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全能神―主イエスの再臨

全能神の発表「成功するかどうかはその人の歩む道にかかっている」抜粋 1

2018-02-06 14:43:44 | 全能神の発表

全能神の発表「成功するかどうかはその人の歩む道にかかっている」抜粋 1

 多くの人は、自分がいずれ辿りつく終着点のため、あるいは一時的に楽しみにあずかるために神を信じている。神による取り扱いを経験したことのない者にとって、神を信じることは、天国に行くためであり、また見返りを得るためなのであって、完全にされるためでも、被造物としての本分を尽くすためでもない。つまり、ほとんどの人は、その責任を果たしたり義務を完了したりするために神を信じているのではないのである。実際、意味ある人生を送るために神を信じている人はほんのわずかで、「人は生きている以上、神を愛すべきである。なぜなら、そうすることがごく当然で正しいことであり、またそれが人の天職である」と信じる人もめったにない。このように、人はそれぞれ追い求める目標が違うが、その追求の目的と裏に在る動機はどれも似通っており、しかも、それらの人々は崇拝の対象が大体同じなのである。過去数千年に渡り、多くの信徒が死に、そして多くの信徒が死んで甦った。神を追い求めているのは一人二人というものではなく、いや数千人の単位でさえ足りないが、そのような人々のほとんどは、個人の繁栄や未来の輝かしい希望のために神を求めているのであり、キリストに身を捧げている者はごく少数である。実際、熱心な信徒でさえ、そのほとんどが自らの罠に陥って死に至っており、成功を収めた者の数はさらにほんのわずかである。そして、今日に至るまで、人が失敗してきた原因、あるいは成功できた秘訣は知られていない。キリストを熱心に追い求める人たちでさえ、未だに突然の洞察力を得たわけでもなく、これらの奥義の真相を突き止めたわけでもない。彼らはただ本当に知らないのである。彼らは、涙ぐましい努力をして求めるが、その歩む道は、成功へのそれではなく、既に先駆者が失敗した道なのである。そう考えると、どのように求めたにせよ、それは闇へ向かう道を歩いているということではないだろうか。結局彼らが得るのは苦い果実だけではないのか。過去に成功した者をまねる人が結果的に幸運を得るのかそれとも不運に見舞われるのかということすら予想困難であるのに、過去に失敗してきた人の跡をたどる人の勝算がどれほどあるだろう。失敗する可能性は更に大きいのではないか。彼らの歩む道に何の価値があるというのか。時間の無駄ではないのか。人がその追求に成功しても失敗しても、要するにいずれの結果でもその原因があるのだ。そして成功するか失敗するか、それは思うままに自由に追い求めることでは決まらないのである。

 人が神を信じるために最も基本的なことは、その人が誠実な心を持ち、完全に自分を捧げ、また本当に従うことである。人にとって最も困難なことは、真実なる信仰を得ることと引き換えに、自らの全人生を捧げることだが、それができれば、人は完全なる真理を得ることができ、被造物としての本分を尽くすことが出来るのである。これは、失敗した人たちは会得できないものであり、キリストに出会うことができない人にとっては更に到達できないことなのである。人は、神にそのすべてを捧げることが得意でなく、創造主に対する本分を進んで尽くそうともせず、真理を知ったにも関わらずその道を避けて自分の道を行き、これまで失敗した人の道に沿って追い求め、常に天に背くことで常に失敗し、サタンの誘惑に負け、自らしかけた罠に落ちてしまうのである。人はキリストを知らず、真理を理解し経験することに長けておらず、パウロを過剰に崇拝し、天国に入る欲求だけ強く、キリストが人に従うことを常に要求し、そしてひたすら神に対してもあれこれ指示をする。それだから、偉人と言われる人たちやこの世の苦難を経験した人たちでさえも死を免れず、しかも神の罰により死ぬのである。このような人たちについては、非業の死を遂げると言うしかないが、彼らの結末、つまりその死は正当化するだけの理由があるのだ。そういう人たちの失敗は、天にとってさらに耐えがたい事ではないだろうか。真理とは、人の世から出るが、人の世の真理は、キリストによって伝えられるのである。真理とはキリスト、すなわち神自身から来るものであって、人には達成できないものなのだ。しかし、キリストは真理を提供するだけであって、人が真理を追い求めるのに成功するかどうかを決めるために来るのではない。よって、真理を追い求めるのに成功するか失敗するかは、すべて人の追求にかかっている。これは元々キリストとは一切関係がないものであり、人の追求によって決まるものなのだ。人の終着点やその成功と失敗の責任を神に押し付け、その責任を負わせてはならない。なぜなら、それは神自身には関係がなく、被造物が尽くすべき本分に直結していることだからである。多くの人は、パウロやペテロが追い求めたこと、そして二人の終着点くらいは知っていても、二人の結末以上には何も知らず、ペテロの成功の裏にある秘訣あるいはパウロの失敗を招いた欠点については何も知らない。だから、彼らの追求の本質を見極めることが全くできないのであれば、あなたがたの追求のほとんどは失敗に終わるだろうし、あなたがたの内僅かな者が成功したとしても、ペテロの成功の比ではない。あなたの追求の道が正しいものであれば、成功への希望がもてるだろうが、あなたの真理を追求する道が間違ったものであるならば、永遠に成功することはできず、パウロと同じ結末を迎えることになる。

 

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