全能神は真理です

全能神―主イエスの再臨

いのちの経験の讃美歌「私はあなたをいつも心に宿らせる」

2017-08-08 23:36:22 | 全能神教会いのちの経験の讃美歌MV

 

私はあなたをいつも心に宿らせる
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あなたは春夏秋冬私に伴われる
あなたの寂しそうな顔を見ると
悲しみの波が私の心に押し寄せて来る
私はこれまで一度もあなたの悲しみを和らげたこともなく
孤独なあなたを思い遣ったこともない
何度あなたの真剣な言葉に直面しても、私は頑ななままである
私はいつもあなたの心を悲しませ、あなたを失望させてしまう
懲らしめられた後だけ、私はほんの少し悟りを得る
私はあなたの傍にいるのに
あなたのために重荷を背負うことができない
私には分別がなく、あなたの苦難を理解することもできない
私は自分の欲望と肉のために真理と道徳を忘れてしまった
後悔の念に満たされたとしても
私はもうずっと前からあなたを失望させてきた
あなたの悲哀の極みにも私は悲しみすら感じることが出来ない
堕落の中で苦しみにうめきながら
私は貪欲な手を差し伸べて乞い願った
あなたの悩みを少しでも分かち合う
良心と理知のある者が誰かいるだろうか?
あなたの心は優しさにあふれ、あなたの愛は貴く真実である
あなた以上に美しく気高い人は誰かいるであろうか!
私は永遠にあなたと共にいて決してあなたの傍を離れない
私は永遠にあなたと共にいて決してあなたの傍を離れない
あなたの心は優しさにあふれ、あなたの愛は貴く真実である
あなた以上に美しく気高い人は誰かいるであろうか!
私は永遠にあなたと共にいて決してあなたの傍を離れない
私は永遠にあなたと共にいて決してあなたの傍を離れない
喜びと楽しみがあなたの御顔に表れますように
あなたがいつも私の心に宿りますように
喜びと楽しみがあなたの御顔に表れますように
あなたがいつも私の心に宿りますように
いつも私の心に宿りますように
『小羊に従って新しい歌を歌おう』より


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全能神の発表「あなたがたは自分の行いを考慮すべきである」

2017-08-07 23:34:08 | 全能神の発表

 

 あなたがたの生活における行いから判断して、あなたがたに与え、満たしてくれる一節が皆毎日必要である。というのは、あなたがたはあまりにも欠けが多く、あなたがたの認識と受け取る能力はあまりにも不十分だからである。あなたがたは日常生活の中で、真理や良心のない環境の中で生きている。あなたがたは存在するための資本を欠いており、わたしや真理を知る基盤もない。あなたがたの信仰はただ漠然とした自信あるいは教義のみに基づく宗教的儀式や認識の上に築き上げられている。毎日、わたしはあなたがたの行動を観察し、あなたがたの意図や悪い結果を吟味する。いまだかつて、決して動かされたことのないわたしの祭壇に、心と霊を本当に捧げた人を見つけたことはなかった。だから、わたしはそのような人間にわたしが表現したい言葉のすべてを無駄に注ぎたくはないと思っている。わたしは心の中では、まだ終わっていない仕事を完成し、わたしがまだ救っていない人類に救いをもたらすことだけを計画している。にもかかわらず、わたしに従ってくれる人たちがみな、わたしの救いとわたしの言葉が人に授ける真理を受け入れてくれるよう、わたしは願っている。わたしは望んでいる、いつか、あなたが目を閉じるとき、あなたがある世界を、すなわち、暗闇が空を覆い、わめき声が決して終わることのない荒れた冷たい世界ではなく、空気が香りで満たされ、生ける川の水が流れるような世界を、見ることを。

 毎日、すべての人の行いや考え方が神に注目され、それと同時に彼ら自身の明日への準備となる。これはすべての生きている人が歩かなければならない道であり、わたしがすべての者に運命づけた道である。誰もこの道を免れることはできないし、例外は一つもない。わたしは数えきれないほどの言葉を語り、さらに数えきれないほどの量の働きを行ってきた。毎日、わたしは一人ひとりが、その従来の本性およびそれがどのように進化するかに応じて、すべき全てのことを自然に遂行している様子を見ている。知らないうちに、多くの人たちはすでに「正しい軌道」に乗っていた。この正しい軌道は、わたしによってあらゆる種類の人たちが明らかにされるために定められたのだ。わたしはすでにそれぞれの人を違った環境に置いており、その場所で、一人一人は生まれ持った特性を表現し続けている。彼らを縛る者は誰もいないし、彼らを誘惑する者も誰もいない。彼らはすべてにおいて自由であり、彼らが表現するものは自然に出てくる。彼らを自由にさせないたったひとつのものがある。それは、わたしの言葉である。だから多くの人たちは不承不承にわたしの言葉を読むが、彼らの最後が死では終わらないようにそうしているだけであり、決してわたしの言葉を実践しているわけではない。その一方で、一部の人たちは彼らを導き彼らに施すわたしの言葉がなくては日々耐え難いことに気づき、自然にわたしの言葉をいつも手放さないでいる。時が経つにつれてやっと、彼らは人生の秘密、人類の終着点、人間であることの価値を発見する。人類はわたしの言葉の前でこのような有様でしかない。わたしはただすべてのことを自然の成り行きに任せているだけである。わたしは、人がわたしの言葉をその存在の基盤とし、それによって生きるよう強制するようなことは一切しない。そして、良心や自分たちの存在の価値観を持ったことのない人たちは、静かに事の成り行きを観察し、大胆にわたしの言葉を投げ捨て、自分たちの好きなようにする。彼らは真理や、わたしから出るすべてのものに嫌になる。さらに彼らはわたしの家にいることにもうんざりする。このような人たちはたとえお仕えをしていても、彼らの終着点のため、そしてわたしの懲罰を逃れるために、わたしの家に一時的に滞在する。しかし、彼らの意図は決して変わることはないし、行動も変わることはない。このことは彼らの、祝福に対する願いを助長し、ただ一度で神の国に入り、そこに永久に留まることができ、さらに永久の天国に入る欲求までも助長した。わたしの日が来るのを彼らが待ち焦がれれば焦がれるほど、ますます彼らは、真理が彼らの道の障害物となり、躓きの石となっていると感じる。彼らは、天国の祝福を永久に楽しむために、神の国に入るのを待ちきれない、それも、真理を追求する必要もなく、裁きも刑罰も受ける必要はなく、とりわけ、わたしの家に従属的に留まり、わたしの命令に従うことなどなく。これらの人々がわたしの家に入るのは、真理を求める心を満たすためでも、わたしの経営の下でともに働くためでもない。彼らは単に次の時代に滅ぼされない人たちの仲間に入りたいだけである。よって、彼らの心は、真理とは何か、あるいは真理をどのように受け入れるかなどを全く知るにいたっていない。これが、そのような人たちが真理を実践したことがなく、自らがどれだけ堕落しているかを理解したことがないにもかかわらず、最後まで「しもべ」としてわたしの家に泊まった理由である。彼らは「忍耐強く」わたしの日が来るのを待ち、わたしの働きの方法で翻弄されても疲れを知らない。彼らがどんなに努力しても、彼らがどんな代価を支払っても、誰も彼らが真理のために苦しみ、わたしのために犠牲を払ったことを見ないだろう。彼らの心の中では、わたしが古い時代を終わらせる日を見るのを待ちきれず、さらに、彼らはわたしの力と権威がいかに偉大であるか、切に知りたいと願っている。彼らが決して急いで行おうとしなかったこと、それは、自らを変え真理を追求することである。彼らはわたしがうんざりしているものを愛し、わたしが愛しているものに彼らはうんざりしている。彼らはわたしが忌み嫌うものを慕い、と同時にわたしが忌み嫌うものを失うことを恐れている。彼らはこの邪悪な世に生きているが、それを憎んだことはなく、この世がわたしに滅ぼされるのを心底恐れている。彼らが持っている目的は矛盾している。彼らはわたしが憎むこの世を楽しんでいるが、と同時にわたしがこの世をまもなく滅ぼすよう待ち望んでいる。こうすることで、彼らが真理の道から外れてしまう前に破滅の災難を免れ、次の時代の主人へと変えられるからだ。これは彼らが真理を愛さず、わたしから出る全てのものにうんざりしているからである。おそらく、彼らは祝福を失わないように、しばらくは「従順なる人たち」になるだろうが、彼らの祝福切望症や滅びと燃える火の池に入ることへの恐怖が覆い隠されることは決してないだろう。わたしの日が近づくにつれ、彼らの欲望は着実に強くなってくる。そして災いが大きければ大きいほど、わたしを喜ばせるにはどうしたらよいか、彼らが長い間待ち望んできた祝福を失うのを避けるためには何をどうしたらよいかが分からなくなり、彼らはますます無力になる。一旦わたしの手がその働きを始めると、このような人たちは前衛として仕えるために熱心に行動する。彼らはわたしが彼らに気づかないことを深く恐れ、軍隊の第一線に押し寄せることだけを考える。彼らは自分たちの行為や行動が全く真理に沿っておらず、わたしの計画をただ単に破壊し、妨害させるだけであるということを知らないで、自分が正しいと思うことを言ったり行ったりする。彼らは大いに努力するかもしれないし、困難に耐える意思や意図は真実かもしれないが、彼らがすることすべてがわたしとは関係がないものばかりだ。彼らの行いが良い心がけから出ているのを一度も見たことはないし、ましてや彼らがわたしの祭壇に何か置くのを見たことは決してなかったからだ。これが、彼らが長年わたしに見せてきた行いである。

 はじめは、あなたがたにもっと真理を与えたいと願ったが、あなたがたの真理に対する態度があまりにも冷たく無関心であるため、わたしはあきらめなければならない。わたしは自分の努力が無駄になることは望まないし、人々がわたしの言葉を持ちながら、いたるところでわたしに逆らい、中傷し、冒涜するのを見たくはない。あなたがたの様々な態度と人間性の故に、わたしはあなたがたにとって非常に大切な言葉のごく一部分だけを、人間のためのテストとしてあなたがたに与える。今になってやっと、わたしが下した決断や計画があなたがたの必要と合致していることを本当に確信し、さらに、わたしの人類に対する態度は正しいものであると確信している。あなたがたが長年にわたってわたしに見せてきた行動から、これまで受け取ったことのない答えが出た。そして、このような答えに対する質問は、「真理と真の神の前における人の態度とは、どのようなものだろうか」である。わたしが人に注いできた努力は、人を愛することがわたしの本質であることを証明してきた。そして、わたしに見せる人の行動や行為は、真理を憎みわたしに反抗する人の本質を証明した。わたしは常にわたしに従ってきたすべての人たちを気にかけているが、わたしに従う人たちはわたしの言葉を決して受け入れられない。彼らはわたしから出る提案でさえ、ひとつとして受け取ることができない。これがわたしをもっとも悲しませる。たとえわたしの態度が誠実で、わたしの言葉がやさしくても、誰もわたしを理解できないし、その上、誰もわたしを受け入れることはできない。人々はみな、わたしにまかされた仕事を、自分の本来の意図に従って進めている。彼らはわたしの考えを求めることもなく、ましてやわたしの要望など尋ねることもない。みなわたしに逆らっているのに、彼らは依然としてわたしに忠実に仕えていると主張している。多くの人たちは、彼らに受け入れられない真理あるいは彼らが実践できない真理は、真理ではないと信じている。そのような人たちにとって、わたしの真理は否定され、投げ捨てられるようなものになっている。それと同時に、わたしは言葉の上だけで神として人に認められるようになり、真理でも、道でも、いのちでもない部外者とみなされるようになった。わたしの言葉は永遠に変わらない真理である。わたしは人間にとっていのちの提供者で、人類のための唯一の案内人である。だが誰もこの真実を知らない。わたしの言葉の価値と意味は、人間に認められているか受け入れられているかではなく、言葉自体の本質で決定される。たとえこの地上でだれひとりわたしの言葉を受け入れることができないとしても、わたしの言葉の価値と、どれだけそれが人類に対する助けになるかは、人には評価できないほどである。だから、わたしの言葉に逆らい、論駁し、あるいはわたしの言葉を全く軽蔑している人たちに直面するとき、わたしの変わらない姿勢はこうである。時と事実をわたしの証人とさせ、そしてわたしの言葉は確かに真理であり、道であり、いのちであることを証明する。そして、わたしが言ってきたことはすべて正しく、人はそれを備えるべきであり、さらに人はそれを受け入れるべきであることを彼らに実証させよう。わたしはわたしに従う人たちすべてにこの事実を知らせる。すなわち、わたしの言葉を完全に受け入れることができない人たち、わたしの言葉を実践できない人たち、わたしの言葉に目的を見いだせない人たち、そしてわたしの言葉ゆえに救いを受け入れることができない人たちはわたしの言葉によって罪に定められた人たちであり、さらにわたしの救いを失ってきた人たちである。わたしのむちは決して彼らから離れることはない。

2003416



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全能神の発表「宗教奉仕を取り締まるべきである」

2017-08-05 22:14:22 | 全能神の発表

 

 全宇宙に於いてが働き始めた最初から、神はあらゆる地位、職業の人たちを含めて、神に仕える多くの人たちを前もって選んだ。神の目的は自分の心を達成し、地上での働きが実を結ぶよう確証することである。神に仕える人々を選ぶにあたって、これが神の目的である。神に仕える人はすべて神の心を理解しなければならない。神の働きを通して、人々は神の知恵と神の全能をよく知ることができ、また地上での神の働きの原則をよく見ることができる。神は実際に働くため、また彼らが神の行いをもっとはっきり見ることができるように、地上に来て人々と接触する。今日、実際の神に仕えるのはあなたがたにとって名誉なことである。あなたがたにとって、これは素晴らしい祝福である。神はまことにあなたがたを高い地位につけようとしている。神に仕える人を選ぶ時、神はいつも自分の原則を持っている。神に仕えることは人々が想像するように、ただ熱心であるかどうかの問題ではない。あなたがたも知っているように、神の導きと聖霊の働きにより、人は今日神の前に神に仕えることができる。それはその人が真理を追い求めているからである。これらは神に仕える人の最低条件である。

 神に仕えることは簡単なことではない。堕落した性質が変えられていない者は決して神に仕えることはできない。もしあなたの性質が神の言葉によって裁かれておらず、罰せられていないなら、あなたの性質は依然としてサタンを表している。これは、あなたの神への奉仕が自分自身の善意から出ているということの証明だ。あなたの奉仕は、あなたのサタンの性質に基づいた奉仕である。あなたは本来持っている性質と自分の好みによって、神に仕えているのである。またそれ以上に、あなたが好きなものは何でも神は愛され、あなたが嫌いなものは何でも神は憎まれると思い込み、そうしてあなたの働きはひたすら自分の好みによってなされていく。これで神に仕えていると言えるだろうか。結局のところ、あなたのいのちの性質はみじんも変えられていない。実際、あなたは神に仕えてきたことで更に頑固になり、あなたの堕落した性質が深く根差すことになる。あなたは神に仕える規定を持つようになる。それは正にあなたがた自身の性質から出たもので、あなたの性質に従って神に仕えた経験を基盤としている。これが人間の経験であり学び方である。それは人の人生哲学である。このような人々はパリサイ人や宗教家である。もし彼らが目を覚まし、悔い改めなければ、究極的には彼らは終わりの日に現れる偽キリストになってしまうだろう。彼らは惑わすものたちである。偽キリストや惑わす者たちとはこのような人たちから生まれるであろう。神に仕えようとする人たちが自身の性質のまま、自分たちの意思通りに行動するなら、神に見捨てられる危険が絶えず付いて回る。長年神に仕えた経験を利用して人々の心を誘惑し、人々に説教し支配し、自らを高める人々―決して悔い改めることもなく、罪を告白することもなく、自分の立場を利用し続ける人たち―そのような人たちは神の前で倒れるだろう。彼らはパウロと同じ種類の人々で、うぬぼれていて、自分たちの地位や経歴を自慢している。神はこのような人々を完全にすることはないだろう。この種の奉仕は神の働きを妨げる。人々は古い物にしがみつきたがる。過去の考え方、過去の物にしがみつきたがる。これは奉仕の大きな障害となる。そのような物事を捨てることが出来なければ、あなたの一生は、そのような物事に抑圧されることになる。神は少しもあなたを褒めることはないだろう。あなたがどんなに身を粉にして、骨を折って一生懸命働いたとしても、神の「奉仕」で殉教死までしたとしても。それどころか、神はあなたを、悪を行う者と呼ぶだろう。

 今後、神は宗教的観念が無く、古い自分を捨てる用意ができていて、従順に神に従う人たちを正式に完全にする。神は言葉を慕う人たちを完全にする。そのような人たちは立ち上がり、神に仕えるべきである。神には、底知れない豊かさと計り知れない知恵がある。神の驚くべき働きや尊い言葉はもっと多くの人たちが享受するためにある。これらの新しいことは宗教観念を持った人たちや、当然のように優越感を持つ人たちや、古い自分を捨てることができない人たちによっては受け入れられない。聖霊がこのような人たちを完全にする機会はない。従う意思もなく、神の言葉に飢え渇いてもいないなら、彼らは新しいことを受け入れることはできないだろう。彼らは更に反抗的になり、更にずる賢くなるだけで、間違った道を歩むことになるだろう。神は今の働きの中で、自分を真に愛する人たちや、新しい光を受け入れることができる人たちを更に立てる。そして、神は自分たちの地位や立場を自慢する宗教家たちを完全に排除する。神は変化を拒絶する人を一人として求めてはいない。あなたはそのような人たちの一人になりたいか。あなたは自分の望み通りの奉仕をしたいと思っているだろうか。それとも神が望んでいることをしたいと思っているだろうか。この事は必ず知っていなくてはならない。あなたは宗教家の一人だろうか。それとも神によって完全にされる生まれたばかりの赤ん坊だろうか。あなたの奉仕のうちどれぐらい聖霊によって賞賛されるものがあるか。そのうち神が覚えてすらいないのはどれぐらいあるだろうか。何年も神に仕えて、あなた自身のいのちにどのくらい違いをもたらしただろうか。これらのことがはっきり分かるだろうか。もしあなたに本当に信仰があるなら、あなたは古い宗教観念を捨て、新しい方法で神によりよく仕えるだろう。もしあなたが今立ち上がるなら、決して遅くはない。古い宗教観念は人の一生を葬り去る。人が積む経験は、人を神から遠ざかり、自分のやり方で行動するようになってしまう。これらのことを手放さなければ、あなたのいのちの成長を妨げるだろう。神は常に自分に仕える人たちを完全にしてきた。神は彼らを簡単に見捨てたりはしない。もしあなたが神の言葉の裁きと刑罰を心から受け入れ、古い宗教行事や規定をわきに置き、古い宗教観念を持って神の言葉を測ることをやめるなら、あなたには将来が残されている。しかし、あなたが古いものに固執し大切にするなら、あなたは救われることはない。神はそのような人たちには注目しない。もしあなたが本当に完全にされたいなら、前からのもの全てを完全に捨てるよう決心しなければならない。たとえ以前行ったことが正しかったとしても、たとえそれが神の働きだったとしても、それをわきに置き、決してそれに固執してはいけない。たとえそれが明らかに聖霊の働きで、直接聖霊がなしたことでも、あなたはそれをわきに置かなくてはならない。あなたはそれにしがみついていてはならない。これは神が命じることである。すべてのものが刷新されなければならない。神の働きと神の言葉に於いて、神は以前あった古いものに言及していないし、歴史を掘り返すようなことはしない。神は常に新しく、決して古くはない。神は昔の自身の言葉にさえ固執してはいない。これは神がいかなる規定にも従わないことを示している。もはや神は従前のようには働きを行っていないにも関わらず、あなたが常に過去の物事に固執し、過去の物事を規定のように厳密に適用している場合、人間としてのあなたの言動は、妨害ではないだろうか。あなたは神の敵になってしまったのではないだろうか。あなたは古いもののために全人生を喜んで無駄にしたいと思っているのか。これらの古いものはあなたを神の働きの妨げにしてしまう。そんな人になりたいと思っているのだろうか。もしあなたが心からそんな人にはなりたくないと思っているなら、あなたがしている事をすぐに止め、向き直ってまた最初から始めなさい。神は昔のことは記憶にとどめないのだから。


 

東方閃電 全能神教会を了解しましょう。全能神は主イエスの再臨です。



全能神教会【MV】【アカペラ】永遠の讃歌「神の御業の成果を賛美せよ」

2017-08-03 23:18:02 | 全能神教会いのちの経験の讃美歌MV

 

全能神を賛美しましょう。東方閃電 全能神教会いのちの経験の讃美歌を分かち合います。


 

の御業の成果を賛美せよ

神の御業は急速に変化し
想像を絶し、人間にとって説得力がある
現在の状況は以前と異なり、それら全ては美しく新しい
ありとあらゆる物事が蘇り、一新され、聖なるものである
民は皆喜びに満ちて神をたたえ
賛美の声が第三の天に響き渡る(第三の天に響き渡る)
賛美せよ!喝采せよ!歌え!民は皆、心から神をたたえる
賛美せよ!喝采せよ!歌え!民は皆、心から神をたたえる

ハレルヤ!

神を愛する者は皆、神に従い、神の御言葉の現実を生かし出す
全ての者が汚れと腐敗を捨て去り、清くなり
神の聖なる御名を賛美し、証しして
神の心の願いを満たしている
地は聖と義で満たされ
美しく新しい光景を示している(ハレルヤ)
賛美せよ!喝采せよ!歌え!心から真の賛美をささげよ
賛美せよ!喝采せよ!歌え!心から真の賛美をささげよ

ハレルヤ!神を賛美せよ!神を賛美せよ!

神の御業の成果を賛美せよ
神は完全な栄光を得られた
民が皆神の御前で服従し
それぞれ自分の役割を果たし、自分の立場を保っている
私達は神の御言葉の中で生き
神の御前で神を礼拝し、賛美する
私達は神とともにあって、幸福に浸されている(ハレルヤ)
賛美せよ!共に喝采せよ!私達の賛美は終わることが無い!
賛美せよ!共に歌え!私達の賛美は終わることが無い!

賛美せよ!共に喝采せよ!私達の賛美は終わることが無い!
賛美せよ!共に歌え!
私達の賛美は終わることが無い!終わることが無い!

 

 

『小羊に従って新しい歌を歌おう』より 

 

 


全能神の発表「律法の時代における働き」

2017-08-02 22:23:53 | 全能神の発表

 

 ヤーウェが、イスラエル人の地で行った働きは、人間の間に、神の地上においての発祥地、彼が居た彼の聖なる場所を創った。彼は、イスラエルの人々にその働きを限定した。最初は、彼はイスラエルの外では働かなかった。代わりに、彼は働きの範囲を制限するため、適切であると思う人々を選んだ。イスラエルは、神がアダムとエバを創った場所であり、その場所の塵から、ヤーウェは人を創った。それが、地上におけるヤーウェの働きの本拠地である。ノアやアダムの子孫であるイスラエル人は、地上におけるヤーウェの働きの出発点であった。

 イスラエルにおけるヤーウェの働きの意義、目的、段階は、イスラエルの中心から他の国々へ徐々に広げながら、全地で彼の働きを始めることであった。これは、全宇宙を通しての彼の働きの原則である。すなわち、モデルを確立し、宇宙のすべての人が彼の福音を受け入れるまで、それを広げるやり方である。最初のイスラエル人は、ノアの子孫であった。これらの人々は、ヤーウェの息は持ち、生活における基本的な必要品をまかなえたが、ヤーウェがどんな神であるかを知らず、神の心、ましてや全ての創造物の主の畏れる方法など全く知らなかった。アダムの子孫は、彼らが従わなければならない規則や掟、創造されたものが、創造主にどんな仕事をしなければならないかを知らなかった。彼らが知っていたのは、夫は家族を養うため汗かき労働をしなければならず、妻は夫に従い、ヤーウェが創造した人類を永続させなければいけないということだけだった。つまり、この人々は、ヤーウェの息とその命だけを持っていて、神の法への従い方あるいは創造主を満足させる方法は知らなかった。彼らは、あまりに理解が少なかった。したがって、彼らの心には、ゆがんだり、ずるがしこいようなものは何もなく、また彼らは嫉妬や闘争心はもっていなかったが、彼らは、全ての創造主ヤーウェを知らぬか理解をしていなかった。これらの人間の祖先は、ヤーウェが創ったものを食し、ヤーウェが創ったものを享受することは知っていても、ヤーウェを畏れることは知らなかった。彼らは、跪き、ヤーウェを畏れるべきことを知らなかった。なぜ彼らを神の創造物と呼べようか。したがって、「ヤーウェは全ての創造主である」や「彼は、自分の表現として人を創り、彼に栄光を与え、彼を代表させることとした」と話すことは無駄ではなかっただろうか。ヤーウェを畏れない人々が、どうしてヤーウェの栄光の証しとなり得るだろうか。どうして彼らがヤーウェの栄光の表現になれるだろうか。このとき、ヤーウェの言葉「わたしは、わたしに似せて人を創った」は、悪の存在であるサタンの掌中の武器にならないだろうか。これらの言葉はこのとき、ヤーウェの人の創造への不名誉の印にならないだろうか。働きのそのような段階を完了するため、ヤーウェは、人類を創った後、アダムからノアまで人類への教示または導きをしなかった。彼がアダムとノアの子孫であるイスラエル人を正式に導き始めたのは、やっと洪水の後になってからであった。イスラエルにおけるヤーウェの働きと言葉は、全土のすべての人々の生活を導いた。そして、ヤーウェは、人が彼の命をもち、塵から形作られ、神の創造物になるように人に息を吹き込んだだけでなく、人類を支配するための杖を使って人類を炎で焼くこともできるし、人類を呪うこともできることを、ヤーウェの働きと言葉は、人に示した。ヤーウェが地上で人の生活を導き、昼と夜との時間によって人の中で語り、働くことができるのを人が知るために。彼はひたすら、自分の創造物が、人はヤーウェにより拾い上げられた塵から来て、人はヤーウェより創られた、ということを知ることができるように働きを行った。さらにまた、他の人々と民族(実際にはイスラエルとは別の人々と民族ではなく、イスラエル人から分かれ出た人々と民族であり、依然としてアダムとエバの子孫である)が、イスラエルからヤーウェの福音を受け取るようになり、宇宙における全ての創造物がヤーウェを畏れ、ヤーウェを崇めるようになるために、彼はイスラエルで働きを始めた。イスラエルでヤーウェが、彼の働きを始めていなかったら、代わりに人類を創るが地上で気楽な生き方をさせたなら、そのとき、人の肉体の本性(本性とは、人は、見ることができないものは知ることがけっしてできないこと、すなわち、人はヤーウェが人類を創ったとは知らず、ましてやなぜ創ったかも知らないことを意味する)のせいで、人は、ヤーウェが人類を創ったこと、全ての物の主であることを決して知らなかっただろう。もしヤーウェが、人を創り、自分の喜びのために地上に置いたあとは手の塵を払ってそのままにし、一定の期間、人の中に入り指導するようなこともなかったというなら、そのとき全人類は無に帰していただろう。人を含めて、彼が創った天地万物すらが無に帰し、サタンにより踏みつけられただろう。したがって、「ヤーウェは地上に立つ場所、自身が創ったものの中に聖なる場所を持たなくてはならない」というのヤーウェ望みは打ち砕かれていただろう。だからヤーウェは人類を創った後、彼らを彼らの生活の中で先導し、彼らに話しかけた、自分の希望を実現するために、自分の計画を達成するために。イスラエルにおけるヤーウェの働きは、ヤーウェが全ての物を創る前に決めていた計画を実行するためのものである。したがって、彼のイスラエル人の間での最初の働きと彼の万物の創造は、お互いに相容れないものではなく、両者は、彼の経営と働き、そして栄光のためであり、彼が人類を創造した意味を深めるためであった。ヤーウェは、ノアの後に二千年間、地上で人類の生活を先導し、その間、人々に万物の創造主ヤーウェの畏れる方法を教え、生活の仕方、人生の生き方、そして何よりも、ヤーウェの証人としての振舞い方、自身への従い方、畏れる方法、また、ダビデや彼の祭司たちのように音楽でヤーウェを賛美する方法を教えた。

 ヤーウェが彼の働きをした二千年間の前は、人は何も知らなかった。洪水の前に見られるようになっていた乱交や堕落の深みまでほぼ退化しきっていた。彼らの心には、ヤーウェはなく、ましてやヤーウェの道についてはなおさらそうであった。彼らはヤーウェがしようとしていた働きを決して理解していなかった。彼らは理知を欠いていたし、ましてや、見識を欠いていた、人、神、万物について無知で、さらに同様に命についても無知な、生きていて呼吸している機械のように。地上では、彼らはヘビのように多くの誘惑に関わり、ヤーウェに攻撃的な様々な事を言った。しかし、彼らは無知であるがゆえに、ヤーウェは刑罰をしたりあるいは懲らしめようとしなかった。洪水の後、ノアが六百一歳の時、ヤーウェは正式にノアに現れ、彼と彼の家族を案内し洪水を生き残った彼と鳥と野獣、彼の子孫を律法の時代の終わりまで、合わせて二千五百年間、導いた。彼は、イスラエルで二千年に渡り正式に働き、イスラエルとイスラエルの外の両方で働いていた期間は五百年で、合わせて二千五百年間であった。この期間彼は、ヤーウェに仕えるためには、神殿を建て、祭司の衣服をまとい、靴で神殿を汚して神殿の頂上から火が下いて焼き殺されることのないように、夜明けに神殿に入る時には裸足で入るように彼らを指導した。彼らは、彼らの本分を実行して、ヤーウェの計画に従った。彼らは、神殿でヤーウェに祈り、ヤーウェに啓示された後、すなわち、ヤーウェが話しをし終わった後、彼らは人々を導き、ヤーウェという彼らの神を畏れるように教えた。ヤーウェは、彼らに神殿と祭壇をつくるべきであると伝えた。そして、ヤーウェによって設定される時間、つまり、過越の祝いに、彼らは、ヤーウェに仕える為に祭壇に生まれたばかりの子牛と子羊を準備して、ヤーウェに生け贄として捧げなければならなかった。それにより、彼らの心を整え、ヤーウェへの畏敬の念を抱くためである。彼らがこの律法に従うかどうかが、彼らのヤーウェへの忠誠心の計りとなる。ヤーウェはまた、彼らのために安息の日を創った。創造の七日目である。安息の翌日を彼は最初の日にした、すなわち、彼らがヤーウェを称賛する日、彼に生け贄を捧げ、彼のために音楽を奏でる日である。この日、ヤーウェは、祭司たちを全て集めて呼び、彼らがヤーウェに捧げた生け贄を楽しめるように、祭壇の上の生け贄を人々に分けて食べさせた。ヤーウェは、彼らは祝福を受け、彼と一部を共有でき、彼らこそ、彼が選んだ人々(ヤーウェのイスラエル人との契約)であると言った。これが、今日まで、イスラエルの人々が、未だにヤーウェは彼らの唯一の神で、他の人々の神ではないといっている理由である。

 律法の時代を通じて、ヤーウェは多くの戒めを定め、モーゼがエジプトを出て彼に従うイスラエル人にそれを伝えるようにした。ヤーウェは、この戒めをイスラエル人に与えた。それはエジプト人とは無関係で、イスラエル人を律する意味があり、彼らにヤーウェが課した要求であった。人が安息日を守ったか、両親を敬ったか、偶像を崇拝したかなど、人が罪を犯したか、義であるかを裁く上での原則であった。人がヤーウェの火により焼かれるか、石打ちで処刑されるか、ヤーウェの祝福を受けるかは、これらの戒めに従ったかどうかで決められた。安息日を守らない者は、石打で処刑される。祭司で安息日を守らなかった者は、ヤーウェの火により焼かれた。両親を敬わなかった者も、石打で処刑にされた。これら全ては、ヤーウェによって称されたことである。ヤーウェは、彼の戒めと法を設定した、彼が彼らの生活を導くとき、人々が彼の言葉を聴き、従い、そして彼に背くことのないように。彼は、これらの律法を、新らしく誕生した人類を治めるために、そして今後の彼の働きの基礎を作るために、用いた。したがって、ヤーウェが行った働きにより、この最初の時代は律法の時代と呼ばれた。ヤーウェは、多くを語り、多くの働きをしたが、これら無知な人々に、どのようにして人間になるか、如何に生きるか、ヤーウェの道をどのようにして知るかを教え、人々を前向きに導いた。彼の仕事の大半は、人々に自分の道を守らせ、自分の律法に従わせることを目的としていた。この働きは、少しだけ堕落した人々の上になされた。それは、性質を変えることあるいはいのちの成長には関係しない。彼は、人々を制約し、治めるために律法を使うことにだけを考えた。その時代のイスラエル人にとっては、ヤーウェはただの神殿の神であり、天の神でしかなかった。彼は、雲の柱で、火の柱であった。ヤーウェが彼らに求めたことは、人々が今日、神の律法や戒めとして知っていること──それは規則と言うことさえできるだろう──に従うことだけであった、なぜなら、ヤーウェの働きは、彼らを変えることではなく、彼らに人が持つべきものをより多く与えるため、自分の口から彼らに伝えるためであった。それは人が創造された後、自分が何を所有すべきかを何も知らなかったからである。したがって、ヤーウェは、地上での彼らの生活のために所有すべきものを彼らに与え、自分が導いてきた人々を先祖であるアダムとエバを超えるほどの人々にした。ヤーウェがアダムとエバに最初に与えた以上のものを彼らに与えたのである。にもかかわらず、ヤーウェがイスラエルでした働きは、ただ人類を導き、人類に彼らの創造主を認めさせることであった。彼は、彼らを征服したり、変えたりしなかった、ただ導いただけであった。これが、律法の時代の働きのすべてである。それは、イスラエル全土におけるヤーウェの働きの背景であり、真実の物語であり、本質である。そして神の六千年にわたる働き──ヤーウェの手によって人類を治めるための働きの始まりである。ここから、神の六千年の経営(救いの)計画におけるより多くの働きが生れた。


東方閃電 全能神教会の言葉を読んだら、神様が既に現れていると分かるはずです。

全能神は創造主の現れです。