わたしの霊が声を発するとき、それはわたしの性質すべてを表現する。このことあなたがたは、わかっているだろうか。この点について不明瞭なのは、わたしに直接反対しているに等しい。あなたがたは、ほんとうにこのことの重要性がわかっているだろうか。あなたがたは、わたしがどれほどの努力、どれほどの力をあなたがたのために用いているか、ほんとうにわかっているだろうか。あなたがたは、ほんとうに、自身のしたことをわたしの前に示す勇気があるだろうか。そして、あなたがたは、大胆にもわたしの前で自分がわたしの民であると言う──あなたがたは恥知らずで、さらには理性に欠けている。遅かれ早かれ、そうした人々はわたしの家から追い出される。わたしを証しするために立ったからといって、ベテラン気取りでいるのではない。これは、人間に可能なことなのだろうか。あなたの意図したことや目指したものが何一つ残らなければ、あなたは、とうに別の道を進んでいたろう。あなたがたは、人間の心がどれほどの大きさか、わたしが知らないと思っているのだろうか。たった今から、あなたがたは、あらゆることで実践を始めなければならない。これまでしていたように、しゃべっているだけでは、もう十分ではないのだ。昔は、あなたがたの大多数は、わたしの屋根の下で飲み食いできた。あなたがたが今日堅固に立っていられるのは、すべて、わたしの言葉の厳しさのゆえである。あなたは、わたしの言葉には目的もなく、いい加減に話しているものと思っているのか。そんなことはない。わたしは高いところからすべてを見渡し、高いところからすべてを支配している。同様に、わたしは地上に救いを施した。わたしの隠れ場から、人間のあらゆる動き、人々が話したり、行っていることのすべてを、わたしが見守っていない瞬間はない。人間は、わたしにとって開かれた書物だ──わたしはすべてを見、知る。隠れ場はわたしの家であり、大空がわたしの横たわるベッドなのだ。サタンの勢力はわたしに届かない。わたしは威厳と義、裁きに満ち溢れているからだ。言い表すことのできない奥義がわたしの言葉の内に宿っている。わたしが話すとき、あなたがたは水に投げ入れられたばかりの鳥たちのように混乱に満ち、あるいは、何かにおびえた赤子のようで、何もわからないようだ。あなたがたの霊が茫然自失の状態に陥ったからだ。なぜわたしは、隠れ場がわたしの家だと言っているのだろう。あなたは、わたしの言うことの深い意味がわかっているだろうか。すべての人間の中で誰が、わたしを知ることができるだろう。あなたがたの誰が、その父と母を知るように、わたしを知ることができるだろう。わたしの家に憩い、わたしはくわしく見る──地上のすべての人が忙しく動き回り、「世界を経巡り」大急ぎで行き来する。すべて自身の運命、未来のために。しかし、わたしの国を築くために力を、息を吸い込むだけの力さえも割ける者は、ただの一人もいない。わたしは人類を創り、彼らを何度も患難から救った。しかし、その人間たちはみな忘恩の徒である──わたしの救いをすべて挙げることのできる者は、ただの一人もいないのだ。世界の創造から今日まで、何年、何世紀が過ぎたか、また、どれほどの奇跡を起こしたか、何度わたしの知恵を示したか。しかし、人間は記憶喪失と無気力状態にある精神病患者のようで、あるいは、もっと悪い場合、時には野獣が森で暴れているようなもので、わたしのことにまるで関心をもとうとしない。何度もわたしは人間に死刑を宣告し、死すべきものと定めたが、わたしの経営(救いの)計画は、誰にも変更できない。そこで、人間は、いまだわたしの手の中で、古いものにしがみついて、気取っているのだ。わたしの働きの手順のため、わたしは再びあなたがたを、堕落し、退廃的で、汚れ、浅ましい大家族のあなたがたを救った。
わたしの計画した働きは、一瞬もやむことなく進められている。神の国の時代に入って、あなたがたをわたしの国にわが民として移したので、新たにあなたがたに要求することがある。つまり、あなたがたの前に、この時代を支配する憲法の公布を始めるのだ。
わが民と呼ばれているのだから、わたしの名に栄光をささげなければならない、つまり、試練の中に立ち、証しするのだ。もし誰かがわたしを欺こうとし、真実をわたしから隠し、あるいは、わたしの後ろでいかがわしい行為をするなら、その人たちは例外なく追い出され、わたしの家から除かれ、最終的な処分を待つことになる。過去に、わたしに対して不誠実で不従順であって、今日、再び立ち上がって、公然とわたしを裁こうとする人々は、その人たちもまた、わたしの家から追い出される。わが民である人々は、常にわたしの担っているものを考え、また、わたしの言葉を知るように努めなければいけない。そうした人々だけが、啓かれる。彼らは必ずわたしの導きと示しの下で生き、けっして罰されることがない。わたしの担っているものを思いやらず、自分の未来を計画することに集中する者、つまり、行いによってわたしの心を満足させることを思わず、施しをねだる者、そうした乞食のような人々は、わたしは絶対に用いることを拒む。そうした人々は、生まれたときから、わたしの担うものを思いやるということの意味を何も知らないからである。彼らは、異常な理知の持ち主である。そうした人々は、脳の「栄養不足」に陥っていて、何か「栄養」をとるために家に帰らなければならない。わたしは、そうした人々に何の用もない。わが民の中で、すべての人はわたしを知ることを、食べる、着る、眠るといった、人間が一瞬も忘れないような、最後まで行うべき必須の務めとみなし、しまいには、わたしを知ることが食べることのように慣れ親しんだ技術、何の努力もなしにする手馴れた動作になるようにしなければならない。わたしの話す言葉について、どの一言も絶対に確かなものとし、完全に吸収されなければならない。おざなりの、その場しのぎであってはならない。誰でも、わたしの言葉に注意を払わない者は、真っ向からわたしに敵対している者とみなされる。誰でも、わたしの言葉を食べない者、あるいは、知ろうとしない者は、わたしに注意を払っていない者とみなされ、すぐさま、わたしの家の戸口から掃き出される。なぜなら、わたしが以前述べたように、わたしが望むのは大勢の人々ではなく、選ばれた少数なのだから。百人の中から、たった一人がわたしの言葉を介してわたしを知るようになるなら、わたしは喜んでその他の者たちを捨て去り、そのたった一人に啓き照らそう。このことから、多数だけでは必ずしもわたしを表現し、生かし出すことができないことがわかる。わたしが望むのは、(実が詰まっていなくとも)麦であり、(たとえ実がいっぱいに詰まった立派なものでも)毒麦ではない。探し求めることには関心がなく、怠惰な行動をする者たちは、自分から立ち去るべきだ。わたしはもう彼らを見たくない。彼らがわたしの名を汚すことのないように。わが民に求めることは、今はここまでに述べた戒めでやめておき、状況の変化に応じて、さらに制裁を行うことにする。
過去には、大多数の人々は、わたしが知恵の神そのもの、人間の心の奥底までも見通す神であると考えた。しかし、それはみな、表面的な話だけだった。もし人間がほんとうにわたしを知っているなら、勝手に結論に飛びつくことをせず、わたしの言葉からわたしを知ろうとする努力を続けたことだろう。ほんとうにわたしの業を見る段階に達してはじめて、わたしが知恵であり、奇妙であると言う資格を得るのである。あなたがたの、わたしについての認識は浅い。世々を経て、どれほど多くの人々がどれほどの年月わたしに仕え、わたしの業を見て、ほんとうにわたしについて何かを知るようになったのか。そこで、彼らはいつでも、わたしに対して従順な心をもち、ごくわずかもわたしに敵対しようとは思わなかった。わたしの足跡を探し求めることは、極めて困難なのだから。そうした人々の中に、わたしの導きのないときには、気短かに行動しようとしないで、そうして、長い年月を生きた後で、やがてわたしについての部分的認識を総括し、わたしが知恵であり、奇妙であり、助言者であると言い、わたしの言葉は両刃の剣のようで、わたしの業は偉大で、驚くべきものであり、妙なものであり、わたしは威厳をまとい、わたしの知恵は大空より高いなどの見識を述べた人々がいる。しかし、今日、あなたがたは彼らの置いた基礎の上でわたしを知っている。だから、あなたがたの大多数は、オウムのように、ただ彼らの語った言葉を繰り返しているだけだ。あなたがたのわたしについての認識がどれほど浅いものか、また、あなたがたの「教育」がどれほど貧弱なものかをわたしが考慮に入れているので、あなたがたはそれほど罰されずにいるのだ。しかし、それでも、あなたがたの大多数は、まだ自分を知らず、あるいは、自分がすでに行いにおいてわたしの心に達しているから、そのために裁きを免れているのだと考えている。それとも、人となってから、わたしが人間の行いを見守ることを完全にやめたので、自分も刑罰を免れているのだと、考えている。あるいは、自分の信じている神は広大な宇宙に存在していないと思って、神を認識することは、尽くすべき本分として常に心に抱くよりは、暇なときにすることだと後回しにし、神への信仰は、怠惰に過ごすはずの時間をつぶす手段としているのだ。わたしがあなたがたの資格・理知・見識の不足を憐れまなければ、あなたがたはみな、わたしの刑罰を受けて死に、存在を抹消されるだろう。しかし、地上でのわたしの働きが終わるまでは、わたしは人間に寛容でいよう。これは、あなたがたみなが知っておくべきことである。良いことと悪いことを混同するのはやめなさい。
1992年2月25日
[東方閃電]全能神の御言葉を読みましょう、全能神教会を了解しましょう。
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