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全能神―主イエスの再臨

全能神の発表「二十二番目の言葉」

2017-07-22 22:15:40 | 全能神の発表

 

 人間は光の中に生きていながら、光の貴さには気づいていない。人間は光の本質、光の源、さらに、光が誰のものであるかについては、無知である。わたしが人間たちに光を与えたとき、直ちに人間たちの状態を調べた。光があるので、人々はみな変わりつつあり、成長し、闇を去っている。わたしは全宇宙の隅々まで見渡す。山々が霧に包まれ、水が冷気の中で凍り、光が到来したため、人々は何かもっと貴重なものを見つけようと、東を見ている──しかし、霧の中では、はっきりと方向を見定めることができないでいる。全世界が霧に包まれているので、わたしが雲の中から見ていると、わたしの存在は人間には絶対にわからない。人間は地上で何かを探している。あちこちあさっているようだ。どうやら、人間はわたしの到着を待っているらしい──しかし、人間はわたしの日を知らないから、何度も東方の微かな輝きを見やるしかない。すべての人々の中に、わたしは、ほんとうにわたしの心にかなう者を探す。わたしはすべての人々の間を歩き、すべての人々の間に生きるが、人間は地上にいて安全で健やかであり、それで、ほんとうにわたしの心にかなう者はいないのだ。人々は、わたしの心をどう気にかけたらよいか、わからない。彼らには、わたしの行いは見えない。そこで、光の中を動き回って、光に照らされることができない。人間はいつもわたしの言葉を大事にしているが、サタンの欺きに満ちた策略を見通すことができない。人間は背丈が足りないので、心で願うことが実行できないからだ。人間はわたしを心から愛したことがない。わたしが人間の地位を高めると、人間は自分がふさわしくないと感じるが、だからといって、わたしを満足させようと努力するわけではない。ただわたしの与えた地位を手にして、それをじっくり調べる。わたしの素晴らしさには気付かず、置かれた地位の恵みを貪ることに熱中する。これが人間の欠点ではないか。山々が動くとき、あなたの地位を考慮して迂回するものだろうか。水が流れるとき、あなたに地位があるからといって、止まるだろうか。天と地は、人間の地位次第で入れ替わるだろうか。わたしは、かつて人間に憐みをかけた、何度も何度も──しかし、誰一人、それを胸に抱き宝ともしなかった。ただ、それを作り話として聞くか、小説として読むだけなのだ。わたしの言葉は本当に人間の心に触れないのだろうか。わたしの言葉は、ほんとうに何の効果もないのか。これは、誰一人わたしの存在を信じていないということだろうか。人間は自分自身を愛さない。かえって、サタンと組んで、わたしを攻撃し、サタンをわたしに仕えるための「資産」として用いる。わたしはサタンの欺きに満ちた策略全部を見通し、サタンの存在ゆえにわたしに敵対しないよう、地上の人々がサタンの欺きを受け入れるのを止める。

 の国では、わたしは王だ──しかし、人間は、わたしを王として扱う代わりに、わたしを天から降りてきた救い主として扱う。そのため、人間はわたしから施しをもらうことを期待し、わたしを知ることを追求しない。まことに大勢が、わたしの前で乞食のように叫んだ。まことに大勢が「袋」を開いて、生きるための食物をくれるよう願った。まことに大勢が、飢えた狼のように、わたしを食べ尽くし、腹を膨らませようと、貪欲な目で見つめた。まことに大勢が、自分たちの罪のために恥じて、黙って頭を垂れ、寛容を祈り、あるいはわたしの刑罰を受けようとした。わたしが話すと、さまざまな人間の愚行が不合理に思われる。そして、人間の真の姿が光の中に明かされると、輝く光の中で人間は自分を「許す」ことができない。そこで、急いでわたしの前に来てひれ伏し、罪を告白する。人間の「正直さ」のため、わたしはもう一度救いの車に載せる。人間はわたしに感謝し、わたしを愛情のこもった目で見る。しかし、それでも人間は、まだほんとうにわたしの内に逃げ込むつもりはなく、完全にわたしに心を捧げてはいない。人間はただわたしのことを誇るが、ほんとうにわたしを愛しているのではない。心をわたしに向けていないからだ。その人の体はわたしの前にあるが、その心はわたしの後ろにある。規則に関して、人間の理解はあまりに不十分であり、また、わたしの前に来ることには関心がないので、わたしは適切な「助け」を与え、頑固な無知の状態を改めさせようとする。これがまさに、わたしが人間に与える憐みであり、わたしが人間を救うために奮闘する方法である。

 全宇宙の人々は、わたしの日の到来を祝い、天使たちが民たちの間を歩く。サタンが問題を起こすと、天使たちが天での仕えにより、いつでもわが民を助ける。彼らは人間の弱さのせいで悪魔に欺かれることがなく、闇の勢力の攻撃の結果、霧に包まれた人間の生活で多くの経験を得る。民たちはみな、わたしの名の下に従い、誰もけっして公然とわたしに敵対しようと立ち上がらない。天使たちの働きにより、人間はわたしの名を受け入れ、みな、わたしの働きの流れの中にいる。世界は崩壊しつつある。バビロンは麻痺している。宗教的世界──どうしてこれが、わたしの地上の権威により破壊されないことがあろう。誰がまだわたしに逆らい、敵対しようとするのか。律法学者たちか。すべての宗教関係者か。地上の支配者や権力者か。天使たちか。誰がわたしのからだの完全さと豊かさをたたえないだろう。すべての民の中で、誰がわたしの讃えをやむことなく歌わず、誰がいつでも幸福でないのか。わたしは赤い大きな竜のすみかのある国に住んでいる。しかし、わたしはそれで恐れに震えたり、逃げたりはしない。その民がみな、すでに赤い大きな竜を嫌い始めているからだ。竜の前で何か「義務」が果たされたことはない。その代わり、みな自分の都合で動き回り、それぞれが最適と思う道を選んでいる。どうして地上の国々が滅びないことがあろう。どうして地上の国々が倒れないことがあろう。どうしてわが民が歓声を上げないことがあろう。どうして喜びに歌わないことがあろう。これが人間の働きだろうか。これが人の手のしていることだろうか。わたしは人間に生存する基盤を与え、物質的なものを与えた。しかし、人間は現在の状況に不満で、わたしの国に入りたがる。しかし、代価を払うことなく、また、無私の仕えをささげることを望まないで、どうしてそう容易にわたしの国に入れるだろう。人間から何かを取り立てる代わりに、わたしは人間に条件を出し、地上のわたしの国が栄光に満ちるようにする。人間はこの時代までわたしが導いてきた。人間はこのような状態にあり、わたしの光の導きの中にいる。そうでなければ、地上の人々の誰が、自分たちの前途を知るだろう。誰がわたしの心を理解するだろう。わたしは人間の要求にわたしの条項を加える。これは、自然の法則に適うことではないのか。

 昨日、あなたがたは、雨風の中で暮らしていた。今日、あなたがたは、わたしの国に入り、その民になった。明日、あなたがたは、わたしの恵みを享受する。誰が、こうしたことを想像したろう。生涯にどれほどの苦難と困難を経験するか、あなたがたには、わかっているだろうか。わたしは雨風の中を進む。何年も人間の中で過ごし、それが今日まで続いた。これは、わたしの経営(救いの)計画の手順なのではないか。誰がわたしの計画に付け足しをしただろう。誰がわたしの計画の手順から抜けられるだろう。わたしは何億もの人々の心の中に住む。わたしは何億もの人々の王だ。そして、わたしは何億もの人間に拒まれ、罵られてきた。わたしの姿は、ほんとうの意味では人間の心にない。人間はただ、わたしの言葉に、うっすらと、わたしの栄光に満ちた顔を認めるだけだ。しかし、自分の考えが邪魔をして、自分の感覚を信用しない。人間の心には輪郭のはっきりとしないわたしがいるだけだが、それほど長くは、そこにとどまらない。さらに、人間のわたしに対する愛もまた、同様である。人間は気まぐれに愛する。まるで、わたしを愛そうという衝動に駆られるように。まるで、朧な月の下で人間の愛が見え隠れしているようなものだ。今日、わたしの愛があるから、人間は存続し、生き残る幸運に与っているのだ。もしそうでなければ、人間の誰が、そのやせ細った体をレーザー光線で切り倒されないだろう。人間はまだ自身を知らない。人間はわたしの前で誇り、わたしの後ろで自慢するが、誰一人、わたしの前で「敵対」しようとはしない。しかしながら、人間はわたしの言う敵対の意味を知らない。代わりに、わたしをだまそうとし、自分を誇り続ける──それは、わたしの面前でわたしに敵対しているのではないか。わたしは人間の欠点は大目に見るが、人間が自分からする敵対行為は、わずかも許容しない。人間は、意味はわかっていても、その意味にしたがって行動するつもりはない。ただ、自分の都合次第でわたしを欺いているだけである。わたしはいつでも、わたしの言葉の中で、わたしの性質について明白にしている。しかし、人間は敗北を受け入れられない──同時に、人間は自己の性質を明らかにしている。わたしの裁きの中で人間は文句なく納得し、わたしの刑罰の中で、人間はついにわたしの姿を生かし出し、地上でのわたしを顕示するものとなる。

 

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東方閃電全能神教会は主イエスの再臨ーー世の終わりのキリスト全能神の中国での働きによって生まれました。誰か人が設立したのではありません。キリストは真理であり、道であり、命なのです。神様の言葉を読んだら、神様が既に現れていると分かるはずです。

 


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