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全能神―主イエスの再臨

全能神の発表「唯一の神自身 6 神の聖さ(3)」抜粋9

2018-04-16 01:21:52 | 全能神の発表


 全能神教会 | 全能神の発表「唯一の神自身 6   神の聖さ(3)」抜粋9

 サタンの邪悪に関する議論は、皆にとって人間の生活は極めて不幸であり、人間の生活は不運を極めていると感じさせるものであった。しかし、神の聖さと神の人間に対する業に関する議論の後、あなたがたはどのように感じているであろうか。(非常に幸福である。)以上により、神の業や、人間に対して神が慎重に用意する物事が全て完璧であることが分かった。神の業は誤りがない。つまり、それは非の打ち所がなく、誰の修正も、助言も、変更も必要ないものである。個々の人間に対する神の業には、いずれも疑われる部分が無く、神はあらゆる者の手を引いて導き、常に見守り、その者の傍らにいる。このような環境と背景の元で人間が成長するとすれば、実際のところ人間は神の手の中で成長すると言えるのではないか。(その通りである。)それでは、あなたがたは依然として困惑しているだろうか。(困惑していない。)落胆している者はいるだろうか。(いない。)神は人間を見捨てたと感じるものはいるだろうか。(いない。)それでは、神は一体どのような業を行ったのであろうか。(神は人間を守られた。)神の業の根底にある大いなる心と慈しみには、疑問の余地が無い。さらに、神が業を行っている間、神は、神があなたのために負ったその代償をあなたが知ることを条件としたり、要求したりすることで、自身に感謝の念を抱かせることは一度もしなかった。神はかつてそのようなことをしただろうか。(していない。)基本的に、長い人生の中では、誰もが数多くの危険な状況や誘惑に遭遇している。これは、あなたの傍らには、常にサタンが存在し、あなたを見据えているからである。サタンは、あなたが災害に見舞われたり、災難が降りかかったり、あなたがあらゆることに失敗したりすることを喜び、また、あなたがサタンの罠にかかることを喜ぶ。しかるに神は、常にあなたを守り、次々起こる逆境や災難の中でもあなたを守る。これが、平安や喜び、祝福、人間の安全など、人間が持つものは、実際のところ全てが神の支配下にあり、神が各人の人生と運命を導き、決定する、とわたしが述べている理由である。しかし、一部の人々が言うように、神には、神自身の地位について仰々しい構想を持っており、「わたしは最も偉大な存在であり、わたしがあなたがたを支配している。あなたがたは全員わたしに慈悲を請わなければならず、わたしに従わない者は死をもって罰とする。」などと言うだろうか。神はかつて、このように人間を脅迫したことがあっただろうか。(そのようなことは無い。)神は、これまでに「人間は腐敗しているので、わたしが人間をどのように扱っても、それは問題ではない。人間に対して周到な用意を行う必要は無い。」などと述べたことがあったであろうか。神はこのように考えるだろうか。(それは違う。)神がそのように振る舞ったことがあっただろうか。(そのようなことは無い。)それとは反対に、神による人間それぞれに対する処遇は熱心で責任感があり、あなたが自分自身に対するよりも責任感に溢れている。そうではないだろうか。神は無益に言葉を述べることも、尊大に振る舞うことも、人々を欺くことも無い。その逆で、神は誠実かつ静かに、自身が行う必要のある業を行う。それらの業は人間に祝福、平安、喜びをもたらし、人間を平安かつ幸福のうちに神の前へと来させ、神の家族とし、人間が神の前に行き、神の救いを受けるために必要な、正しい理性、思考、判断、心構えを人間に与える。それならば、業を行うにあたり、神に他意があったことが、これまであったであろうか。(無い。)かつて神が人間に対して親切を装い、愛想のよい言葉を少し述べた後に裏切ったことがあったであろうか。(無い。)かつて神が、あることを述べ、それと一致しない業を行ったことがあったであろうか。(無い。)かつて神が、あなたに対して、これをしてあげよう、あれをするのを助けてあげよう、などと空虚な誓いを立て、豪語した上で消え去ったことがあったであろうか。(無い。)神には、狡猾さや偽りが不在である。神は誠実で、神の業はすべて真実であり、事実である。神は、人間が信頼し、自分の人生などの全てを託すことの出来る、唯一の存在である。神には狡猾さが全く無いとすれば、神は最も真摯な存在であると言えるのではないか。(その通りである。)当然言えるであろう。このような言葉で神を叙述すると、言葉が無力であり、人間的でありすぎるものの、これは人間の言葉の制約であり、どうすることもできない。この件について、神を誠実であるとするのは僅かに不適であるが、当座はこの語を用いることとする。神は誠実かつ真摯である。(その通りである。)それでは、こうした側面の議論は、何を意味するであろうか。神と人間の相違点や、神とサタンの相違点を意味するものであろうか。人間は、サタンの腐敗した性質を全く神に見出すことが出来ないので、そう言うことが出来る。そう言って間違いないであろうか。あなたがたにアーメンと言って貰えるであろうか。(アーメン。)神には、サタンの邪悪さが全く見られない。神の業や明示する事柄は、全て人間にとって有益であり、役立つものであり、人間に施すために行ったものであり、いのちに満ちあふれ、人間に対して進むべき道と方向性を与えるものである。神は腐敗しておらず、さらに神の業を検討すると、神は聖なる存在であると言えるであろうか。(そう言える。)神には人間の腐敗が一切不在であり、腐敗した人間の性質やサタンの本質と僅かにでも類似した部分が、一切無い。この観点から、神は聖なる存在であると言うことができる。神は全く腐敗した部分を示さず、神の業における神自身の本質の明示が、神自身が聖なる存在であることを確認するために必要とされる全てである。あなたがたは、そのことが理解できるだろうか。つまり、神の聖なる本質を認識するために、ここでは次に挙げる2つの側面について取り上げる。①神には腐敗した性質が全く無い、②人間に対する神の業の本質により、人間は神自身の本質を理解可能であり、この本質は完全に肯定的であり、完全なる現実である。様々な神の業が人間にもたらすものは、何であろうか。それらのものは全て肯定的であり、愛であり、真理であり、現実である。まず、神は人間が誠実であることを要求する。これは肯定的ではないだろうか。神は人間に知恵を与える。これは肯定的ではないだろうか。神は、人間が善と悪を見分けることが出来るようにする。これは肯定的ではないだろうか。神は、人生の意味と価値を人間に理解させる。これは肯定的ではなかろうか。神は、真理に従い、人間に、人間や物事の本質を理解させる。これは肯定的ではなかろうか。(肯定的である。)これら全ての結果として、人間はサタンに騙されたり、危害を加えられたり、支配されたりすることが無くなる。換言すれば、これらの業により、人間はサタンの腐敗から完全に解放され、したがって人間は徐々に神を畏れ、悪を避ける道を歩むことができる。あなたがたは、その道をどの程度進んで来ているであろうか。この質問は、回答が困難ではないだろうか。しかし、少なくともあなたがたには、サタンが人間を腐敗させる方法や、何が邪悪であり、何が否定的な物事かに関して、初歩的な知識がある。(その通りである。)そうした初歩的な知識により、あなたがたは少なくとも正しい道を歩み、真理を理解し始め、人生の光を見ているので、あなたがたの神に対する信仰は強くなっている。



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世の終わりのキリスト全能神は、イエスの再臨です、「東方閃電」全能神教会を考察しまょう



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