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全能神―主イエスの再臨

日々の神の御言葉「キリストの初めの言葉:第百二十章」抜粋97

2020-10-24 17:00:39 | 日々の神の御言葉

日々の神の御言葉「キリストの初めの言葉:第百二十章」抜粋97

    シオンよ!歓呼せよ!シオンよ!大声で歌え!わたしは勝ち誇って戻ってきた。わたしは勝利して帰って来た。すべての民よ、急いで整列せよ。すべての被造物よ、動きを止めなさい、わたしの本体が全宇宙に向き合い、世界の東に現れるからだ。ひざまずいて崇めようとしない者などあるだろうか。わたしを真の神と呼ばない者などあるだろうか。畏敬の念を持って見上げない者などあるだろうか。讃美しない者などあるだろうか。歓呼しない者などあるだろうか。わたしの民はわたしの声を聞き、わたしの子らはわたしの国で生き残るのだ。山々も川もすべてのものが止むことなく歓呼し、休むことなく飛び跳ねる。今や誰一人退こうとする者はなく、立ち上がって抵抗しようとする者もいない。これはわたしの素晴らしき業であり、そしてそれ以上に、わたしの偉大な力なのだ。わたしはすべてのものに心からわたしを崇めさせ、そしてさらに、すべてのものにわたしを称賛させる。これはわたしの六千年にわたる経営(救いの)計画の究極の目的であり、わたしが定めたことなのだ。一人の人間も、一つの物体も、一つの出来事も、あえて立ち上がって抵抗したり反逆したりすることはない。わたしの民は皆わたしの山(すなわちわたしが後に創造する世界)に流れ着き、わたしの前で服従する。わたしには威厳と裁きがあり、わたしが権威を宿しているからだ。(これはわたしが体に宿っているときのことである。わたしは肉においても権威を持つが、肉の中では時間と空間の制限を超越できないため、完全な栄光を得たとは言えない。わたしは長子たちを肉において獲得するが、それでも栄光を得たとは言えないのだ。シオンに戻り、外観を変えたとき初めて、わたしは権威を備え、すなわち栄光を得たと言えるのだ。)わたしに難しいことは何もない。わたしの口から出る言葉によってあらゆるものが破壊され、わたしの口から出る言葉によってあらゆるものが実現し完全にされる。それがわたしの偉大な力であり、わたしの権威である。わたしは力と権威に満ち溢れているため、わたしを妨げようとする者は誰もいない。わたしはすでにすべてのものに勝利し、すべての反逆の子らに打ち勝った。わたしは長子たちを自分と一緒にシオンに連れ戻す。わたしは一人でシオンに戻るのではない。そのためすべての者がわたしの長子たちを見て、わたしへの畏敬の念を抱くようになる。それこそが長子たちを得ることの目的であり、それが創世の時からのわたしの計画なのだ。

   すべての準備ができたとき、それはわたしがシオンに戻る日となり、その日はすべての人々によって祝われることになる。わたしがシオンに戻ると、地上のすべては静まりかえり、地上のすべてが安らぐ。わたしがシオンに戻ると、すべてのものは本来の姿を取り戻す。それからわたしはシオンで働きを開始し、悪人を罰し、善人に報い、わたしの義を実践し、わたしの裁きを実行する。わたしは言葉を使ってすべてを成し遂げ、あらゆる人とあらゆるものにわたしの刑罰の手を体験させる。そしてあらゆる人々に、わたしの栄光のすべて、知恵のすべて、豊かさのすべてを見せる。わたしの中にはすべてが完成されているため、立ち上がって批判する者は誰もいない。そしてここで、あらゆる人にわたしの名誉のすべてを見せ、わたしの勝利のすべてを味わわせよう。わたしの中にはあらゆるものが現れるからだ。ここからわたしの偉大な力と権威を見ることができる。誰もあえてわたしを憤慨させようとはせず、誰もわたしを妨げようとはしない。わたしの中ではすべてのことが明らかにされる。誰があえて何かを隠そうとするだろうか。わたしはそのような者には決して憐みを示さない。そのような惨めな者はわたしの厳しい罰を受け、そのような屑はわたしの目の前から追放されなければならない。わたしは鉄つえをもって彼らを支配し、わたしの権威を用いて彼らを裁く。一切の哀れみをかけることも、彼らの気持ちを考えることもない。なぜならわたしは神自身であり、感情を持たず、威厳に満ち、侵すことのできない者だからだ。すべての者がこのことを理解し、目にしなければならない。そうでないと、「原因や理由もなく」わたしに打ち倒され、滅ぼされることになる。わたしの鉄のつえはわたしに背くすべての者を打ち倒すからだ。わたしは彼らがわたしの行政命令を知っていようがいまいが気にはしない。それはわたしにはまったく重要ではない。わたしの本体は誰の背きも許さないからだ。このため、わたしは獅子だと言われているのだ。わたしが触れる者は誰でも、わたしに打ち倒される。そのため、今ではわたしを憐れみと慈しみの神と呼ぶことは冒涜だと言われているのだ。本質的に、わたしは子羊ではなく、獅子である。誰もあえてわたしに背くことはなく、わたしに背く者は誰であれ、わたしがただちに容赦なく死をもって罰する。このことはわたしの性質を示すのに十分である。そのため終わりの時代には、大多数の人々が身を引くはずであり、それは人間にとっては耐え難いことだが、わたしは安らいで満足しており、これを困難な仕事だとはまったく思っていない。これがわたしの性質である。 『言葉は肉において現れる』より引用

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