912年に生命 vita に必要なアミン amine、即ち vitamine と命名した事が評価され、1920年以降は「vitamin」の呼称が一般的になってしまいました。…
現在は脚気はビタミンB1不足が原因だと広く認知され、日本では脚気で死亡する人は年間数名止まりです。
という事で明日12月13日は、ビタミンの日です。鈴木博士の出身地、静岡県民が中心となったビタミンの日制定委員会によって、2000年に制定されたものです。ですが、残念ながら世界的な認知度は余り無いようです。。
高木兼寛の出身地=宮崎では、彼を「ビタミンの父」とも呼ぶのだそうです。
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白米は長い間庶民は食べられない食べ物でしたが、江戸時代になって江戸っ子達の口にも入るようになってきました。すると江戸にだけ、足元がおぼつかなくなり、寝込んだ末に亡くなる人が急速に現れだしたのです。地方には見られなかった為、「江戸患い」とも呼ばれたその病は、脚気でした。
その脚気で命を失った人々の中に、来年の大河ドラマの主人公、蔦屋重三郎もいたと言われています。「江戸のメディア王」として出版業界に君臨する事になった男も、脚気という当時は謎の病によって、働き盛りの47歳でこの世を去る事になったのです。