というか若者の感覚がイマイチ理解できません
・電車でいきなり座る
いや、座席が空いているから座ってもいいんだけど。
明らかに同じ集団で乗り込んで来て、
回りの年長者が立っているのに
イの一番に座席に座る若者は何を考えているのだろう…
つか、普通に座って立ってる上司と会話っすか。
腰が悪いとかなのかな。
別にボクの知った事では無いし、個人の事情なんて
知りたくも無いんだけど、自分の後輩が同じ行為をしたら
優しく「早く死ぬ順に座らせてやんな」って諭すと
思うんだけど…。
いや、若者風に見えるだけで実は年長者なのか?
・重い荷物を運ばない
先輩が重い荷物を片付けているのにピクリとも動かない若者。
いいのか?いや確かに直の先輩ではないけど少なくとも
同じ部署で自分より年上の人が荷物運んでたら
声くらいはかけるだろう…。
まぁ、上の人が手伝えって言わない限り
手伝えない、もしくは手伝う必要が無いと
判断したのかもしれませんが、
そういう態度は可愛く無いと思います。
というかそういう態度で過ごしていると
キミに後輩が出来て偉そうな態度とったら
激しく突っ込まれるよ…
そういう人に限って偉そうな先輩になるんだけどさ。
若者に限らず人が苦労してるのを見て無ヌフリと言うか
平気で自分の仕事だけをする人は好かん。
次からはその人を手伝うまいとココロに誓っちゃいます。
結局は手伝っちゃうんだろうけど < 弱っ
・座席にモノを置く
空いてる時はいいんだけど、座席にモノを乗せて
目の前に人を立たせて平気なコドモは、親がどういう
教育をしたのか心配になります。
自分の子供もそんな風になる可能性があると思うと
悲しくなっちゃいます。
まぁ、オッサンとかでカバンとかスーツとかで
人を座らせない馬鹿モノもいますからね。
明らかに仕事人である場合は、あからさまに
社章を眺めてみたりしますが効果があったためし無し。
多分、仕事してなさそうな格好なのが問題かと。
スーツ着てれば仕事できると思うなよっ < 誰へのツッコミだ
・二人がけの椅子の中央に座る
荷物を載せていなくても、中央に座られると
あえてズレて下さいとも言いにくいのですよね。
あと、微妙なのが三人がけの中央に座る行為ですね。
一見何の問題も無いのですが、三人席が空いているのに
中央で大股開きとか、荷物を横に出し気味とかで
座られると、とっても座りにくいです。
というか大抵の場合は座るなオーラ出まくってますよね。
自分に座る気がなくても、迷惑だろうなと気になってしまいます。
・股間を強調して座る
なんであんなに股を開いて座りますかね。
これはオッサンにも非常に多いので、
子供に「足を揃えて座るなんてみっともない」みたいな
教育がなされている可能性も否定できませんが。
あと、股間を強調してフェロモン撒き散らしているとかね。
・優先座席に座る
あくまで優先なんで、優先されるべき人がいなければ
座ってもいいと思うのですが、優先座席に座った人が
優先されるべき人に席を譲るのを見たこと無いです。
本人が外見では判断で気無い何らかの疾患で
優先されるべき立場であるかもしれないので、
突っ込めませんが、いっその事優先座席ではなく
専用座席にして欲しいです。
上にあげた行為を行う人は、他人が同じ事をしても
気にならないんでしょうかね?
それともやっぱし気になるんですかね?
でも若者だけじゃなくて大人も同じ行為をしているんですよね。
なんというか、奥ゆかしさというか譲り合いというか
そういうボランティア精神とまではいかなくても、
権利を主張するよりも、皆の事を考えるのが普通であった時代は
いつの間に終わってしまったのでしょうね。
かくいう自分も権利を主張する風潮は嫌いでは無いというか
権利と義務の感覚をバランス良く持つのは、仕事をする上で
必須の能力だという事は判っているのですが、ちょっと
自分の権利を主張しすぎている人が目立ってきた気がします。
エライエライと褒める事が正しいと、極端な手放し褒めって
権利は主張すべきという思想と根は同じだと思うのですが
それが、現代日本社会における行き過ぎた権利主義を
蔓延させた原因なのではないか勘ぐってしまいます。
日本の封建的教育の根っ子には、自分が出来ない事を知る
出来ない人がいる事を知る、という周りと自分の差を知る
という部分に重きを置かれていた気がします。
学校も勉強もキライだったし、旧式の教育の悪い部分を
述べ始めると止まらない気はしますが、やはり失っては
いけない部分も大きかったと思うのですよ。
欧米に倣い、権利を主張し、個性を伸ばすことで
日本人の美しい部分を失った気がしてなりません。
権利の主張も、個性を伸ばす事も、単体ではとっても
正しい行為なハズなのに…
話を大きくしすぎましたね。
まぁ、オジサンの怒りが、ワカモノに伝わらないのは
当たり前な気がしてきました。
若者ではなく、きっと社会に対して憤るべきなのですね。
怖いしメンドクサイから、Blogにちょっぴり書いて
気が済んでますが。
大幅に脱線しちゃいましたが、結局ボクが
「ちょっとな…」と思う行為は、
あくまでワタクシ個人のココロの中の線引きでしか無いのですよ。
今そこにはいない誰かに対する気遣いって
難しいんですかね。目の前にしていても
気にならないくらいだから、想像も出来ないのかな…
誰かに対する思いやりが社会生活の中で
一番重い比重を持っていたのは
どれくらい遠い昔の事なんでしょうか。
少なくとも自分が学生だった頃は
思いやりを持たない事は恥ずべきこと
だった気がするのですが…
結局、他人の気持ち判らないと感じてしまうのは
時代や社会の流れを掴めていないという部分が
大きいのかもしれませんね。
せめて奥様とくらいは「これは迷惑だろう」という
行為に関する感覚を共有していきたいモノです。
人に優しくいきましょう
・電車でいきなり座る
いや、座席が空いているから座ってもいいんだけど。
明らかに同じ集団で乗り込んで来て、
回りの年長者が立っているのに
イの一番に座席に座る若者は何を考えているのだろう…
つか、普通に座って立ってる上司と会話っすか。
腰が悪いとかなのかな。
別にボクの知った事では無いし、個人の事情なんて
知りたくも無いんだけど、自分の後輩が同じ行為をしたら
優しく「早く死ぬ順に座らせてやんな」って諭すと
思うんだけど…。
いや、若者風に見えるだけで実は年長者なのか?
・重い荷物を運ばない
先輩が重い荷物を片付けているのにピクリとも動かない若者。
いいのか?いや確かに直の先輩ではないけど少なくとも
同じ部署で自分より年上の人が荷物運んでたら
声くらいはかけるだろう…。
まぁ、上の人が手伝えって言わない限り
手伝えない、もしくは手伝う必要が無いと
判断したのかもしれませんが、
そういう態度は可愛く無いと思います。
というかそういう態度で過ごしていると
キミに後輩が出来て偉そうな態度とったら
激しく突っ込まれるよ…
そういう人に限って偉そうな先輩になるんだけどさ。
若者に限らず人が苦労してるのを見て無ヌフリと言うか
平気で自分の仕事だけをする人は好かん。
次からはその人を手伝うまいとココロに誓っちゃいます。
結局は手伝っちゃうんだろうけど < 弱っ
・座席にモノを置く
空いてる時はいいんだけど、座席にモノを乗せて
目の前に人を立たせて平気なコドモは、親がどういう
教育をしたのか心配になります。
自分の子供もそんな風になる可能性があると思うと
悲しくなっちゃいます。
まぁ、オッサンとかでカバンとかスーツとかで
人を座らせない馬鹿モノもいますからね。
明らかに仕事人である場合は、あからさまに
社章を眺めてみたりしますが効果があったためし無し。
多分、仕事してなさそうな格好なのが問題かと。
スーツ着てれば仕事できると思うなよっ < 誰へのツッコミだ
・二人がけの椅子の中央に座る
荷物を載せていなくても、中央に座られると
あえてズレて下さいとも言いにくいのですよね。
あと、微妙なのが三人がけの中央に座る行為ですね。
一見何の問題も無いのですが、三人席が空いているのに
中央で大股開きとか、荷物を横に出し気味とかで
座られると、とっても座りにくいです。
というか大抵の場合は座るなオーラ出まくってますよね。
自分に座る気がなくても、迷惑だろうなと気になってしまいます。
・股間を強調して座る
なんであんなに股を開いて座りますかね。
これはオッサンにも非常に多いので、
子供に「足を揃えて座るなんてみっともない」みたいな
教育がなされている可能性も否定できませんが。
あと、股間を強調してフェロモン撒き散らしているとかね。
・優先座席に座る
あくまで優先なんで、優先されるべき人がいなければ
座ってもいいと思うのですが、優先座席に座った人が
優先されるべき人に席を譲るのを見たこと無いです。
本人が外見では判断で気無い何らかの疾患で
優先されるべき立場であるかもしれないので、
突っ込めませんが、いっその事優先座席ではなく
専用座席にして欲しいです。
上にあげた行為を行う人は、他人が同じ事をしても
気にならないんでしょうかね?
それともやっぱし気になるんですかね?
でも若者だけじゃなくて大人も同じ行為をしているんですよね。
なんというか、奥ゆかしさというか譲り合いというか
そういうボランティア精神とまではいかなくても、
権利を主張するよりも、皆の事を考えるのが普通であった時代は
いつの間に終わってしまったのでしょうね。
かくいう自分も権利を主張する風潮は嫌いでは無いというか
権利と義務の感覚をバランス良く持つのは、仕事をする上で
必須の能力だという事は判っているのですが、ちょっと
自分の権利を主張しすぎている人が目立ってきた気がします。
エライエライと褒める事が正しいと、極端な手放し褒めって
権利は主張すべきという思想と根は同じだと思うのですが
それが、現代日本社会における行き過ぎた権利主義を
蔓延させた原因なのではないか勘ぐってしまいます。
日本の封建的教育の根っ子には、自分が出来ない事を知る
出来ない人がいる事を知る、という周りと自分の差を知る
という部分に重きを置かれていた気がします。
学校も勉強もキライだったし、旧式の教育の悪い部分を
述べ始めると止まらない気はしますが、やはり失っては
いけない部分も大きかったと思うのですよ。
欧米に倣い、権利を主張し、個性を伸ばすことで
日本人の美しい部分を失った気がしてなりません。
権利の主張も、個性を伸ばす事も、単体ではとっても
正しい行為なハズなのに…
話を大きくしすぎましたね。
まぁ、オジサンの怒りが、ワカモノに伝わらないのは
当たり前な気がしてきました。
若者ではなく、きっと社会に対して憤るべきなのですね。
怖いしメンドクサイから、Blogにちょっぴり書いて
気が済んでますが。
大幅に脱線しちゃいましたが、結局ボクが
「ちょっとな…」と思う行為は、
あくまでワタクシ個人のココロの中の線引きでしか無いのですよ。
今そこにはいない誰かに対する気遣いって
難しいんですかね。目の前にしていても
気にならないくらいだから、想像も出来ないのかな…
誰かに対する思いやりが社会生活の中で
一番重い比重を持っていたのは
どれくらい遠い昔の事なんでしょうか。
少なくとも自分が学生だった頃は
思いやりを持たない事は恥ずべきこと
だった気がするのですが…
結局、他人の気持ち判らないと感じてしまうのは
時代や社会の流れを掴めていないという部分が
大きいのかもしれませんね。
せめて奥様とくらいは「これは迷惑だろう」という
行為に関する感覚を共有していきたいモノです。
人に優しくいきましょう
