緑の指は永遠の憧れ

亡きお姑様から畑を引継ぎ、この春から右往左往しつつ作業開始。
覚え書きを兼ねアタフタぶりを記していきます。

蔵の中

2017-06-21 16:13:17 | 何ということもないこと
こないだテレビで、芸能人の方の怖い体験みたいなのをやっていたので
自分も何かあるかな〜と、つらつら思い返してみると
特にぞぞっとする話もなく
姉が嫁ぎ先で、ちょこっとばかし霊感に
目覚めたようだなぁくらい。

その話を聞いても、話す方も聞く方も
いまいち『ヒェ〜』とはならず
へ〜そ〜なんだ〜くらいのテンション。

実家とか結構古い家だから
怖がろうと思えば怖がれそうなんだけど。



・・・と思いましたら

一つ思い出しましたよ。


我が実家には、私が記憶していないくらい昔
古いトタン葺きの物置のような別棟がありまして
そんな外観ながら『蔵』と呼ばれておりました。

中には古い農機具とか味噌とかが
雑多にしまってありました。

電気とかも引かれてなくて、
自然光が入らないと真っ暗で
壁に打ち付けられたトタンの隙間から
日光が漏れ入っていた気がします。
外観も黒っぽく塗られていたような。。。

まあ、そんなのはどうでもいいんですがね。

それを、私が幼稚園の頃、白と黒のすっきりとした2階建ての
別棟に建て替えたんですがね。
やはり『蔵』と呼んでおりました。

母屋の南側を貫いて長い廊下があって
そのどん詰まりに、ギギギ〜ときしむ扉。
その先、ひんやりとしたコンクリートの3段ほどの階段を降りて
また扉を開いて、その別棟に行くのです。

扉を開けると、正面が物置。
長持ちやら古いタンスやらがありました。
左に洋間。
右に階段があって2階に2間。
その頃は、蔵自体が祖父専用で、
主に趣味の昭和史や日本各地の民俗学的な写真集や
親類縁者のアルバムなどが並んでいました。

あまり祖父自身も行くことはなく
いつもひんやりしていました。

ただ、夏になると
その2階でよく宿題をやっていました。
涼しかったですから。

宿題や祖父の蔵書を眺めるのに飽きると
物置にちょくちょく行きました。
当時は、そこにジュースがケース買いしてあって
リボンシトロンだの三ツ矢サイダーだのスプライトだのが
いつも2、3ケース置いてあったのです。
ひんやりとした蔵に置いてあると
それほどぬるくもならず、
我々子供たちも、喉が渇いたと思うと
自由にとってきて飲んでいました。

その日もお日様はカンカンと照り
喉が渇いた私は、長い廊下を通り三ツ矢サイダーを取りに行きました。

黄色いケースの、ところどころが抜き取られた
透明に青っぽく光るビンたち。
薄暗い物置にどこからか日光が差していました。

記憶に残るのはやけに鮮やかなビンの輝き。
そして、ビンを取ろうと手を伸ばした瞬間に
ゆらりと動いた青黒いもの。


その次の瞬間、
私は指の先数センチに鎌首をもたげた
青大将と束の間見つめ合いました。

頭が真っ白になって、しばらく固まった後
ぎえ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!と叫んで
廊下をどドドドド!!と駆け抜け
驚いている家族たちに
『へ、へ、へび・・!!へび〜〜〜!!!』と告げたのでした。

その時家にいたのは女性陣のみ。

『へびなんか触らんにおら〜』
『やんだおら〜』
『早くしねど、どっか行っちまうべした』

母も祖母もオタオタしておりました。

そこに呼ばれてきた親戚のおじさん。

な〜に、へび〜?

薄笑いで蔵に行ったと思ったら
尻尾をつかんでぶら下げて戻ってきて
そのまま外に出て家の前で
しばらくへびをグルグル振り回し
隣の畑に放り投げました。

いつも冠婚葬祭の席などで酔っ払って踊り出すおじさんを
正直、あまり尊敬しておりませんでしたが
その時ばかりは「ありがたやありがたや」と
拝むような心持ちでしたっけ。


・・・という

子ども心に刻まれた恐怖体験でした。

あの、
まるで天地創造の絵のように指を差し出したままで
青大将と見つめあった数秒は
やけに美しい光を伴って
忘れられない思い出です。

ちゃんちゃん♪