全能神は真理です

全能神―主イエスの再臨

福音を広める働きはまた人間を救う働きでもある

2020-12-31 20:29:06 | 全能神教会いのちの経験の讃美歌

 すべての人々は地上におけるわたしの働きの目的、つまり、わたしが最終的に何を得ようと望んでいるかと、この働きが完成するまでに、その中でどの程度達成しなければならないかを理解する必要がある。今日までわたしとともに歩みながら、わたしの働きが一体何であるのかを理解していないならば、人々はむだにわたしと歩んできたのではないのか。わたしに従う人々は、わたしの旨を知るべきである。わたしは地上において何千年も働いてきたのであり、今日に至るまでこのように働き続けている。わたしの働きには多くの項目が含まれているものの、その目的は変わらないままである。例えば、わたしが人間に対する裁きと刑罰で満ちていても、わたしの行なうことはやはり人間を救うためであり、また人が完全にされたあと、わたしの福音をよりよく広め、あらゆる異邦人の国においてわたしの働きをさらに展開するためである。ゆえに、多くの人がずっと以前から失望に沈んでいる今日でも、わたしはいまだに働きを続けており、人を裁いて罰するために行なうべき働きを続けているのである。人はわたしの言うことにうんざりしており、わたしの働きに関わりたくないと思っているが、それにもかかわらず、わたしはいまだに自分の務めを果たしている。なぜなら、わたしの働きの目的は変わらないままであり、わたしの本来の計画は打ち破られることがないからである。わたしの裁きが果たす役割は、人間がわたしによりよく従えるようにすることであり、わたしの刑罰が果たす役割は、人間がより効果的に変化できるようにすることである。わたしが行なうことはわたしの経営(救い)のためであるものの、わたしはこれまでに人間に有益でないことを行なったことはない。それは、イスラエルの外にわたしが足場をもてるよう、イスラエルの外のあらゆる民族をイスラエル人と同じくらい従順にし、彼らを真の人間にしたいからである。これがわたしの経営であり、わたしが異邦人の諸国のあいだで成し遂げている働きである。今でさえ、多くの人が依然わたしの経営を理解していない。そのようなことに関心がなく、自分自身の将来と終着点だけを気にかけているからである。わたしが何を言おうと、人々はわたしの行なう働きに無関心なままで、その代わりに将来における自分の終着点だけに集中している。このままであれば、どうしてわたしの働きが拡大できるだろうか。どうしてわたしの福音が世界中に広まるだろうか。わたしの働きが広まるとき、わたしはあなたがたを散り散りにし、ちょうどヤーウェがイスラエルの諸部族の一つひとつを撃ったようにあなたがたを撃つことを、あなたがたは知るべきである。これはすべて、地球のいたるところにわたしの福音が広まり、異邦人の諸国のもとに届き、わたしの名が大人にも子供にも賛美され、わたしの聖なる名があらゆる国々、あらゆる民族の人々の口から褒め称えられるようにするためである。それは、この最後の時代において、わたしの名が異邦人の民族のあいだで賛美され、わたしの業が異邦人たちに見られ、わたしの業ゆえに彼らがわたしを全能者と呼び、わたしの言葉がまもなく実現されるようにするためである。わたしはイスラエル人の神であるだけでなく、わたしが呪った民族をも含むあらゆる異邦人の民族の神であることを、わたしはすべての人々に知らしめる。わたしがすべての被造物の神であることを、わたしはあらゆる人々に知らしめる。これがわたしの最も大きな働き、終わりの日に向けた働きの計画の目的、そして終わりの日に成就される唯一の働きである。

 わたしが何千年にもわたり経営してきた働きは、終わりの日においてのみ人間に完全に明らかにされる。今初めて、わたしは自分の経営の奥義の全貌を人間に明かし、人間はわたしの働きの目的を知り、そのうえわたしの奥義のすべてを理解したのである。わたしはすでに、人間が関心をもつ終着点についてすべてのことを人間に告げた。五千九百年以上隠されていたわたしの奥義のすべてを、すでに人間のために明らかにしたのである。ヤーウェとは誰か。メシアとは誰か。イエスとは誰か。あなたがたはこれらのことをすべて知っているはずである。わたしの働きはこれらの名によって定まる。そのことを理解したのか。わたしの聖なる名はいかに宣言されるべきか。わたしのことをわたしの名のいずれかで呼んできた諸民族のいずれかに、わたしの名はいかに広められるべきか。わたしの働きはすでに拡大しており、わたしはその拡充をあらゆる民族に広める。わたしの働きはあなたがたにおいて行なわれてきたのだから、ちょうどヤーウェがイスラエルのダビデの家の羊飼いたちを撃ったように、わたしはあなたがたを撃って、あらゆる民族のあいだに分散させる。終わりの日、わたしはすべての国々を粉々に打ち砕き、その民を新たに分配するからである。わたしが再来するとき、国々はわたしの燃えさかる炎がつくった境界線に沿ってすでに分断されているであろう。そのときわたしは焼けつく太陽として、人類の前に新たに現われ、人間がかつて見たことのない聖なるものの姿で公然と彼らに自分自身を示し、ちょうどわたし、ヤーウェがかつてユダヤの諸部族のあいだを歩いたように、無数の諸民族のあいだを歩く。それ以降、わたしは地上における人類の生活を導く。そこで人々は必ずやわたしの栄光を見、また空中に雲の柱が一本、彼らを生活において導くためにあるのを見る。わたしは聖なる場所に出現するからである。人間はわたしの義なる日を、またわたしの栄えある出現を見る。わたしが地球全体を統治し、わたしの多くの息子たちを栄光に至らせるとき、それは起こる。地上のいたるところで人々はひれ伏し、わたしの幕屋は人類のただ中に、わたしが今日行なう働きの岩の上に堅固に打ち立てられる。人は神殿においてもわたしに仕える。祭壇は汚らしくおぞましいもので覆われており、わたしはそれを粉々に打ち砕き、新たに建てる。生まれたばかりの子羊と子牛が聖なる祭壇の上に積み上げられる。わたしは今日の神殿を打ち倒し、新しい神殿を建てる。今日ある神殿は嫌悪すべき人々で溢れており、それは崩れ落ちる。わたしが建てる新しい神殿は、わたしに忠実なしもべで溢れる。彼らはわたしの神殿の栄光のために再び立ち上がり、わたしに仕える。あなたがたは、わたしが大いなる栄光を受ける日を、またわたしが神殿を倒して新しい神殿を建てる日を必ずや見るであろう。さらに、わたしの幕屋が人間の世界に到来する日を必ずや見るであろう。わたしは神殿を壊すと同時に、あたかも人間がわたしの降臨を見るかのように、わたしの幕屋を人間の世界にもたらす。あらゆる国々を打ち砕いた後、わたしはそれらを新たに集め、その時からわたしの神殿を建て、わたしの祭壇を築くことで、あらゆる者がわたしに生贄を捧げ、神殿でわたしに仕え、異邦人の諸国におけるわたしの働きに忠実に献身できるようにする。彼らは現代におけるイスラエルの民のようになり、祭司の式服と冠をまとう。わたし、ヤーウェの栄光が彼らのただ中にあり、わたしの威厳が彼らの頭上において彼らとともに留まっている。異邦人の諸国におけるわたしの働きもまた、同じ方法で実行される。異邦人の諸国におけるわたしの働きは、イスラエルにおけるわたしの働きと同様である。なぜなら、わたしはイスラエルでの働きを拡大させ、それを異邦人の諸国に広めるからである。

 現在はわたしの霊が大いなる働きを行い、わたしが異邦人の諸国で働きを開始するときである。それ以上に、わたしがあらゆる被造物を分類し、一つひとつを種類ごとに仕分けし、わたしの働きがさらに早く効果的に進行するようにするときである。だから、わたしがあなたがたに求めるのはやはり、自己の存在の一切をわたしのすべての働きに捧げ、そしてさらに、わたしがあなたにおいて行なったすべての働きを明確に認識、確信し、わたしの働きがより効果的になるよう、自分の全力をそれに注ぎ込むことである。これが理解しなければならないことである。自分たちのあいだで争ったり、後戻りする道を探したり、肉体の快適さを求めたりするのをやめなさい。これらはわたしの働きと、あなたのすばらしい将来を遅らせる。そのようにするのはあなたを守るどころか、破壊をもたらす。それは愚かなことではないだろうか。今日あなたが貪欲に享受しているものが、まさにあなたの将来を台無しにするものであり、一方、今日あなたが苦しんでいる痛みが、まさにあなたを守っているものである。抜け出すのに大変苦労する誘惑に陥るのを避け、濃霧にはまり込み、太陽を見つけられなくなることから逃れるために、これらのことをはっきり認識しなければならない。濃霧が晴れると、あなたは大いなる日の裁きのさなかにいる自分を見つける。その時点で、わたしの日は人類に近づきつつある。どうしてわたしの裁きから逃れるのか。どうして焼けつくような太陽の熱に耐えられるのか。わたしが自らの豊かさを人間に与えるとき、人間はそれを懐で大切にせず、代わりに誰も気づかない場所に投げ捨てる。わたしの日が人間の上に降りるとき、人間はもはやわたしの豊かさを見つけることも、はるか前にわたしが人間に語った苦い真実の言葉を見つけることもできない。光の明るさを失い、暗闇に陥ったので、人間は泣き叫ぶ。あなたがたが今日見ているのは、わたしの口の鋭利な剣に過ぎず、わたしの手にある鞭も、わたしが人間を燃やす炎も見ておらず、そのため、あなたがたはいまだにわたしの面前でも不遜で不節制なのである。そのため、あなたがたはいまだにわたしの家でわたしと争い、わたしが自らの口で語ったことに人間の言葉で反論するのである。人間はわたしを恐れず、今日までわたしと敵対し続けながら、それでもまったく恐れていない。あなたがたの口には不義なる者の舌と歯がある。あなたがたの言動はエバを罪へと誘惑した蛇のもののようで、互いに目には目を、歯には歯を要求しあい、わたしの前で地位、名声、利益を自分のものにしようと奮闘するものの、わたしが密かにあなたがたの言動を見張っていることを知らない。あなたがたがわたしの前に来る以前でさえ、わたしはあなたがたの心の奥底を調べていた。人間はいつもわたしの手中から逃れ、わたしの目の観察を避けようと望んでいるが、わたしは人間の言動から離れたことがない。代わりに、それらの言動をわざとわたしの目に触れさせ、わたしが人間の不義さを罰し、人間の反抗に裁きを下せるようにする。このように、人間の密かな言動は絶えずわたしの裁きの座の前にあり、わたしの裁きは人間から離れたことがない。なぜなら人間の反抗は過度だからである。わたしの働きは、わたしの霊の面前で発せられ行なわれる人間のあらゆる言動を燃やして清めることである。こうすることで[a]、わたしが地上を去るとき、人々は依然としてわたしへの忠誠を保ち、わたしの聖なるしもべがわたしの働きにおいてするようにわたしに仕え、それによりわたしの地上での働きはその完成の日まで続くのである。

 脚注

 a. 原文に「こうすることで」の語句は含まれていない。