(た)のShorinjiKempo備忘録

※注:本ブログは(た)個人の見解に基づいており、如何なる他の個人・団体の見解を解説・代弁するものはありません。

内押受突

2024年12月19日 | 剛法
備忘録、という事で今まで少林寺拳法(以下SKと略す)について考えてきた事を、自分がボケる前に記しておこうと思うのですが、ブログの説明に書いてある通り、
※注:本ブログは(た)個人の見解に基づいており、如何なる他の個人・団体の見解を解説・代弁するものはありません。
SKの技について考察はするのですが、もし本部の公式見解と矛盾していたら、私の方が間違っていると考えて頂いて差し支えありません。個人の備忘録ですから。。

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内押受突は旧・科目表では3級科目で外押受突に続けて習得した仁王拳の法形(SKの技)です。私が入門した頃に使っていた、旧・科目表より一つ前の科目表には、実は内押受突は載っていませんでした押受系の技法は扱いが流転しておりまして、私の入門時は外押受突のみが1級科目で載っていたものが、旧科目表で外/内共に3級科目になったのです。大昔は内押受突/外押受突共に二段技(!)であった時代もある、と聞き及んでおります。
また押受蹴という法形もありまして、旧・科目表では内/外共に2級技に載っておりましたが、その前では三段科目に(それも非常に奇妙な形で...)載っておりました。しかもこの押受蹴、実は開祖の教範には載っていないまさかの「未認知技」なのです。。(嘘だと思ったら科目表を開けて見てみて下さい。押受蹴の項だけ対応する教範頁が<空欄>ですから!)

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まぁそれはさておき、内押受突は「内受突とまぁほぼ同じ」という事で非常に軽んじられがちな法形です。実際技術的にはそれほど工夫が必要でも無いのですが、理解しておくべき基本事項はあります。当然、内受突(表)との比較区別という形で考えるのが良いでしょう。

まず攻撃は上段振突です。外押受突の基本法形は守者前手の外側から振ってくる振突に対して行ないますが(守者:左前なら攻者の右振突)、内押受突では前手の内側から振ってくる振突です(守者:左前なら攻者の左振突)。
この振突に対して後ろ手で外押受を行なう形も修練すべきだと思いますが、前手で受けるとなると内押受になります。反撃は内受突同様、中段逆突です。
外押受突の項で申し上げた通り、振突は横に薙ぎ払ってくる攻撃なので、屈身して下に逃れないのであれば、受け止めなければなりません。勿論角度処理も行なうのですが、攻者の力強い攻撃を(腕刀で攻者の内手首に打撃を加えるのであれば尚更)まずしっかり受け止めなければなりません。それには肩肘がしっかり入った内押受が必要になります。反撃の中段突には肩腰の返しが必要になりますので、内押受突は必然的に<後の先>になります。
外押受突の項ではまず<後の先>から<対の先>を目指す、というような事を書きましたが、内押受突では<後の先>一択です。ですからその先を目指すとなると、反撃を出させない受けとか、攻者を崩す受け等、より完成した<後の先>を追求する事になります。

外押受でも内押受でも、押受系は必然的に<表>の技でもあります。なのでこの点はなかなかな課題ではあるのです。
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内受蹴

2024年12月17日 | 剛法
備忘録、という事で今まで少林寺拳法(以下SKと略す)について考えてきた事を、自分がボケる前に記しておこうと思うのですが、ブログの説明に書いてある通り、

※注:本ブログは(た)個人の見解に基づいており、如何なる他の個人・団体の見解を解説・代弁するものはありません。

SKの技について考察はするのですが、もし本部の公式見解と矛盾していたら、私の方が間違っていると考えて頂いて差し支えありません。個人の備忘録ですから。。

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内受蹴(裏/表)は旧・科目表では、3級科目の最初に習得する剛法法形で、仁王拳(上段単撃から始まる攻防をまとめた拳系=グループ)の一つでした。

SK剛法の名称は、開祖が判りやすく命名してくださったので、多くが「●受◯」の形式になっています。即ち攻撃に対し「●受け」をして「◯(突きor蹴り)」で反撃する、と一目瞭然なのですが、内受蹴に関しては蹴りの方法が足刀蹴で指定されています。なので外受蹴のように前千鳥入り身に躱して逆蹴り反撃すると、基本法形としての「内受蹴」とは認められません。
足刀蹴は軸足に体重を充分載せて腰を入れて蹴らねければならないので、基本的には順蹴です。なので内受蹴の形は、後屈に逃れて順蹴返しで反撃のみという事になります。

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内受蹴には受ける際の特有の難しさがあるのですが、皆さんが恐らく言われるまで気付いていない事を一点指摘したいと思います。
それは、内受蹴の表/裏は後ろ流水蹴や上受蹴(後)のそれとは布陣が逆になる、という事です。こう言われて「ああそうね」とすぐに意味は飲み込めますか?
例えば攻守対構えで布陣して攻者が上段逆突を突いてきた時、後ろ流水蹴や上受蹴(後)では後屈によける動きが攻者の表側に回る事になり、その上受蹴(後)では上受けは逆突を内側(表側)から弾き上げるので上受蹴(表)という事になります。
ところが内受蹴では対構えからの逆上段突を前手の内受で内側に弾くので、内受蹴(裏)になるのです。
同様に、攻守開き構えで布陣して攻者が上段逆突を突いてきた時、後ろ流水蹴上受蹴(後)では後屈によける動きが攻者の裏側に回る事になり、その上受蹴(後)は上受けは逆突を外側(裏側)から弾き上げて上受蹴(裏)という事になります。
ところが内受蹴では開き構えからの逆上段突を前手の内受で内側に弾くので、内受蹴(表)になるのです。

この事は体捌きと受けが合っていないという事を意味していて、攻撃を内受けで受けつつ足刀蹴の体勢を作る難しさに繋がっています。なので半転身をするよう指導している先生もいるのですが、基本法形としてはハッキリとした運歩はしないのが一般的な指導のようです。実際には殆どの皆さん軸足を少し調整して蹴っています。教範にも「体を横 or少し後ろに躱しながら蹴る」とあります。

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足刀蹴自体が威力はあれど難しい蹴り技ですが、基本科目としては実は5級の後半に記載されており、4級考試でも審査対象になっています。(詰まり4級審査でチェックされてから3級科目の内受蹴を習練するようになっていた訳です)
ところが私が指導している拳法部でも時間の関係上、なかなか足刀蹴まで行けず、法形科目の内受蹴や天地拳第5-6系をやる時点でやっと説明時間を作れる有様になってます(力不足で済みません...)。私が学生の時はネチネチ基本稽古をやるのが皆んな好きでしたので、廻蹴や足刀蹴も少しずつ練度を上げていく事が出来ましたが、昨今は先立つモノ(=練習時間)が無いので、誠に歯痒いばかりです。。

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両手巻抜

2024年12月14日 | 柔法
備忘録、という事で今まで少林寺拳法(以下SKと略す)について考えてきた事を、自分がボケる前に記しておこうと思うのですが、ブログの説明に書いてある通り、

※注:本ブログは(た)個人の見解に基づいており、如何なる他の個人・団体の見解を解説・代弁するものはありません。

SKの技について考察はするのですが、もし本部の公式見解と矛盾していたら、私の方が間違っていると考えて頂いて差し支えありません。個人の備忘録ですから。。

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両手巻抜は、旧•科目表では両手寄抜に続いて3級科目で修得する龍王拳の抜き技です。両手技とは攻者が両手で守者の両手(攻者左手は守者右手を、右手は左手)を掴んでくる場合です。
寄抜では<両手寄抜>なのに、巻抜では<巻抜(両手)>と記載されています。その辺りの名称については片手巻抜の項で述べてますので、お暇な方は読んで下さい。。

片手巻抜に関しては、攻者が「寄抜をさせまいとして外に振ってきた時」と指導された筈ですが、教範には「寄抜の時と同様に握ってきた場合」というようにしか書かれておらず、科目表でも「外手首・順」との記載のみです(cf.片手寄抜では攻撃は「外手首・順引く」)。
両手巻抜に於いても同様に攻撃は「外手首・順」の記載ですが(cf.両手寄抜では「外手首・順引く」)、片手技と同じく攻者が寄抜を封じてきたのに対する変化として修練するのが一般的で、それが私は基本法形だと考えます。

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両手技の修練では「一つ目は巻抜で、二つ目は寄抜♪」と気軽に考えがちですが、両手技や諸手技は、ただ片手技と同じ事をやれば良い訳ではなく、特有の制限・制約に対しての工夫が必要になります。
両手寄抜の場合にもあり、反撃の段突(目打-中段)について考察する場合でもそこ(両手特有の制約)を抜きには出来ないのですが、両手巻抜の場合でも「両手を掴まれている中で<巻抜>を行なうという意味」を考えなければなりません。
そこを考える事で、龍王拳の基本原則である「回転の中心は動かさない」という事への理解が深まるのだと私は思っています。
もう少し砕いて表現すると、奥手の巻抜をする際には、(回転の中心を固定する為に)前手にも工夫が要る、という事です。そうでないと巻抜が詰まってしまうのです。

ところが実際にはその工夫をしないで抜いている拳士が沢山います。理由は「回転の中心を固定」していないからです。肘を固定して前腕を回して抜いている拳士が沢山います。いるという事は出来ているのからそうしているのであって「抜けているのだからいいでしょう?」という事にもなります。
しかし私は片手巻抜の項でも申しました通り、巻抜の基本は小手抜の応用だと思ってますので、攻者が外へ押し込んできた作り(握り)の部分を、出来るだけ振り回さないで抜く方法をまず会得したいと思います。教範にある通り、開祖が肘を出して抜く方法を基本としていたのは間違いありません。なので作りを振り回して抜くのは応用です。
新井元会長の再現性のある巻抜(片手/両手)は見事だと思います。

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さて基本の両手巻抜では上述の通り奥手を巻抜いて前手を寄抜く事が多いと思いますが、攻者が守者の体勢を崩そうとして外に振るのであれば、両手を掴んだ際に前手を外に振る事だってあり得る筈です。
私は最初先輩から習った時に、奥手からの巻抜を一通りやったら「じゃ次は前でやってみな」と言われました。その時は前足を外に蟹足して左右逆の鉤手守法になります。柔法では攻者の攻撃に対して柔軟に対応する運歩が望まれますので「左右どちらを振られるか分からない両手巻抜」の修練も、是非試してみて下さい。

【宗門の行としての少林寺拳法】龍王拳 巻抜(両手) 金剛禅総本山少林寺 公式YouTubeチャンネルより
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日本ビタミンの日

2024年12月12日 | その他
てやんでい、唐突に関係の無い話をしたいと思います。

玄米のビタミンB1の含有量は、白米の4〜8倍もあるそうです。収穫した稲のお米は黄色い籾殻に包まれていますが、その籾殻を取り除いたものが玄米です。玄米は米糠層に包まれており、それを除去する事を精米といいます。すると真っ白なお米、白米になります。精米すると口当たりが良く(美味しく)、吸収も良くなります。

精白米にもまだ粘着性の強い肌糠というものが残っており、糠臭いご飯にならぬよう、肌糠を除去する為に各自が最後の「米を研ぐ」という作業をするのです。工場の段階で肌糠まで除去したものを無洗米といい「研がずに炊ける」という訳です。

まぁとにかく人類は長い歴史の中で「如何に美味しくお米を食べるか」という事を徹底的に研究してきたんですね。近代以降では、日本人は収穫したお米の食べ方だけでなく、品種改良にも徹底的に取り組みました。現在、日本のブランド米は日本食の中心として、世界の人々をも魅了しています。

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という事なのですが、美味しく食べる為の精米で失われた米糠には、実は大切な栄養素もありました。

現在日本では余り見られなくなった病気に脚気があります。
脚気では、末梢神経障害や心不全が生じ、全身の倦怠感・食思不振・手足の痺れ・浮腫みなどの症状が出ます。
一度患者が出ると、同じ集団にいる人々の間で次々と患者の発生が続くので、脚気は長い間<感染症>だと信じられてきました。陸軍一等軍医であった森林太郎(鴎外)は、比較試験などを駆使して「白米には問題は無い」と脚気伝染病説を強力に主張し、既に玄米への変更の有効性に気づいていた海軍軍医の高木兼寛を痛烈に批判しました。
その結果、と言いましょうか、日本陸軍は日清戦争では4万、日露戦争では25万もの脚気患者を出し、しかも日露戦死者3万7千人中、脚気患者は2万8千人にも上ったとの事です。

西洋では多くの船員の命を奪った壊血病が有名ですが、これはビタミンCの欠乏によるものです。壊血病は点状出血・紫斑から脱力・鬱症状・神経障害を来たし、消化管出血などの末に衰弱死する恐ろしい病気ですが、比較的早期より柑橘系の果物を摂取する事で予防出来る事が判っていました。
船乗りは壊血病と共に脚気も併発する事が多かったのですが、脚気の方は中々原因が特定出来なかったようです。

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さてこのように人々に恐れられていた謎の流行り病=脚気ですが、農芸化学者=鈴木梅太郎博士が、1910年の12月13日、とうとう原因となる栄養素を特定・発表しました。彼は米糠から抽出した成分の欠乏が脚気を引き起こすとして、稲の学名 Olyzasativa より「オリザニン」と命名したと東京化学会例会に発表したのです。ところがその発表は世界的には注目されず、翌年にポーランド出身の Casimir Funk が鳥類白米病に有効な抗脚気因子を提唱、更に1912年に生命 vita に必要なアミン amine、即ち vitamine と命名した事が評価され、1920年以降は「vitamin」の呼称が一般的になってしまいました。…
現在は脚気はビタミンB1不足が原因だと広く認知され、日本では脚気で死亡する人は年間数名止まりです。

という事で明日12月13日は、ビタミンの日です。鈴木博士の出身地、静岡県民が中心となったビタミンの日制定委員会によって、2000年に制定されたものです。ですが、残念ながら世界的な認知度は余り無いようです。。

高木兼寛の出身地=宮崎では、彼を「ビタミンの父」とも呼ぶのだそうです。

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白米は長い間庶民は食べられない食べ物でしたが、江戸時代になって江戸っ子達の口にも入るようになってきました。すると江戸にだけ、足元がおぼつかなくなり、寝込んだ末に亡くなる人が急速に現れだしたのです。地方には見られなかった為、「江戸患い」とも呼ばれたその病は、脚気でした。
その脚気で命を失った人々の中に、来年の大河ドラマの主人公、蔦屋重三郎もいたと言われています。「江戸のメディア王」として出版業界に君臨する事になった男も、脚気という当時は謎の病によって、働き盛りの47歳でこの世を去る事になったのです。

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両手寄抜

2024年12月11日 | 柔法

両手寄抜は、旧•科目表では3級科目で修得する龍王拳の抜き技で、初の両手技です。両手技とは攻者が両手で守者の両手(攻者左手は守者右手を、右手は左手)を掴んでくる場合です。

両手技は基本法形としては対構えから始めますが、開き構えからと勘違いしているひともたまに居ます。これは片手技で守者が足を差替えて鉤手守法に入るのが、身体に染みついてしまっているからなのかなとも思いますが、開き構えから取りに行くのは攻者が不利になってしまいますので、基本的にはやらないと考えます。

勿論、実際にはそういう事もあり得るかも知れないので、開き構えからの取り方を攻者側が研究する事自体は良いと思います。

組演武で見せる場合などでは、攻者が開き構えから、差替え足を踏込みながら一回目は取りに行き、「取らせない!」で払われてその儘対構えになる、という構成なら良いのではないかと思います。

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両手寄抜で一番注意すべき点は、最初の抜きからの当身反撃は、目打-中段逆突の段突である、という点です。ここは「何故段突なのか」「何故最初の当身が目打なのか」「何故<両手>寄抜ではそのような反撃をするのか」という事を考えなければなりません。
これらについては開祖や本部からの公式見解は出ておりませんので(ご存命中の講習会では説明されているのかも知れませんが...)、諸先生方にもそれぞれの回答があろうかと思います。きっとそれぞれ理由付けをなされていると思いますが、指導の現場で余り積極的な理由付けを聞いた事はありません(恐らく先生方も各自の解釈を尊重されているのだろうと推測します)。

ただここで「時より見かける恐らくは間違いであろうと思われるやり方」がありますので、指摘させていただきます。
それは奥手からの最初の抜きの後、腰を入れた目打を入れ、その儘後腰が返った状態で手突きの中段突を入れる、というものです。以前は特に少年部でこのような演武を非常によく見掛けました。詰まり一生懸命頑張る子供ほど、最初の目打から思い切りやってしまい、その後にオマケとして「段突と言われたから段突」として手だけの動きで中段を突いているのです。これでは全く意味がありません。
ですからここではまず、(1).体勢はほとんど動かさずに手首-肘-肩のしなりだけで目打ちを放ち、(2).満を持して腰が入った中段逆突を突き込む、というのが正解です。
ではどうしてまず目打ちを入れるのか(そして段突するのか)。勿論私には自分なりの理由付けがありますが、まずは皆さんもご自分で考えていただくのが良いと思います。

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もう一つ、指導者として両手寄抜で留意している事は、二つ目の抜きの抜き方です。
①最初の抜き-反撃(中段突)の時点で、守者の後ろ腰は返った(入った)状態になっています。基本法形としては、この時に攻者は中段逆突を受けて後ろに一歩開き退がって逃れます。そこで守者は腰が返った勢いの儘一歩差し替えて、追い込む形で二つ目の抜きから当身を行ないます。この当身は旧来は両手寄抜では上段直突(正拳)とされていましたが、最近では直突 or熊手突のどちらでも良い事になっています。
この場合、足を差し替えて最初の前手は後ろ手になってますから、二つ目の寄抜は片手寄抜とほぼ同じ処理をする、という事になります。
(☝︎ここでは中段突を入れた後、その勢いで差替え足と述べましたが、攻守の体の入れ替えがデフォルト化してきますと、中段突自体が差替え順突に(俗にいうナンバの突き)なってくる場合も多いようです。まぁ「ナンバの動きでドーンと突き込むから攻者が開き退がるんだ」「それによって反対の手も寄り抜きが出来るんだ」という説明もアリかな、とは思います)

②ただ教範の記述もそうなのですが、開祖の頃には攻者が大きく開き退がって逃れる事をせずに、従って守者も後ろ足を差し替える事なく、二つ目の抜きの後は順上段(直)突で反撃、というやり方も指導されていたようです。
私が学生で習った時も、まず「こうやるところが多いな」とまず①法を習い、「でも本当はこうやって一気にやるんだ」と②法を習ったように記憶しています。
どうしても①法は、足の差し替え時にダンスの様なリズムになりがちで、子供には良いと思いますが、一般部では段階的に②法を目指した方が良いのだと思います。

そうすると「前手での鉤手守法とは」「前手での寄抜とは」「片手寄抜では抜いたら熊手突だったのに、何故開祖は両手寄抜では2本目は正拳突と指定されたのか」など検討項目が出てきます。勿論私には自分なりの理由付けがありますが、これらについても、まずは皆さんもご自分で考えてみては如何でしょうか。

【宗門の行としての少林寺拳法】龍王拳 両手寄抜 金剛禅総本山少林寺 公式YouTubeチャンネルより

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