わたしの前で仕えるわが民はみな、過去を思い返すべきである。あなたがたの、わたしへの愛は、不純なもので穢されていなかったか。あなたがたの、わたしへの忠誠は純粋で心からのものだったか。あなたがたの、わたしについての認識は真実であったか。あなたがたの心のどれほどの場所をわたしは占めているだろう。わたしはそのすべてを満たしているか。わたしの言葉のどれほどが、あなたがたの中で実現されているか。わたしを侮ってはいけない。わたしはこれらのことをすべて見通しているのだから。今日、わたしの救いの声が発された時、あなたがたの内にわたしに対する愛がいくらか増しただろうか。あなたがたの忠誠の一部が純粋になっただろうか。あなたがたのわたしについての認識は深まっただろうか。過去のたたえは、今日の認識の堅固な土台になっているだろうか。あなたがたの内のどれほどをわたしの霊が占めているだろう。わたしの姿は、あなたがたの内のどれほどの場所を占めているだろう。わたしの語ったことは、あなたがたのアキレス腱を打っただろうか。あなたがたは、ほんとうに自分の恥を隠す場所がどこにもないと感じているだろうか。あなたがたは、わが民となる資格がないと、ほんとうに信じているだろうか。もしあなたがたが、今のような問いにまったく気づかずにいるのなら、その人たちは、濁った水の中で釣りをしているのであり、数を合わせるためにだけそこにいる。その人は、わたしが予め定めた時には、必ずや除かれ、再び底なしの淵に投げ込まれるだろう。これは、わたしの警告の言葉である。これを軽んじる者は裁かれ、定められた時に災いに見舞われる。そうではないか。わたしはまだ、このことの例を示して説明しなければならないのか。あなたがたの基準について、もっと平明に話さなければならないのか。創造の時から今日まで、多くの人々がわたしの言葉にそむき、そのためにわたしの回復の流れからうち捨てられ、除かれた。最終的に彼らの体は滅び、その魂はハデスに投げ込まれる。そして、今日でも、その者たちは、まだ重い罰を受けている。多くの人々がわたしの言葉に従ったが、彼らはわたしの啓きと照らしにそむいたために退けられ、サタンの支配下に落ち、わたしに敵対する者になった。(今日、わたしに真っ向から敵対する者は、わたしの言葉の表面的な意味にだけ従い、わたしの言葉の本質に逆らう。)また、わたしが昨日語った言葉だけを聞いて、過去のくずにしがみつき、今日の産物を重んじようとしない人は大勢いる。そうした人々はサタンにとらわれているだけではなく、永遠の罪人になり、真っ向からわたしに敵対しているのだ。そうした人々は、わたしの怒りの最中にわたしの裁きを受けることになり、今日、まだ目が見えず、今も暗い牢獄にいる。(つまり、そうした人々は腐り、サタンに操られるしなびた死体なのであり、その人たちの目はわたしが覆っているから、目が見えないというのだ。)あなたがたが学べるように、参考として例を示すのがよいだろう。
パウロと聞くと、あなたがたは彼の生涯を思い起こすだろう。そうした物語のいくつかは不正確で、現実とは異なっている。彼は幼いころから両親の指導を受け、わたしのいのちを受けた。わたしが前もって定めたことにより、わたしの必要とする能力を備えていたのである。十九歳のとき、パウロはいのちについて、さまざまな書を読んだ。どのようにしてか、その詳細は述べないが、彼に素質があったため、わたしの啓きと照らしとにより、パウロは霊的物事について、ある程度の洞察力があっただけではなく、わたしの意図を把握することもできた。もちろん、これは内的・外的要因を排除するものではない。ともかく、パウロの唯一つの欠点というのは、すぐれた才能があったため、口達者で大口を叩くことがよくあった。その結果、不服従のため、その一部は、直接大天使が示したのだが、わたしがはじめて受肉したとき、あらゆる手段でわたしに逆った。彼はわたしの言葉を知らない者の一人で、彼の心の中にわたしの場所はすでになくなっていた。そうした人は、わたしの神性に真っ向から敵対し、わたしに打ち倒され、最後の最後にようやく、頭を垂れて自身の罪を告白するのだ。したがって、わたしがそうした人の長所を利用した後、つまり、彼が一定期間わたしのために働いた後、彼は再び以前の状態に戻り、わたしの言葉に直接逆らったわけではないが、わたしの内なる導きと啓きにそむいたので、以前の働きがすべて無益なものになった。つまり、そうした者の語った栄光の冠は、むなしい言葉、その人自身の想像の産物となったのだ。今日でも、その人はまだわたしの縛めの中にあり、わたしの裁きを受けているからである。
上記の例から、誰でもわたしに敵対する者は(わたしの肉の体だけではなく、さらにもっと重要なことには、わたしの言葉と霊──つまり、わたしの神性に逆らうことにより)その肉の身にわたしの裁きを受けることになるのだ。わたしの霊が人を離れると、その人は墜落し、まっすぐハデスに下る。そして、その人の肉の身は地上にあっても、精神を病んでいるようになる──その人は理知を失い、ただちに自分が死体になったように感じ、すぐさま肉の身を終わらせてくれるようにと、わたしに乞うほどになる。あなたがた霊をもつ者のほとんどは、こうしたことについて深く理解しているから、わたしが詳しく述べる必要はない。過去にわたしが普通の人間性をもって働いたときには、たいていの人間は、すでにわたしの怒りと威厳とに比べて自分を測っていて、すでにわたしの知恵と性質とについて、少しは知っていた。今日、わたしは神性において、直接話し、行動する。そして、まだわたしの怒りと裁きとをその目で見る人々がいる。さらに、裁きの時代の第二段階の主なる働きは、わが民にわたしの肉における業を直接知らせ、わたしの性質を直接見るようにすることなのである。しかし、わたしは受肉しているので、あなたがたの弱さを考慮している。わたしの希望は、あなたがたが自分の霊、魂、体をおもちゃのように無頓着に扱い、サタンに捧げないことである。持てるものすべてを大切にし、もて遊ばないことだ。そうしたことは、あなたがたの運命に関わっているのだから。あなたがたは、ほんとうにわたしの言葉の真に意味することを理解できるのだろうか。あなたがたは、ほんとうにわたしの真の思いを考えることができるのだろうか。
あなたがたは、地上で天のそれのような、わたしの祝福を受けたいと思っているのだろうか。あなたがたは、わたしについての理解、わたしの言葉を享受し、わたしについての認識を人生で最も貴重で意味深いものとして扱うつもりがあるだろうか。あなたがたは、ほんとうに、自分の前途を考えることなく、わたしに従うことができるのか。あなたがたは、羊のように、わたしに殺されたり、わたしに導かれたりすることを、ほんとうに受け入れられるのか。あなたがたの中に、そうしたことをなし遂げ得る人はいるだろうか。わたしが受け入れ、わたしの約束を得た人はみな、わたしの祝福を受けた人だということだろうか。あなたがたは、こうした言葉から何かを理解しているのだろうか。もしあなたがたを試したら、あなたがたは、ほんとうにわたしにすべてを委ね、そうした試練の中でわたしの意図を探り、わたしの心を理解するだろうか。わたしは、あなたがたが多くの感動的な言葉を語り、興奮するような物語りをするのを望まない。そうではなくて、わたしに立派な証しをすること、事がらをすべて現実に深く入ることを求める。もしわたしが直接話さなければ、あなたは、周囲のすべてを捨て、わたしに用いられることを受け入れられるだろうか。これが、わたしが求める実際なのではないか。誰がわたしの言葉の意味を把握できるだろう。しかし、あなたがたは、もはや不安に悩むことをやめ、積極的にわたしの言葉の本質を把握しなさい。それが、わたしの言葉を誤解したり、わたしの意味するところを正確に理解できず、わたしの行政に触れたりすることを防ぐだろう。わたしの言葉の中から、わたしがあなたがたについて意図していることを理解してくれることを願っている。自分の前途については、もう考えず、わたしの前ですべてを神の意思に委ねると決心したそのとおりに行動しなさい。わたしの家の内に立つ者はみな、できる限りの努力をしなければならない。あなたがたは、わたしの地上での働きの最終段階のために最高の努力をしなさい。あなたは、ほんとうに、そうしたことを実践する気持ちがあるだろうか。
1992年2月23日
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全能神よ、あなたは栄光に輝いている
1
最後のキリスト、全能神よ、贖い主よ再び来たれ
あなたは、人々に語られる
真理によって彼らを裁き、清めるために
あなたの言葉には権威と力があり
人々を腐敗した性質から清める
あなたの言葉は神の全能
そして何よりも神の義を現している
神の言葉は古い世界を裁き、国々を裁き、人々を裁く
神の言葉は全てを成し遂げる
神はすでに徹底的にサタンを打ちのめしたのだ
神をたたえよ。神をたたえよ
ああ全能神よ、あなたは栄光に輝いている!
あなたの偉大なる奇跡の御業よ!
全ての国、全ての民族は喜びに躍り上がる
2
神の御業は知恵に満ち全能であり
赤い大きな竜をも召使いとして使う
サタンは狂ったように凄まじい勢いで信者を迫害するが
患難は勝利者たちを完全にする
全ての人々は、神によって完成され
赤い大きな竜を全く見放す
サタンの国は壊滅してしまった
そして、神の国が地上に現れた!
私たちは、御前にひれ伏し礼拝し
神が地上に権力を打ち立てられた事をほめたたえる
真理と義が世界示されるのである
全ての国、全ての民族が声の限り神をほめたたえる
神をたたえよ。神をたたえよ
ああ全能神よ、あなたは栄光に輝いている!
あなたの偉大なる奇跡の知恵よ!
全ての国、全ての民族は喜びに躍り上がる
3
神の偉大な御業は完成した。神はシオンに戻られる
人類は神から素晴らしい救いを授かり
サタンの暗闇の勢力から逃れた
神の御言葉の一字一句は実を結ぶ
様々な人々の結末が明らかになった
真理を持つ者は神の祝福を受ける
神を憎む者たちは罰を受ける
凄まじい大災害が世界を破壊する。しかし神の民は残される
全ての国、全ての民族は神の御座の前に来る
全ての人々が心の限り神をたたえよ
神をたたえよ。神をたたえよ
ああ全能神よ、あなたは栄光に輝いている!
天と地の万物は喜びに躍り上がる。全能神の栄光を賛美して
『小羊に従って新しい歌を歌おう 』より
詳細を見る:全能神教会の由来
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今日は、あなたがた自身が生き残るために、わたしの働きが順調に進み、全宇宙にわたるわたしの幕開けの働きがより適切に、また完全に実現するように、すべての国家の人々に対するわたしの言葉、権威、威厳、裁きを明らかにし、あなたがたに警告を与える。あなたがたの間でわたしが実行する働きは、わたしの全宇宙にわたる働きの始まりである。今はすでに終わりの日であるが、「終わりの日」は時代の名前であり、この言葉は律法の時代や恵みの時代とまったく同じように時代を意味し、最後の数年間や数カ月ではなく、時代全体を表すことを知りなさい。ただし、終わりの日は、恵みの時代や律法の時代とはまったく異なる。終わりの日の働きはイスラエルで実行されるのではなく、異邦人の間で実行される。それはわたしの玉座の前でのイスラエル以外の全ての国々と人々に対する征服であり、これにより全宇宙にわたるわたしの栄光が宇宙全体に満ちるのである。これは、それによりわたしがさらに大きな栄光を得、地上のすべての被造物がすべての国家にわたしの栄光を、世代を超えて引き継ぎ、天と地のすべての被造物が、わたしが地上で得たすべての栄光を見ることができるようになるためである。終わりの日に実現される働きは、征服の働きである。これは地上のすべての人間の生活に対する導きではなく、人類の絶えることのない地上での数千年にわたる苦難の生活の結末である。そのため、終わりの日の働きは、イスラエルでの数千年にわたる働きや、ユダヤでの十年間の働き、それに続く、神の第二の受肉まで数千年続いた働きとは異なる。終わりの日の人々が出会うのはただ受肉した贖い主の再現であって、この人々は神から自ら働きと言葉を受ける。終わりの日が終結するまでに二千年はかからない。イエスがユダヤで恵みの時代の働きを実行したときと同様に、終わりの日は短い。これは、終わりの日は時代全体の結末だからである。終わりの日は六千年にわたる神の経営(救いの)計画の完了と終結であって、これによって人類の苦しみの人生の旅路が終わる。終わりの日は、人類のすべてを新時代に連れて行ったり、人類の生活を続けさせたりするわけではない。それはわたしの経営(救いの)計画や人類の存在にとって何の意味もない。人類がこのようであり続けるなら、遅かれ早かれ悪魔によって完全に食い尽くされ、わたしに属する魂は最終的に悪魔の手によって取り去られるだろう。わたしの働きは六千年しか続かない。そしてわたしは人類全体に対する悪い者の支配もまた、六千年より長くは続かないと約束した。もう時間はない。わたしはこれ以上続けたり遅らせたりはしない。終わりの日に、わたしはサタンを打ち負かし、わたしの栄光をすべて奪い回し、わたしに属する地上のすべての魂を取り戻して、これらの苦悩する魂が苦しみの海から逃れられるようにする。これにより地上におけるわたしの働き全体が結末を迎えるのである。この日より先、わたしは地上で再び受肉することはなく、すべてを支配するわたしの霊が地上で働くことは決してない。わたしが地上で行うのはひとつのことだけである。わたしは人類を、聖なる人類に造り直す。それは地上におけるわたしの忠実な都である。わたしは世界全体を滅ぼしたり、人類すべてを滅ぼしたりはしないことを知るべきである。わたしはその人類の残りの三分の一、わたしを愛し、完全にわたしに征服された人類の三分の一を保ち、イスラエル人が律法の下でそうであったように、この人類の三分の一を、多くの羊と家畜、そして土地のすべての実りにより育み、豊かにし繁栄させる。この人類はわたしのもとに永遠にとどまる。ただし、この人々は今日のどうしようもなく汚れた人類ではなく、わたしに得られたすべての人の集まりである。この人類はサタンにより傷つけられ、混乱させられ、包囲されることはない。彼らはわたしがサタンに勝利した後も地上に存在する唯一の人類となる。これは今日わたしに征服され、わたしの約束を得た人々である。そのため、終わりの日に征服された人間は、永遠に続くわたしの恵みも受ける。これはサタンに対するわたしの勝利の唯一の証拠であり、わたしのサタンとの戦いの唯一の戦利品である。これらの戦利品はサタンの支配下からわたしにより救われたのであり、わたしの六千年にわたる経営(救いの)計画の唯一の結晶であり実りである。この人々はあらゆる国家と教派から、また全宇宙のあらゆる場所と国から来る。彼らはさまざまな人種、さまざまな言語、習慣、肌の色を持ち、地球のあらゆる国家と教派、世界のあらゆる場所に広がっている。彼らは、完全な人類、サタンの力が及ばない人間の集合を形成するために集まって来る。人々の内でわたしに救われ征服されていない者は、海の深みに音もなく沈み、永遠にわたしの焼き尽くす火により焼かれる。わたしは、エジプトで初子と牛、羊の初子を滅ぼし、子羊の肉を食べて子羊の血を飲み、かもいに子羊の血を塗ったイスラエル人だけを残したのとまったく同じように、この古い、きわめて汚れた人々を滅ぼす。わたしに征服され、わたしの家族である人々はまた、子羊であるわたしの肉を食べ、子羊であるわたし血を飲み、わたしに贖われ、わたしを礼拝する人々でもあるのではないか。このような人々は常にわたしの栄光に伴われていたのではないのか。子羊であるわたしの肉を持たぬ者はすでに、海の深みに音もなく沈んだのではないか。今日、彼らはわたしに反対し、わたしの言葉はちょうどヤーウェがイスラエルの子孫に語った言葉のようである。あなたがたの心の深みにある頑なさによりわたしの怒りが蓄えられ、あなたがたの肉体にさらなる苦しみが生じ、あなたがたの罪に対してさらなる裁きが、不義に対してさらなる怒りがもたらされる。今日わたしをこのように扱うなら、誰がわたしの怒りの日に赦されるというのだろうか。わたしの刑罰の目を誰の不義が逃れられるだろうか。誰の罪が全能者であるわたしの手を避けられるだろうか。誰の反逆が全能者であるわたしの裁きを受けられるだろうか。わたしヤーウェが異邦人の家族の末裔であるあなたがたに話す。わたしがあなたがたに語る言葉は、律法の時代と恵みの時代のすべての言葉を超えるものである。しかしあなたがたは、エジプトのすべての人々よりもさらに頑なである。わたしが穏やかに働いている間にも、あなたがたはわたしの怒りを蓄えているではないか。どうやってあなたがたは、全能者であるわたしの日から無事に逃れられるというのか。
わたしはこのようにあなたがたの中で働き、話した。わたしは多くの力と努力をつぎ込んだが、あなたがたはわたしがはっきりと語った言葉に耳を傾けたことがあっただろうか。あなたがたはどこで全能者であるわたしにひれ伏したか。なぜあなたがたはわたしをこのように扱うのか。なぜあなたがたが話すことすることすべてがわたしの怒りを呼び起こすのか。なぜあなたがたの心はそれほど頑ななのか。わたしはあなたがたを撃ったか。なぜあなたがたはわたしを悲しませ心配させることしかしないのか。あなたがたはわたしヤーウェの怒りの日があなたがたに及ぶのを待っているのか。あなたがたの不服従により呼び起こされた怒りをわたしがあらわすのを待っているのか。わたしがするすべてのことはあなたがたのためではないのか。それなのにあなたがたはいつもわたしヤーウェをこのように扱ってきた。わたしの捧げ物を盗み、わたしの祭壇のいけにえを家に持って帰り、オオカミの巣にいる子や孫を養った。「人々」は互いに戦い、怒りに満ちたまなざしで、剣と槍を持って向かい合い、全能者であるわたしの言葉を便所に投げ込み、排泄物のようにけがれたものにしてしまった。あなたがたの人格はどこにあるのか。あなたがたの人間性は獣性になってしまった。あなたがたの「心」はずっと前に石になってしまっている。あなたがたは、わたしの怒りの日が来るときこそ、今日あなたがたが全能者であるわたしに対して行う悪をわたしが裁くときであることを知らないのか。このようにわたしをだまし、わたしの言葉を沼地に投げ込んで耳を傾けず、わたしの背後でこのようにふるまって、わたしの怒りの目を逃れられると思うのか。あなたがたがわたしのいけにえを盗み、わたしの物を欲しがったとき、あなたがたはわたしヤーウェの目に既に見られていたことを知らないのか。あなたがたがわたしのいけにえを盗んだとき、それはいけにえが捧げられた祭壇の前であったことを知らないのか。このようにわたしをだませるほど自分たちが賢いなどとなぜ思うのか。あなたがたの憎むべき罪からどうやってわたしの怒りをそらせるだろうか。どうしてわたしの怒りがあなたがたの悪行を見逃せるだろうか。あなたがたが今日行う悪は、あなたがたに逃げ道を用意することはなく、あなたがたの明日に刑罰を積み重ねる。それは、あなたがたに対して全能者であるわたしの刑罰を招く。あなたがたの悪行と悪しき言葉が、どうしてわたしの刑罰から逃れられるだろうか。どうしてあなたがたの祈りがわたしの耳に届くだろうか。どうしてあなたがたの不義に、わたしが逃げ道を用意するだろうか。どうしてわたしに逆らって行うあなたがたの悪行をそのままにしておけるだろうか。蛇の舌のように毒に満ちたあなたがたの舌を切らずにいられるだろうか。あなたがたは自分の義のためにわたしに依り頼まず、自分の不義の結果としてわたしの怒りを積んでいる。どうしてわたしがあなたがたを赦せるだろうか。全能者であるわたしの目には、あなたがたの言葉と行いは汚れている。全能者であるわたしの目は、あなたがたの不義を無限の刑罰とみなす。どうしてわたしの義なる刑罰と裁きがあなたがたから離れるだろうか。あなたがたがわたしにこれを行い、わたしを悲しませ怒らせるのに、わたしがあなたがたをわたしの手から逃れさせ、わたしヤーウェがあなたがたを罰し、呪う日から離れさせることなどできようか。あなたがたのすべての悪しき言葉が、すでにわたしの耳に届いていることを知らないのか。あなたがたの不義がすでにわたしの聖なる義の衣を汚したことを知らないのか。あなたがたの不服従がすでにわたしの激しい怒りを呼び起こしたことを知らないのか。あなたがたがわたしを怒ったまま長いこと放置し、わたしの忍耐をずっと試してきたことを知らないのか。既にあなたがたがわたしの肉体をぼろぼろに傷つけたことを知らないのか。わたしはこれまで我慢してきたが、わたしはわたしの怒りを解放し、あなたがたに対してもはや寛大ではいない。あなたがたの悪行がすでにわたしの目に届き、わたしの叫びがすでにわたしの父の耳に届いていることを知らないのか。どうして彼が、あなたがたがわたしをこのように扱うことを許すだろうか。わたしがあなたがたに行うすべての働きはあなたがたのためではないか。それなのにあなたがたのうち誰が、わたしヤーウェの働きをさらに愛するようになっただろうか。わたしが弱いために、わたしが受けた苦しみのために、わたしの父の心に忠実でないことができるだろうか。わたしの心が分からないのか。わたしはヤーウェがしたのと同じようにあなたがたに話す。あなたがたのためにわたしは多くを捧げたではないか。わたしが父の働きのためにこの苦しみすべてに喜んで耐えるとしても、わたしの苦しみの結果としてあなたがたの上にもたらす刑罰を、どうしてあなたがたが免れられるだろうか。あなたがたはわたしの多くを享受したではないか。今日、わたしはわたしの父によってあなたがたに与えられた。あなたがたは、わたしの気前の良い言葉より、はるかに多くを享受していることを知らないのか。わたしの命が、あなたがたの命とあなたがたが享受する事柄と引き換えられたことを知らないのか。わたしの父がサタンと戦うためにわたしの命を使い、またわたしの命をあなたがたに与えて、あなたがたが百倍も受けるように、多くの誘惑を避けられるようにしたことを知らないのか。あなたがたが多くの誘惑と、また多くの火の刑罰を免れたのは、ただわたしの働きによってであることを知らないのか。あなたがたがこれまで楽しむことをわたしの父が許していたのは、ただわたしの故であることを知らないのか。どうしてあなたがたの心は、たこができてしまったかのように、頑ななままでいられるのか。あなたがたが今日行う悪が、わたしが地上から去った後に来る怒りの日を、どうして逃れられるだろうか。これほど心の頑なな者を、どうしてヤーウェの怒りから逃れさせることができるだろうか。
過去のことを思い出してみなさい。あなたがたに対していつわたしの視線が怒りに満ちており、わたしの声が厳しかったか。いつわたしがあなたがたにささいなことを言い立てたか。いつわたしがあなたがたを理不尽に叱責したか。いつわたしがあなたがたを面と向かって叱責したか。わたしの働きのために、わたしが父にあなたがたをすべての誘惑から守ってくれるように頼むのではないか。なぜあなたがたはわたしをこのように扱うのか。わたしが、あなたがたの肉体を撃つためにわたしの権威を使ったことがあるだろうか。なぜあなたがたはそのようにわたしに報いるのか。わたしに対する態度をころころ変えた後で、あなたがたは熱くも冷たくもない。そしてあなたがたはわたしをだまし、わたしから物事を隠す。あなたがたの口は不義の唾で満ちている。あなたがたは自分の舌でわたしの霊をだませると思うのか。あなたがたの舌がわたしの怒りを逃れられると思うのか。あなたがたはあなたがたの舌が望みのままに、わたしヤーウェの業をさばかれると思うのか。わたしは人がさばかれる神であろうか。どうして小さな蛆虫がわたしを冒涜するのを許せるだろうか。どうしてこのような不従順な者たちをわたしの永遠の恵みの中に置けるだろうか。あなたがたの言葉と行いはずっと前から白日の下にさらされており、あなたがたを罪に定めた。わたしが天を拡げ、万物を創造したとき、わたしはどの被造物にも彼らの望みのままに参加することを許せず、ましてやどの被造物にも、その望むままにわたしの働きとわたしの経営を妨げさせたりはしなかった。わたしは人間にも物にも我慢しなかった。どうしてわたしに対して残酷で無慈悲な者を見逃せるだろうか。どうしてわたしの言葉に逆らう者を見逃せるだろうか。どうしてわたしに対して不従順な者を見逃せるだろうか。人間の運命は全能者であるわたしの手の内にあるのではないか。どうしてあなたの不義と不服従を聖であると見なせるだろうか。どうしてあなたの罪がわたしの聖さを汚せるだろうか。わたしは不義の汚れ不純によって汚されることはなく、不正を行う者の捧げものを喜ぶこともない。あなたがわたしヤーウェに忠実であるのなら、わたしの祭壇のいけにえを取って自分のものとすることなどできるだろうか。あなたは毒のある舌を使って、わたしの聖なる名を冒涜できただろうか。このようにわたしの言葉に反逆できただろうか。わたしの栄光と聖なる名を悪い者であるサタンに仕える道具として使えるのだろうか。わたしのいのちは聖なる者たちの喜びのために与えられた。どうしてあなたの望むままにわたしのいのちをもてあそび、それをあなたがた同士の争いの道具として使うのを許せるだろうか。なぜわたしに対してそのように心無く不親切になれるのか。わたしがすでにこれらのいのちの言葉にあなたがたの悪行を書いたことを知らないのか。わたしがエジプトを罰するとき、あなたがたがどうして怒りの日から逃れることができようか。このように繰り返し、あなたがたに敵対され反逆されることがどうしてあるのだろうか。はっきり言うが、その日が来ると、あなたがたへの刑罰はエジプトのそれよりも耐えがたいものになるだろう。わたしの怒りの日をどうして逃れられようか。まことにわたしは言う。わたしの忍耐はあなたがたの悪行のために用意されているのであり、その日のあなたがたの刑罰のために存在するのである。いったんわたしが忍耐の限界に達したら、怒りに満ちた裁きに苦しむことになるのはあなたがたではないのか。すべてのことは全能であるわたしの手の内にあるのではないのか。どうして、天の下であなたがたがそのようにわたしに逆らうのを許すことができるだろうか。来ると言われていながら来たことのないメシアに出会ったので、あなたがたの人生は非常に困難なものになるだろう。あなたがたは彼の敵ではないのか。イエスはあなたがたの友だったが、あなたがたはメシアの敵である。あなたがたがイエスの友であっても、あなたがたの悪行が嫌悪されるべき人々の器を満たしたことを知らないのか。あなたがたがヤーウェと非常に親しくても、あなたがたの悪しき言葉がヤーウェの耳に届き、彼の怒りを招いたことを知らないのか。どうして彼があなたがたと親しくあれるだろうか。どうして悪行で満たされたあなたがたの器を焼かずにいられようか。どうして彼はあなたがたの敵とならずにいられようか。
私たちについて:全能神教会はどうやって生まれたでしょうか
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私は神を永遠に愛す
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ああ、神よ!あなたの御言葉は
私があなたに戻るよう導いてきた
私は昼も夜もあなたの御国での訓練を受け入れる
数多くの試練と痛み、そして苦難
何度も涙を流し、悲しみに沈み
そして何度もサタンの罠に陥ってきた
でもあなたは決して私から離れ去ることはなかった
あなたは困難の中で私を導き
危険の中で私を守ってくださった
そして今、あなたがずっと
私を愛してくださっているのを知る
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ああ、神よ!あなたは私を新たな生活へと導かれる
あなたの御言葉を楽しみながら
私はあなたの御旨を理解している
あなたの御言葉は私を裁き、罰し
私の腐敗を清める
試練を通して、あなたに従うことを学んでいる
神の御言葉の中で育まれ、私は神を知るに至った
私は心からあなたの証しと栄光のために
自分の本分を尽くすことを願っている
私はこれからも常にあなたを愛するだろう
祝福されても、呪われても
私はあなたの御心のままにあることを喜ぶだろう
私はあなたに真の愛をささげ
あなたを待たせることはしない
私はあなたに純粋な愛をささげるので
どうぞ楽しんでください
私はあなに私の全ての愛をささげ
私の愛を獲得してもらいます
私はこれからも永遠にあなたを愛するだろう
そしてあなたを満足させるが、私の望み
『小羊に従って新しい歌を歌おう』より
その他の内容:[東方閃電]全能神教会はどうやって創られたでしょうか
あなたは神を信じる者の一人として、今日、終わりの日の神の働きやあなたに対する神の計画の中にあるすべての働きを受ける中で、あなたは神により引き上げられ、救いを受け取っていることを理解しなくてはならない。全宇宙のすべての神の働きは、この一団の人々に焦点を当てている。神はすべての努力をし、あなたがたの犠牲となった。全宇宙のすべての聖霊の働きを取り戻し、あなたがたに与えたのだ。だから私は言う。あなたがたは幸運なのだと。それに加えて神は、自分が選んだイスラエルの民から自分の栄光をあなたがたへと移した。それはあなたがた一団を通して、神の計画の目的を全て明らかにするためである。ゆえにあなたがたは神の嗣業を受け、更に神の栄光の継承者となるのだ。あなたがたは皆このような言葉を覚えているだろう。「このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。」誰でもこの言葉を耳にしたことがあるだろうが、その言葉の真意を理解した者はいない。今日あなたがたは、この言葉の真の意味をよく理解している。これらの言葉は終わりの日に神が成就するものだ。そしてそれは、赤い大きな竜の横たわる地で、竜にひどく苦しめられている人々の上に成就する。赤い大きな竜は神を迫害する神の敵であり、よってこの地において神を信じる者たちは屈辱や迫害を受けている。ゆえにこれらの言葉は、あなたがた一団の身に実現するのだ。神に逆らう地において働きが行われるため、すべての神の働きは過度の妨害を受け、神の言葉の多くはすぐには達成されない。ゆえに、人々は神の言葉によって精錬される。これもまた、苦しみの要素である。神にとって赤い大きな竜の地で自分の働きを実行することは非常に困難だが、神はこのような困難を通して、自分の働きのひとつの段階を実行し、自分の知恵と素晴らしい業を明らかにする。神はこの機会を通して、この一団の人々を完全にする。人々の苦しみ、彼らの素質、そしてこの汚された地における人々のすべてのサタン的な性質がゆえに、神はその清めや征服の働きを行うことで栄光を手にし、その業の証人となる人々を手にするのだ。これが、神がこの一団の人々に行った全ての犠牲に関する完全な意義だ。つまり、神は自身に逆らう者たちを通して征服の働きを行うのだ。そうすることでのみ、神の力が現わされるのだ。言い換えれば、汚された地にいる者たちのみが神の栄光の継承者に相応しく、これが唯一、神の力を際立たせることができるのだ。それだから、神の栄光は汚された地とそこに住む者たちから得られると言おう。これが神の心だ。これはイエスの段階の働きと同じだ。イエスは、彼自身を迫害したパリサイ人たちを通してのみ栄光を受けることができた。そのような迫害やユダの裏切りがなければ、イエスは嘲笑されたり中傷されたりすることもなく、ましてや十字架に付けられることなどなく、栄光を受けることは不可能だったに違いない。神が各段階のどこで働いても、どこで肉の働きをしても、神はそこで栄光を受け、自分が得ようとする者たちを得るのである。これが神の働きの計画であり、神の経営である。
数千年に亘る神の計画の中にある肉による働きは二つの部分から成る。ひとつは十字架に付けられることであり、これにより神が栄光を受けた。もう一つは終わりの日の征服と完全にするための働きであり、それによっても神が栄光を受ける。これが神の経営である。ゆえに神の働きや神があなたがたに託したことをあまり簡単に考えてはならない。あなたがたは、あなたがたが思うものをはるかに超越した、神の、永遠で重大な栄光の継承者であり、神がそう定めたのである。神の栄光の二つの部分のうち、一つはあなたがたの中に現れている。神の栄光の一つの部分すべてがあなたがたに授けられており、あなたがたが継承する。これは神が引き上げたのであり、はるか昔に定められた神の計画である。大きな赤い竜が住む地において神が偉大な働きを行ったことを考えれば、その働きをどこか別の地で行えば、とうの昔にすばらしい実を結んでおり、容易に人に受け入れられていただろう。神を信じる西洋の聖職者たちにとっては、そのような働きを受け入れることはいとも簡単なことだっただろう。イエスによる段階の働きが前例となっているからだ。だから、神は自身が栄光を得るこの段階の働きを別のどの場所でもなしえないのである。つまり、全ての人間から支持され、全ての国から認められているので、神の栄光を得ることができないのだ。そしてこのような事実にこそ、この段階の働きがこの地でなされることの重要な意味がある。あなたがたの中には、誰一人として法の保護を受けているものはおらず、むしろ法により罰せられている。さらに難しいことには、一人としてあなたがたを理解する者はいない。親戚や両親も、友人も、仲間も、誰一人としてあなたがたを理解しない。神があなたがたを「拒絶」するなら、あなたがたが地上に生き続ける手段などない。しかしそれでも尚、人々は神から離れることに耐えられない。これが神の人々への征服の意味であり、神の栄光なのだ。あなたがたが今日受け継いだものは、昔の使徒や預言者たちのそれに優るものであり、モーセやペテロのそれにも優るものである。祝福を一日や二日で受けることはできない―それは多くの犠牲を伴って初めて受け取れるものだ。つまり、精錬された愛や大きな信心、そして神があなたがたに求める多くの真理を持たなくてはならない。それに加えて、義を追い求める姿勢を崩さず、おびえたり屈服したりすることなく、神に対して変わらぬ愛をいだいていなくてはならない。あなたがたの決意が求められ、あなたがたのいのちの性質を変えることが求められる。堕落した部分を改善し、神の采配を不平不満なくすべて受け入れ、死にまでも従順でなくてはならない。これが、あなたがたが達成しなければならない事である。これが神の最終目的であり、この一団に神が求める要求である。神はあなたがたに施したが、彼はあなたがたが彼の要求を満たして報いることを要求する。それだから、神はむやみに働くのではない。なぜ神が何度も高い基準の働きをし、厳しい要求をするのかが分かるだろう。このような訳で、あなたがたは神に対する信心で満たされていなくてはならないのである。要するに、あなたがたが神の嗣業を受け継ぐに相応しい者となるため、神がすべての働きをあなたがたのためにしたのだ。これは神自身の栄光のためというよりあなたがたの救いのため、そして汚された地で深く苦しんでいるこの一団の人々を完全にするためである。あなたがたは神の心を理解しなくてはならない。だからこそ私は見識や理知のない多くの愚かな人々に、こう勧める。これ以上神を試みたり、抵抗したりしてはならないと。神は人が経験したことのないような苦しみすべてを耐え抜き、はるか昔に人間に代わってさらに多くの屈辱にも耐えた。あなたがたは他に何か手放せないものなどあるだろうか。神の心以上に大切なもの何があるだろうか。神の愛に優るものなどあるだろうか。この汚された地において神がその働きをするのは倍の困難を伴うというのに、もし人が承知の上で、意図的に背くのであれば、神の働きは長期化せざるを得ない。どのような場合にも、それは誰の得にも益にもならない。神は時間に制約されることはない。自分の働きと栄光が優先される。ゆえにどれだけ時間がかかろうとも、神自身の働きに関してはいかなる犠牲をもいとわない。これが神の性質である。神はその働きを成し遂げるまで休むことはない。神が自分の二つ目の栄光を獲得する時初めて、その働きが終わりを迎える。その栄光を獲得する二つ目の働きを全宇宙において成就できなければ、自分の日は永遠に来ることはなく、神の手を選民たちから離すこともできず、その栄光がイスラエルにやって来ることもなく、神の計画が完結することも決してないだろう。神の心と働きは、天地や万物創造のように簡単なものでないことを理解しなくてはならない。なぜなら今日その働きとは、堕落した人たちや極端に麻痺してしまった人たちを変え、創造されながらもサタンに影響を受けてしまった人たちを清めることであり、アダムとエバを創造することではなく、ましてや光を創ったり、あらゆる植物や動物を創造したりすることではない。神の働きは今やサタンによって堕落したすべてのものを清めて取り戻し、自分のものとし、自分の栄光とするためのものである。そのような働きは、人間が想像する天地や万物の創造のように簡単なものではなく、人間が想像するような、サタンを呪いながら底なしの淵へ送るようなものでもない。むしろそれは人間を変えるものであり、否定的なものを肯定的なものに変え、神に属さないものを神の所有物にすることだ。これがこの段階での神の働きの秘められた意味である。あなたがたはそれに気づかなくてはならないし、物事を安易に考え過ぎてはならない。神の働きは、どの普通の働きとも異なるものだ。そのすばらしさは人間の頭では考えることができず、その知恵は人間が獲得できるものではない。神は万物を創造しているのでも、それらを破壊しているのでもない。むしろ、神は自分の創造物を変え、サタンによって汚されたすべてのものを清めているのだ。それゆえ神は大規模な働きを始める。そして、これが神による働きの意義の全てである。以上を読み終えたあなたは、神の働きが簡単だと思うだろうか。
全能神を認識しましょう
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