キリスト教の歌「神の足跡を探すなら」 神の足跡を探すなら 探さねばならない 神の御心、神の御言葉、神の御声 神の新しい御言葉の中 神の御声がある 神の足跡があるところには 神の御業がある 神の印があるところ そこには神が現れる 神の現れるところには 真理、道、命がある 神の足跡を探す時 神の真理、生きる道、命さえも見失ったら 見つけることはできない 神の足跡 そして神の現れに気づくことはできない なんとそれは大きな過ちだろう 神は人の思いを遥かに超えて 人の思うようには現れない 神には自身の選択がある 神が働くときに 神には自身の目的がある 神の御業がある 神は誰にも話さない 神は誰にも伝えない それが神の性質 人は気づかなければ 神の現れを望むなら そして神の足跡を探すなら 自分を超えて求めてはならない 自分の望みを神を自分の心に閉じ込めないで 自分の世界に閉じ込めないで 神の足跡を探し求め 神の現れを受け止めて 神の新しい御業に従い それがあるべき道 人はみな誰も真理ではなく 真理を持たず 人は真理ではなく 真理を持たず だから探し求め、受け入れながら 探し求めて受け入れて 真理に身を委ねる 『小羊に従って新しい歌を歌おう』より