全能神は真理です

全能神―主イエスの再臨

私の本当の霊的背丈をはっきりと見ました

2019-04-20 12:20:00 | 全能神の裁きを経験する証し

  ある時参加した教会のリーダーミーティングで、新たに選出された教会のリーダーの1人が次のように言いました。「私には十分な霊的背丈がありません。この責任を果たすのに、私は適任ではないと感じています。あまりにも多くのことにプレッシャーを感じ、ここ数日は毎晩よく眠れていません・・・」この頃、私は神を模索する中で責任を背負っていたので、彼女に話しかけました。「すべての仕事は神によるものです。人間はほんの少しばかり協力するに過ぎません。私たちが責任を感じるならば、もっと頻繁に神の元を訪れ、神に頼ることで、神の全能さや知恵を目の当たりにするでしょう。私たちの仕事で責任を感じるのは良いことです。しかし、責任が苦悩となるならば、これは障害となり、ネガティブな気持ちを招き、神を誤解することにさえつながります。」神のお導きにより、私は自分の伝えたことが特に一筋の光を与えたと感じました。この姉妹も、彼女の心に神がいない状況になっていたこと、そして神に頼るのではなく、自力で行おうとしていたことに気が付き、神への道を見つけました。この時、真理のこの側面に対する現実を私が把握していることを証明し、姉妹の問題を解決できたと考え、非常に嬉しくなりました。

  2ヶ月後、教会は私の責任を果たすため、修正グループに私を異動しました。着任当初、私には文章修正の背後にある本質が理解できず、修正、アレンジ、指導が必要な文章を次々と目にするうちに、ネガティブな気持ちに陥ってしまいました。全く理解できないところへもってきて、この責任を果たす責任があっただけではなく、これらの記事に足りないところを指摘する任務さえ受けていました。私の能力を超えた仕事だったのです!私は大きなプレッシャーを感じ、気持ちを落ち着かせることができませんでした。また、神をどのように頼れば良いかも分からないでいました。あまりにも不安が大きくなり、3日間一睡もできませんでした。このような状況を前にして、とても当惑してしまいました。あの新任の教会リーダーの問題を解決した時、私は真理のこの側面を完全に理解したと感じていました。しかし、自分が同じような問題に直面した時、なぜ、このような経験の対処方法が分からないのでしょうか。私は混乱した気持ちと困惑を抱えながら神の元を訪れました。

  そして、「働きと入ること(2)」の中で神の言葉を見つけました。「人間が働きを行い、話をするとき、あるいは霊的日課として祈る時、突如として真理が明瞭になることがある。しかし、実際は、人間が理解したことは単に聖霊の啓きに過ぎず (必然的にそれは人間の協力に関連している)人間の真の背丈ではない。人間が一定期間の経験において真の困難に数多く遭遇した後、人間の真の背丈はこのような状況において明らかにされる。…こうした経験を何周期か経た後になって初めて、霊において目覚めている人の多くが、それが従前における自分の現実ではなく、聖霊による一時的な照らしであり、人間がその光を受けただけであることに気付く。聖霊が人間を啓いて真理を理解させる時、それはしばしば明瞭かつ顕著なもので、前後関係はない。すなわち、神は人間の困難をその啓示の一環とせず、むしろ直接的に真理を啓示する。いのちに入ることにおいて困難に遭遇すると、人間は聖霊の啓きを採り入れ、それが人間の実際の経験となる。」この一節をじっと見つめているうちに、あることを理解しました。姉妹が問題を解決するお手伝いをした時に私が理解した真理は、神の光明によるものであり、この時、聖霊の啓示を受け取った私は(神に)協力したということだったのです。しかし、それは私の本当の霊的背丈ではなく、真理のその側面を把握していたことを証明したわけでもありませんでした。あの時、聖霊が真理を理解するよう私に啓いてくださったのは、それが私の仕事に必要だったからです。そして私が協力することにより、神は私の仕事での問題や困難を解決するのを助けてくれました。しかし、この点に関して実際に自分で経験するまでは、私の霊的背丈は極めて小さいものでした。ですから、神の道を進む中で困難に遭遇した時は、聖霊の啓示を受け入れることによってのみ、私自身の実経験となります。

  神の言葉による啓示と導きにより、私は心を落ち着かせ、神に畏敬の念を抱き、頼ることができました。そして、提出された記事や例文の背後にある文章の本質を慎重に比較検討していくと、私は気付かないうちに神の啓示と導きを受け取り、徐々に、記事の中にある問題が見えてきて、記事を修正する中で考えがずっと明確になってきました。そして、私たちに記事を書く練習をさせる神の家の意義をありがたく感じました。さらに、私は段々とネガティブな気持ちや誤解から自分を開放することができました。

  神のお陰です。この経験を通して、私は自分の霊的背丈をはっきりと認識し、自分の理解が正しい道から外れていたのを修正することができました。このことにより、聖霊が啓示してくれた真理に対する理解は、私自身の経験を表すものではないことを認識しました。さらに、真理のこの側面に対する現実を把握していることにもなりません。これからは、聖霊の啓示を実生活に活かし、練習を積み、神の道を進んでいけるようにし、これらの真理が、本当の意味で私の人生の現実になるよう、さらに精進していきたいと思います。