1. 人は自分を大きく見せてはならないし、崇めてもいけない。人は神を崇め、賛美するべきである。
2. あなたは神の働きのためになることは何でもするべきであり、神の働きに有害なことはしてはならない。あなたは神の名、神の証し、神の働きを守るべきである。
3. 金銭、物質、神の家のすべての財産は、人が提供すべき捧げものである。これらの捧げものを享受するのは祭司と神だけである。人からの捧げものは神が享受するためのものであり、神はこれらの捧げものを祭司と分かち合うだけで、ほかの誰も、捧げもののいかなる部分であれ、享受する資格はないからである。人からの捧げものはすべて(金銭や物質的に享受できるものを含め)神に捧げられ、人には与えられない。そこで、これらのものを人は享受すべきではない。人が捧げものを享受するとしたら、その人は捧げものを盗んでいるのである。このようなことをする人は誰でもユダである。ユダは裏切り者であることに加えて、金袋に入っているものも勝手に使ったからである。
4. 人の性質は堕落している。その上、人はさまざまな感情を持っている。そこで神に仕える時、男女が二人一緒に働くことは絶対に禁止されている。一緒に働いていることが見つかった者は誰でも除名され、例外はない―誰も免除されない。
5. あなたは神を批判してはならないし、不用意に神に関連する事柄について話し合ってはならない。あなたは人がすべきことをし、話すべきことを話し、自分の限度を越えてはならないし、自分の境界を逸脱してはならない。口を慎み、自分の歩みに気をつけなさい。このすべてを守れば、あなたが神の性質を犯すことを防げるだろう。
6. あなたは、人が行うべきことを行い、自分の責務を実行し、責任を果たし、本分を守るべきである。あなたは神を信じているので、神の働きに貢献するべきである。そうしなければ、あなたは神の言葉を飲食する資格がなく、神の家で暮らす資格もない。
7. 教会の仕事や事柄に関し、あなたは神に従うことは別として、すべてのことで聖霊に用いられている人の指示に従うべきである。ほんのわずかな違反も受け入れられない。あなたは無条件に順守しなければならないし、正しいか間違っているか分析してはいけない。何が正しいか、間違っているかはあなたに関係ない。あなたは全面的に服従することだけに関心を持たなければならない。
8. 神を信じる人々は神に従い、神を礼拝すべきである。どんな人物に対しても、あなたは崇めたり、仰ぎ見たりするべきではない。神を第1位と位置付け、仰ぎ見る人々を第2位とし、自分自身を第3位と位置付けることは、すべきではない。誰もあなたの心の中に場所を占めるべきではないし、あなたは人々を―とりわけあなたが崇拝する人々を―神と劣らないもの、神と同等なものと考えてはならない。これは神にとって耐えられないことである。
9.あなたは教会の仕事を中心として考えるべきで、自分の肉体の見通しは脇にどけておき、家族の問題については決然とし、心から神の働きに専心し、神の働きを第1にし、自分自身の生活は第2にするべきである。これが聖徒の礼儀正しさである。
10. 信仰のない家族(あなたの子供たち、夫または妻、姉妹または両親など)を無理に教会に行かせるべきではない。神の家はメンバーに不足はないし、役に立たない人々で数を作り出す必要もない。喜んで信じる人々でなければすべて教会に導きいれてはならない。この命令はすべての人々に向けられる。この件に関し、あなたたちはお互いにチェックし、観察し、気付かせるべきである。だれでもそれを犯してはいけない。信仰のない家族が嫌々教会に入る時でさえ、彼らに本を与えたり、新しい名前を与えたりしてはならない。そのような人々は神の家には属しておらず、必要ないかなる手段を用いても彼らが教会に入ることは止めなければならない。悪魔が侵入したために教会に問題が持ち込まれたら、あなた自身が除名されるか、またはいくつかの制約が課せられるだろう。要するに、誰もがこの件に関して責任があり、あなたは自分勝手なことをしてはならないし、個人的恨みを晴らすために使ってはならない。
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