今、PCの前に座って、これを書いている。
これらの行為は、両方私自身の行為である。
だが、私の粘土をいじる行為は、これから出来上がるであろう陶器のための、ひとつのプロセスであり、未完結の行為と言える。
それに対し、PCの前で、ブログを書いている行為は、事を整理する目的を持つ、完結を前提にした行為と言える。
そして、粘土をいじっている時に、ブログに書く事について整理してみるなどと言うことには、及びもせず、ブログに書いている時には、粘土の感触を忘れている。
これは、当たり前のことと言ってしまえばそれまでだが、当たり前、と言っていいのだろうかと思えるほど、今、不思議な感覚なのだ。
粘土いじりは、これから陶器を作るための過程、つまり、現在から未来。
PCは、記憶を書きしるすこと、つまり、過去から現在のこと。
時間が行ったり来たりしているような感覚になる。
この不思議な感覚は、数日来、人間とは、まあ、なんと、といろいろな意味で思っているからかもしれない。
これから、晩飯も食う予定だし、風呂にもはいる。でも、それさえ不思議に思えてくる。
さあ、これから、なぜ晩飯を食うのかを考えながら、晩飯でも食うか。
[啼かせてみよう 本歌鳥のコーナー]
「行きつ戻りつ迷い道 いつのまにかの帰り道」
人は、経験したことなどを、前頭葉の引き出しに記憶し、考え、その引き出しを開けて、行動に移すそうだ。
また、習慣的なことは、なにやら頭の内奥の脊髄のてっぺんあたりにある何とかという所に、記憶されるそうだ。
つまり、仕事場へ行く道順や、実家の住所や、子供のころの記憶は、脊髄のてっぺんに、蓄積されていて、忘れないそうである。
また、前頭葉、後頭部、脳天などの、若いとき覚えた言葉を、忘れないでいるのも、脊髄のてっぺんあたりにある部分で、記憶しているからであるそうだ。
それなのに、脊髄のてっぺんあたりにある脳の部分の名前が、思い出せない。前頭葉に入れておいたのに・・・・・・・・。
[啼かせてみよう 本歌鳥のコーナー]
「我がのうみそ ひねもすのたりのたりかな」
駅のトイレです。
詳しく言うと、場所は、構内の少しはずれにあるトイレ。
時間は、8時すこし回ったところ。
な、なんと、個室に入るのに、10人位ならんでる。
え、えー、これでは、確実に、15分以上は待つ。
これが、ほぼ毎日?のようです。
世の男性の方々、家でできない事情があるんでしょうねー。
きっと。
ちなみに、私は、ここでいつも小の方をすませます。
おなかが痛くなって、もよおしてきて、やっとトイレにかけこんだらこのありさまでは、到底我慢できません。我慢できないと大変なことになります。想像してみてください。
世の男性は、できるだけ、会社に行って用をたしましょう。
世の奥様は、できるだけ、旦那が家を出る前に、トイレにいかせてあげましょう。
[啼かせてみよう 本歌鳥のコーナー]
「賞味切れのカキ食えば、三途の厠を行きつ戻りつ」