全能神は真理です

全能神―主イエスの再臨

全能神の発表「二十七番目の言葉」

2017-10-11 15:36:47 | 全能神の発表

 

 人間の行動は、けっしてわたしの心に触れなかったし、それが貴重だと思われたこともない。人間の目からすると、わたしは常に人間を極めて厳格に扱ってきたし、権威をふるっているように見える。人間のすることすべての中に、わたしのために行われたものはほとんどなく、わたしの目からして、堅固に立っているように見える事はほとんどない。結局のところ、人間に関わるものはすべて、いつの間にかわたしの前で崩れていく。そして、そうした時にだけ、わたしの業が明らかになる。そこで、人々は自身の過ちの中で、わたしを知るようになる。人間の本性は変わらないままだ。人間の心にあるものは、わたしの心に沿わない──それは、わたしには不要なものだ。わたしが最も嫌うのは、人間の頑固さと、繰り返される悪行だ。しかし、どういう力がわたしを人間にとっていつまでもよそ者とさせ、わたしを隔てさせるのか。何が人間をわたしの心に背かせ、わたしの後ろでわたしに敵対させているのか。これが人間の忠誠だろうか。これが人間のわたしへの愛だろうか。なぜ悔い改め、新たに生まれることができないのか。なぜ、泥のない場所ではなく、湿地にいつまでも暮らしていようとするのか。わたしが人間を虐待したというのか。わたしが人間に道を誤らせたというのか。わたしが人間を地獄へと導いたというのか。誰もが「地獄」で生きようとしている。光が来ると、人間の目はすぐさま見えなくなる。人間の貯めていたものはみな、地獄から来たものだからだ。しかしながら、人間はそのことを知らず、ただ「地獄の快楽」を喜ぶ。それをわたしが盗んで「存在の源」なしにしてしまうのではないかと激しく恐れ、宝物として胸に抱いて守る。人々は、わたしを恐れ、そのためわたしが地を訪れると、わたしから遠く離れていて、近づくのを嫌がる。人間は問題が起こるのを嫌がるのだ。平和な家庭生活を維持し、「地上での幸福」を楽しめるようにと願っているのだ。しかしながら、わたしは人間の願いをかなえるわけにはいかない。人間の家庭を破壊することこそ、わたしのしようとしていることなのだから。わたしが到着した瞬間から、人間の家庭の平和は破られている。家庭はいうに及ばす、わたしはすべての国々を打ち破る。誰がわたしの手から逃れられよう。祝福を受ける側の者がいやがったからといって、どうしてそれを免れることができよう。刑罰を受ける者が恐れたからといって、どうしてわたしの同情を受けることができよう。わたしの言葉の中に、人々はわたしの心を見、わたしの働きを見た。しかし、誰が自身の考えから自由になれようか。誰がわたしの言葉の中から逃れの道を見出すことができようか。誰がわたしの言葉以外から逃れの道を見出すことができようか。

 人々はわたしの暖かさを経験し、心からわたしに仕え、まことにわたしに従順で、わたしの前では何もかもしてきた。しかし、今日の人々は、どういうわけか、そうしたあり方に至ることができず、まるで、腹をすかした狼にさらわれでもしたかのように、霊の中で嘆くことしかできない。不安に待っている者のような目でわたしを見るだけで、さらには、助けを求めてわたしに向かって叫ぶだけなのだ。しかし、最初から終わりまで、人間は苦境から逃れることができない。思えば、かつて人々は、愛情で親切に応えようと、わたしの前で約束し、世界の終わりまでと、わたしの前で誓っていた。わたしの前で悲しみにすすり泣き、その泣き叫ぶ声は聞いているのがつらいほどのものだった。わたしはしばしば、その志の故に、助けてやった。人々はわたしに従うため、何度も何度もわたしの前にやって来た。そのいとおしい姿は印象的だった。人々は何度も、ゆるぎない信仰でわたしを愛するようになったが、心からの感情には、すばらしいものがあった。人間はわたしを愛するために、自分の命よりも、自分よりもわたしを愛するために、何度も自らの命を賭けたが、その誠意を見て、わたしは人間の愛を受け入れた。何度も、死を前にしても構わず、人間たちはわたしの前に自らをささげ、わたしは人間の顔から不安を消し、注意深く人間の顔つきを観察した。人間を自身の宝のように愛したことが何度もあるし、また、自分の敵のように憎んだことも何度もある。わたしはそういう存在だ──人間たちは、依然としてわたしの考えていることを推測することができない。人々が悲しむとき、わたしは慰めに来る。人々が弱っているときには、助けに来る。人々が迷っているときには、方向を教える。すすり泣いているときには、涙をぬぐってやる。しかしながら、わたしが悲しんでいるときに、誰がわたしを心から慰めてくれるのか。わたしがひどく心配しているとき、誰がわたしの心持を思いやってくれるのか。わたしが悲しいとき、誰がわたしの傷ついた思いを埋めてくれるのか。わたしが誰かを必要とするとき、誰がわたしと協力しようと申し出るのか。どうして以前の人間のわたしへの態度が失われ、二度と戻って来ないのか。なぜ人間の記憶にほんのわずかも残っていないのか。人々がああしたことをすべて忘れてしまったのは、どうしたことなのか。これは、人類が敵によって堕落させられたからではないのか。

 天使がわたしをたたえて音楽を奏で、打楽器を演奏するとき、人間への哀れみの情が抑えようもなく心にわいてくる。突然ひどく悲しい気持ちになり、自分でもこの苦しい感情を追い払うのが難しい。わたしの喜びと悲しみ、人間との別れと再会に、わたしは懐旧の情を覚えられない。上の天と下の地とに別れていて、わたしと人間は、いつも会うというわけにはいかない。誰が懐旧の情を振り払うことができようか。誰が過去のことを懐かしく思わずにいられよう。誰が過去の心地よい気分が続くことを切望せずにいられよう。誰がわたしの帰還を待ち望まないだろう。誰がわたしと人間との再会を待ち望まないだろう。わたしの心は深く乱れ、人間たちの霊は深く心配している。霊においては同じだが、いつも一緒にいるわけにはいかない。また、互いにしばしば会うわけにもいかない。だから、すべての人間の人生は深い悲しみに満ち、生気に欠けている。いつでもわたしを忘れることができずにいるのだから。まるで、人間は天から突き落とされたもののようで、地からわたしの名を呼び、地上からわたしを仰ぎ見ている──しかし、どうして飢えた狼の口を免れよう。どうして狼の脅威と誘惑とから逃げられよう。どうして、わたしの計画の指示するところに忠実に自らを犠牲にできないのか。人間が大声で哀願するとき、わたしは顔をそむける。もはや見ているに忍びないのだ。しかしながら、どうしてわたしが人々のすすり泣きの声を聞かずにいられよう。わたしは人間世界の不正を改めたいと思う。わたしは、世界中で自らわたしの働きをする。サタンが再びわたしの民を傷つけることを禁じ、敵が再び好き勝手にするのを禁じる。わたしは地の王となり、玉座をそこに移す。すべての敵を地に倒し、わたしの前で罪を告白させる。憤りを交えた悲しみの中、わたしは全宇宙に勝利し、誰一人許さず、すべての敵を圧倒する。わたしは地を廃墟にし、そこにすべての敵を送り込み、二度と人類を堕落させることがないようにする。わたしの計画は定まっており、誰一人、それが誰であろうと、変えることはできない。わたしが全宇宙の上を堂々と漂っていくと、すべての人々は新たな姿を得、すべてはよみがえるだろう。人はもはやすすり泣かず、わたしに助けを求めて叫ぶことも、もはやない。すると、わたしの心は喜び、人々はわたしを祝いに戻る。全宇宙が、上から下まで、祝祭にわく……。

 今日、さまざまな国々で、わたしは、達成するべく始めた働きを行っている。わたしは、みなの間を動き回り、計画通りに働きをし、すべての人は、わたしの心のまま、国々に「分かれて」いる。地上の人々は自分たちの終着点に注意を注ぐ。その日が近づき、すでに天使のトランペットが鳴り渡った。もはや日時の遅延はない。そして、あらゆるものが喜びに踊りだす。誰が思いのままにわたしの日を延ばすことができよう。それは地の人間か。それは空の星か、それとも天使か。わたしが声を発してイスラエルの民を救い始めると、わたしの日がすべての人類に近づく。人間はみな、イスラエルが再び国になることを恐れる。イスラエルが再び国になると、それはわたしが栄光を得る日であり、その日すべてが変わり、新たになる。全宇宙に義の裁きが下されようとし、人々はみな、おずおずと怯える。人間世界では義は知られていないのだ。義の太陽が現れると、東の空が明るくなり、それから全宇宙が照らされ、すべての人に届く。人間がほんとうに義を行えるのなら、何を恐れることがあろう。わが民はみな、わたしの日の到来を待ち、わたしの日の来ることを期待する。彼らは、わたしが義の太陽として全人類を報い、人類の終着点を定めるのを待っている。わたしの国が全宇宙に造られ、わたしの玉座が何兆もの人々の心をつかむ。天使の助けで、わたしの大事業はすぐに成功裡に完了する。わが子らとわが民が集まって、わたしの帰還を今や遅しと待つ。再会して、二度と離れない時の訪れを待つ。わたしの国の人々全員が喜びに走り回らないことが、どうしてあろう。わたしが彼らと共にあるのだ。これは代価なしの再会だろうか。わたしはすべての人の目に貴いものであり、わたしはすべての人の言葉で告げる。わたしは戻って来ると、敵の勢力をさらにすべて征服する。時は来た。わたしはわたしの働きを進め、人間の中で最高支配者となろう。わたしは戻って来る。わたしは出かけて行く。これはすべての人が期待していること、人々が望んでいることである。わたしはすべての人に、わたしの日の到来を見、わたしの日の来たことを喜び迎えてほしい。

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全能神教会御言葉朗読(舞台版)「終わりの日のキリストだけが人に永遠のいのちの道を与えられる」から「神のみがいのちの道を持っている 」

2017-10-10 13:32:24 | 全能神教会御言葉朗読


東方閃電全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、全能神ご自身によって全てが創られたもので、決して人によって創られたものではありません。今日では、全能神の言葉、福音映画、讃美歌などは、ネットワークを通じて世界中のすべての国々に広がっています。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。



全能神御言葉カード

2017-10-09 12:11:35 | 全能神御言葉カード

 

 

 

東方閃電全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、終わりの日の全能神の働きを受け入れ、神の言葉によって征服され救われるすべての人々によって成り立っています。当教会は、全能神ご自身によって全てを創られ、全能神ご自身によって導かれ牧養されています。決して人によって創られたものではありません。キリストは道であり、真理であり、いのちなのです。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。



全能神の発表「二十六番目の言葉」

2017-10-08 20:42:04 | 全能神の発表

 

 誰がわたしの家に住んだのか。誰がわたしのために立ち上がったのか。誰がわたしのために苦しんだのか。誰がわたしの前で誓ったのか。誰が今までわたしに従い、それでいて無関心にならなかったのか。なぜ人間はみな冷たく無情なのか。なぜ人間はわたしを捨てたのか。なぜ人間はわたしに飽いたのか。なぜ人間の世界には何の温かみもないのか。シオンで、わたしは天の暖かさを感じていた。また、シオンでわたしは天の恵みを享受していた。さらに、わたしは人間の只中に生き、人間世界の苦さを味わった。わたしはこの目で、人間たちの中に存在するあらゆる状態を見た。人間は無意識にわたしの変更に沿って変わり、そうしてはじめて現在に至った。わたしは、人間がわたしのために何かできることを要求しない。また、人間がわたしのために何かを増すことを求めない。わたしはただ、人間がわたしの計画に調和できることを望む。わたしに反抗することも、わたしの恥のしるしとなることもなく、わたしについて力強い証しをすることを。人間の中には、わたしについてよき証しをし、わたしの名に栄光をささげた者がいる。しかし、人間の行い、人間の行為がどうしてわたしの心に適うだろう。どうして人間がわたしの望みをかなえ、わたしの心を果たすだろう。地上の山々や水、地上の花、草、木の中で、わたしの手の業を示さないものは、一つもない。わたしの名のゆえに存在しないものは、一つもない。しかし、なぜ人間は、わたしの要求する基準に達することができないのか。これは、人間の卑しさのせいだろうか。これは、わたしが人間を高めたためだろうか。これは、わたしが人間に残酷すぎたということだろうか。なぜ人間はいつも、わたしの要求を恐れているのか。今日、わたしの国の無数の民の中で、なぜあなたがたは、わたしの声を聞くだけで、わたしの顔を見ようとしないのだろうか。なぜあなたがたは、わたしの言葉を見るだけで、それをわたしの霊と合わせようとしないのか。なぜあなたがたは、わたしを上の天と下の地に分け続けるのか。地上にいるわたしは、天にいるわたしとは異なっているということか。天にいるわたしは、地上に降りて来ることができないということか。地上にいるわたしは、天に連れられて行くに値しないということか。まるで、地上にいるわたしは卑しいもので、天にいるわたしは崇めるべき存在であり、天と地の間には越えることのできない裂け目があるようではないか。しかし、人間の世界では、そうしたことがどこから来ているかは何も知られておらず、ずっとわたしに背き続けている。まるで、わたしの言葉は音だけで意味がないようだ。人間はみな、わたしの言葉を調べ、わたしの外見がどういうふうなのかを自分なりに調査するが、みな失敗して、なんらの成果も上げられず、わたしの言葉に打ち倒され、二度と立ち上がろうとしない。

 わたしが人間の信仰を試すと、ただの一人も真の証しをする能力がなく、ただの一人もすべてを捧げることができない。人間は隠れ、まるでわたしが人間の心を奪おうとしているかのように、心を開くことを拒んでいる。ヨブでさえ、けっしてほんとうに試練に立ち向かおうとせず、また苦しみの中で香りを放たなかった。人間にできるのはただ、春の暖かさに緑をほの見せることだけだ。人間はけっして冬の冷気の中で緑を保たない。痩せ細った背丈の人間は、わたしの目的を達成できない。すべての人間の中で、他の手本となれる者は、誰一人いない。人間は基本的に同じで、他人と異なるところがなく、区別するべき特徴も、ほとんどない。このため、今日でも、人間はまだわたしの業を完全に知ることができない。わたしの刑罰がすべての人間の上に下ってはじめて、知らずにわたしの業に気づき、わたしが何もしなくても、強いなくても、人間はわたしを知るようになり、そこでわたしの業を見ることになる。これがわたしの計画であり、これはわたしの業の現れであり、これが人間の知るべきことだ。わたしの国では、無数の被造物がよみがえりを始め、生気を取り戻す。地上の状態が変化したため、地と地の境界にもまた、変化が起こる。以前、わたしは預言した──地が地から離れ、地が地とつながると、そのとき、わたしは国々を打ち砕くと。このとき、わたしはすべての被造物を新たにし、全宇宙を区切りなおす。それにより、全宇宙を秩序立て、古い状態を新しいものに変える。これがわたしの計画だ。これらがわたしの業だ。国々と世界の人々がみな、わたしの玉座の前に戻ると、わたしは天の富をすべて人間の世界に与え、わたしによって、比類ない富にあふれるようにする。しかし、古い世界が存続する間、わたしは国々の上に怒りを投げつけ、わたしの行政を全宇宙に公布し、違反する者には刑罰を下す。

 わたしが全宇宙に向かって話すと、人間はみなわたしの声を聞き、そこで、わたしが全宇宙で行ってきた業を見る。わたしの心に逆らう者、つまり、人間の行いでわたしに敵対する者は、わたしの刑罰を受けてひれ伏す。わたしは天の多くの星々を取ってそれらを新しくし、わたしにより、太陽と月は新たになる──空はもはや以前のものではない。地上の無数の物事が新たになる。すべては、わたしの言葉により完全になる。全宇宙の多くの国々は、新たに区切られ、わたしの国に置き換わる。地上の国々は永遠に消え去り、わたしを崇める一つの国になる。地上のすべての国々は破壊され、存在しなくなる。全宇宙の人間のうち、悪魔に属する者はみな、滅ぼし尽くされる。サタンを礼拝する者はみな、わたしの燃える炎に倒れる──つまり、今、流れの中にいる者以外は、灰になるのだ。わたしが多くの民を罰するとき、宗教界にいる者は、わたしの業に征服され、程度の差はあれ、わたしの国に戻る。彼らは「聖なる方が白い雲の上に乗って」降臨するのを見たからである。人間はみな、種類に従い、それぞれの行いに応じて刑罰を受ける。わたしに敵対した者たちは、みな滅びる。地上での行いがわたしと関わりのなかった人たち、その人たちは、自分たちの行いによって、地上にわたしの子らとわが民の支配下で存在を続ける。わたしは無数の人々と無数の民族にわたしを現し、わたしは自ら声を発して地上にわたしの大いなる働きの完了を告げ、全人類が自分たちの目でそれを見られるようにする。

 わたしの話が深くなる中で、わたしはまた宇宙のありさまも見ている。わたしの言葉によって、無数の被造物がみな新たになる。天は変わり、地も変わる。人間は本来の形を現し、ゆっくりと、それぞれ同じ種類のものたちと共に、それと知らぬ間に家族のもとに戻っていく。そこで、わたしは大いに喜ぶだろう。わたしは妨げられることなく、だれもそれと知らないうちに、わたしの大いなる働きは完了し、だれもそれと知らないうちに、無数の被造物は変化する。わたしが世界を創ったとき、わたしはすべてのものをそれぞれに創った。すべての形あるものをそれぞれの種類に集まるようにした。わたしの経営(救いの)計画が終わりに近づくと、被造物の以前の形を回復させ、すべてを本来の姿に戻す。すべては大きく変わり、すべてはわたしの計画の内に戻る。時は来た。わたしの計画の最後の段階が終わろうとしている。ああ、不浄な古き世界。必ずや、わたしの言葉に倒れる。必ずや、わたしの計画で無になる。ああ、無数の被造物たち。あなたがたは、みな、わたしの言葉の内で新たないのちを得る。今、あなたがたには主がいるのだ。ああ、純粋でしみ一つない新たな世界。必ずやわたしの栄光の中でよみがえる。ああ、シオンの山よ。もはや沈黙するな。わたしは勝利の内に帰ってきた。創造の中から、わたしは全地を調べる。地上で、人間たちは新たな生活を始め、新たな希望を得た。ああ、わが民よ。どうして、あなたがたがわたしの光の中で復活しないでいられようか。どうして、あなたがたがわたしの導きの下、喜びに跳ね上がらないことがあろうか。地は歓喜の声を上げ、水は楽しい笑い声を響かせる。ああ、よみがえったイスラエルよ。わたしの約束をどうして誇りに感じないことがあろう。誰が泣いたのか。誰がうめき声を上げたのか。かつてのイスラエルは、もうない。そして、今日のイスラエルは立ち上がった、塔のようにまっすぐに、この世に、すべての人間の心の中に立ち上がった。今日のイスラエルは必ずや、わが民を通じて存在の源を得る。ああ、忌まわしいエジプトよ。まことに、もうわたしに敵対はしないだろう。どうしてわたしの憐れみを利用してわたしの刑罰を免れようとするのか。どうしてわたしの刑罰の内に存在できないのか。わたしの愛する者はみな、必ず永遠に生き、わたしに敵対する者はみな、必ず永遠に刑罰を受ける。わたしはねたみ深い神だから、わたしは人間の行いを軽々しく赦さない。わたしは地上すべてを観察し、世界の東に義と威厳、怒り、刑罰をもって現れ、すべての人間たちにわたしを現す

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全能神教会御言葉讃美歌「全ての者よ、人類の運命に注意を払え」

2017-10-07 15:16:55 | 全能神教会御言葉讃美歌

 

全ての者よ、人類の運命に注意を払え

I
は全ての民族
全ての国々や産業界にさえ
呼びかける
神の声を聞き彼の業を見なさい
人類の運命に注意を払いなさい
神を敬い聖なる方とし
崇高で唯一礼拝されるべき存在とせよ
そして全ての人々が神の
祝福のもと生きられるようにせよ
アブラハムの子孫が
ヤーウェの約束のもとで生きたように
エデンの園で神の創造物である
アダムとエバが生きていたように
神は全ての民族
全ての国々や産業界にさえ
呼びかける
神の声を聞き彼の業を見なさい
人類の運命に注意を払いなさい
II
神の業は激しく押し寄せる
波のごとく誰も彼を立ち止まらせたり
引き止められない
ただ言葉を聞き彼を追い求める事で
彼の足跡は辿られ約束を受け取れるのだ
他のすべての人々は完全なる
絶滅に直面し当然の罰を
受けるであろう
神は全ての民族
全ての国々や産業界にさえ
呼びかける
神の声を聞き彼の業を見なさい
人類の運命に注意を払いなさい
すべての人類の運命に注意を払いなさい
『言葉は肉において現れる』より


 

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全能神御言葉カード

2017-10-05 20:36:49 | 全能神御言葉カード

 

 

東方閃電全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、全能神ご自身によって全てが創られたもので、決して人によって創られたものではありません。今日では、全能神の言葉、福音映画、讃美歌などは、ネットワークを通じて世界中のすべての国々に広がっています。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。



全能神の発表「二十五番目の言葉」

2017-10-04 22:54:42 | 全能神の発表

 

 

 時は過ぎ、瞬く間に今日が訪れた。わたしの霊の導きにより、すべての人はわたしの光の中で生き、もはや誰も過去のことを思わず、昨日のことを煩わない。誰が今を生きてこなかっただろう。誰がの国ですばらしい月日を送らなかっただろう。誰が太陽の下で生きてこなかっただろう。神の国は人間たちの間に降りてきたが、誰一人、ほんとうにその暖かさを経験していない。人間はただ外観を見るだけで、その本質を理解していない。わたしの国が形作られている間、誰がそのことを喜ばないだろう。地上の国々は、ほんとうに免れることができるだろうか。赤い大きな竜は、ほんとうにその狡猾さで逃れることができるだろうか。わたしの行政は全宇宙に公布され、それによってわたしの権威はすべての人に及び、全宇宙で効力を発する。それでも、人間はけっして本当にこのことを知っていない。わたしの行政が全宇宙に示される時はまた、地上でのわたしの働きが完了する時でもある。わたしがすべての人間の間で支配し、力を振るい、唯一の神自身であると認められた時、わたしの国は完全に地上に降りてくる。今日、すべての人は新たな道で新たな始まりを得る。人々は新たな生活を始めているが、しかし、誰一人ほんとうに地上で天のような生活を経験していない。あなたがたは、ほんとうにわたしの光の中で生きているだろうか。あなたがたは、ほんとうにわたしの言葉の中で生きているだろうか。誰が自分の前途について思いをいたさないだろう。誰が自分の運命を悲しまないだろう。誰が苦しみの海でもがかないだろう。誰が自由になりたいと願わないだろう。神の国の恵みは、人間の地上での厳しい労働の代償として得られるものだろうか。すべての人の願望は、そのとおりにかなうものだろうか。わたしはかつて、人間に国の美しい眺めを見せた。しかし、人はただ貪欲な目で見つめただけで、本当にそこに入ろうと切望する人は、一人もいなかった。わたしはかつて、地上の真の状態を人間に「報告した」が、人は、ただ聞いただけで、わたしの口から出た言葉を心に受け入れようとはしなかった。わたしはかつて、人間に天のありさまを伝えたが、人は、わたしの言葉をすばらしい作り話として扱い、わたしの口の表現したものを真に受け入れはしなかった。今日、神の国の風景が人間たちの間にぱっと現れたが、誰か、それを探すために「山や谷を越えて」行っただろうか。わたしが促さなければ、人間はまだ夢から醒めていなかったろう。人間は、そんなにも地上での生活に夢中なのだろうか。ほんとうに人間の心に高い基準というものはないのだろうか。

 わたしがあらかじめ定めた民は、わたしに身を捧げて、調和のうちにわたしと生きることができる。彼らはわたしの目に貴く、わたしの国でわたしへの愛に輝いている。今日の人々の中で、誰がそういう条件を満たすことができるだろう。誰がわたしの条件で合格できるだろう。わたしの条件は、ほんとうに人間に困難をもたらすのだろうか。わたしは意図的に人間を誤らせるだろうか。わたしはすべての人に寛容で、みなを優遇している。しかしながら、これは中国にいるわが民だけにである。あなたがたを過小評価しているのではなく、あなたがたを別の目で見ているわけでもない。わたしはあなたがたに対して実質的であり、現実的なのである。人間は生きていれば、家庭のことや、もっと広い世界のことで、必ず挫折を味わう。しかし、自分の困難を自らの手で用意する人などあるだろう。人間には、わたしを知ることができない。人間はわたしの外見について、なにがしかの理解はしているが、わたしの本質については何も知らない。人間は自分の食べているものの「成分」を知らないのだ。誰がわたしの心を注意深く読み取ることができるだろう。誰がほんとうにわたしの前でわたしの心を理解できるだろう。わたしが地上に来るとき、地上は闇に包まれ、人間は「ぐっすり眠っている」。わたしはあらゆるところを歩き回るが、見えるものはどれも、破れ、ぼろぼろで、見るに堪えないものばかりだ。これはまるで、人間は楽しみたいだけで、「外の世界の物事」を知ろうという気持ちがまるでないようなのだ。すべての人の知らないうちに、わたしは地上をくまなく調べるが、いのちに満たされたところは、どこにもない。すぐさま、わたしは光と熱を発して第三の天から地上を見下ろす。光は陸を照らし、熱がその上に広がっていくが、光と熱だけが喜んでいるようだ。それらは、快適さの中で楽しんでいる人間の中に何も引き起こさない。これを見て、わたしはすぐさま、用意していた「鞭」を人間の間に下す。鞭が下ると、光と熱が徐々に散り、地上はただちに荒廃し、暗くなる。そして、闇のために、人間はその“機会”を逃さず、「お楽しみ」を続ける。人間は、わたしの鞭が下ったことに僅かに気づいているが、反応することなく「地上の恵み」を楽しみ続ける。次に、わたしの口がすべての人間の刑罰を告げると、全宇宙の人々は十字架にさかさまに張り付けにされる。わたしの刑罰が下ると、山々が崩れ、大地が引き裂かれる音に、人間は震え上がる。突然目が覚め、人間は愕然とし、恐怖に怯える。逃げたいと思うが、すでに遅すぎるのだ。わたしの刑罰が下ると、わたしの国が地上に降りて来て、すべての国々は粉々に打ち砕かれて消え去り、あとには何も残らない。

 毎日、わたしは全宇宙の表面を眺め、毎日、人間の間で新しい働きをする。しかし、人々はみな「我を忘れて働き」、誰一人わたしの働きの動きに注意を払わず、自分たち以外の物事がどうであるかには興味を示さない。まるで、人々は自分たちで作った「新たな天と新たな地」に暮らしていて、他人に「介入」されることを望んでいないようだ。彼らはみな享楽に夢中で、自分に酔い、自分たちの「体操」をしている。人間の心には、ほんとうにわたしの居場所はないのだろうか。わたしはほんとうに人間の心の支配者でいることができないのだろうか。人間の霊は、ほんとうに人間を去ったのだろうか。誰が、わたしの口から出た言葉について、注意深く考えたことがあるだろう。誰がわたしの心の願いを理解しただろう。人間の心は、ほんとうに何か別のものに乗っ取られているのだろうか。わたしは何度も人間に「大声で呼びかけた」が、これまで誰か、憐れみを感じた者はいるだろうか。誰か、人間性を持って生きただろうか。人間は肉の体で生きているが、人間性はない。人間は動物の王国に生まれたのだろうか。それとも、人間は天に生まれ、神性を持っているのだろうか。わたしは人間にわたしの要求を示しているが、あたかも人間はわたしの言葉が理解できないかのようだ。あたかもわたしがまったく異質な、近づきがたい怪物ででもあるかのようだ。まことに何度も、わたしは人間に失望させられた。まことに何度も人間の成績不良に激怒し、また、まことに何度も人間の弱さに悲しい思いをした。なぜわたしは人間の心に霊的感覚を呼び起こせないのだろうか。なぜわたしは人間の心に愛の思いを起こせないのか。なぜ人間はわたしを何よりも大事なものとして扱えないのか。人間の心は自分のものではないのか。他の何かが人間の霊に住み着いているのだろうか。なぜ人間は、やむことなくわめき続けているのか。なぜ人間は常に悲しんでいるのか。なぜ人間は悲しいとき、わたしの存在を無視するのか。わたしは人間を突き刺しただろうか。わたしは、わざと人間を見捨てただろうか。

 わたしの目には、人間はすべての支配者だ。わたしは人間に少なからぬ権威を与えた。地上のすべてを扱わせた──山々の草、森の動物たち、そして、水の中の魚。しかし、それで幸福でいるどころか、人間は不安にとらわれている。人間の生涯は苦しみに満ち、走り回り、むなしさに楽しみを加え、全生涯に何の発明も創造もない。誰一人、このむなしい人生から自由になることができず、誰一人、意味ある人生を見出せず、誰一人、真の人生を経験していない。今日の人々はみな、わたしの輝く光の下で生きているが、天での生活について、何も知らない。もしわたしが人間に対して憐み深くなくて、人間を救うことをしなければ、すべての人はむなしく生まれることになり、地上で無意味に生き、何一つ誇りに思うことなしに、無益に死んでいく。あらゆる教派、社会の領域、国家、宗派はみな、地上のむなしさを知っており、彼らはみな、わたしを求め、わたしの戻るのを待っている──しかし、わたしが到着したとき、誰がわたしを知ることができるのだろう。わたしはすべてを創った。わたしは人間を創り、今日、人間たちの間に降り立った。しかしながら、人間はわたしに殴り返し、仕返しをする。わたしが人間にしている働きは、人間のためになっていないのだろうか。わたしは、人間を満足させることができないのだろうか。なぜ人間はわたしを拒むのか。なぜ人間は、わたしに対してあれほど冷たく無関心なのか。なぜ地上は死体に覆われているのか。これは、わたしが人間のために創った世界の状態なのか。なぜ、わたしは人間に比類のない富を与えたのに、人間はお返しに空っぽの手を差し出すのか。なぜ人間はほんとうにわたしを愛さないのか。なぜ人間はけっしてわたしの前に来ないのか。わたしの言葉はみな、ほんとうに無駄だったのか。わたしの言葉は水の熱のように消えたのか。なぜ人間は、わたしに協力したがらないのか。わたしの日の到来は、本当は人間の死の瞬間なのか。わたしはほんとうに、わたしの国が建てられるとき、人間を全滅することになるのか。なぜ、わたしの経営(救いの)計画の全体を通して、誰一人、わたしの意図を把握していないのか。なぜ、人間は、わたしの口から出た言葉を大事にするのではなく、嫌い、拒むのか。わたしは誰をも罪に定めない。ただ、すべての人を穏やかにさせ、自省の働きをさせるだけだ。

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東方閃電全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、終わりの日の全能神の働きを受け入れ、神の言葉によって征服され救われるすべての人々によって成り立っています。当教会は、全能神ご自身によって全てを創られ、全能神ご自身によって導かれ牧養されています。決して人によって創られたものではありません。キリストは道であり、真理であり、いのちなのです。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。




 


全能神教会御言葉讃美歌「あなたが神に心を開く時」

2017-10-03 14:58:22 | 全能神教会御言葉讃美歌

あなたが神に心を開く時

1
の性質を知らず 
神を理解しなければ
神に心開くことはできない
神を理解できれば
信仰で神の心を知り
それを味わえるだろう
神の心を味わえば
日ごとに味わえば
心は神へと開くだろう
あなたが神に心を開くと
贅沢で利己的な願いを恥ずかしく思う
あなたが神に心を開けば
その心に驚くべき無限の世界を見出す

2
この驚くべき世界で闇、悪、欺瞞は過ぎ去り
真実、信仰、光が残る
神に心を開いたら
神の愛と哀れみで
人生は喜びで溢れる
神の知恵や力だけでなく
神の権威や愛がこの世界に溢れ出すだろう
神を心に受け入れれば
神が何に喜び
悩み悲しみ怒るのか
知ることができる
『言葉は肉において現れる(続編)』より



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全能神の発表「二十四番目の言葉」

2017-10-01 22:43:27 | 全能神の発表

 

 わたしの刑罰はすべての人間に下るが、それはまた、すべての人間から遠いままである。すべての人のすべての生活は、わたしへの愛と憎しみで満たされているが、誰一人、わたしを知らなかった。そこで、人間のわたしへの態度は熱くも、あるいは冷たくも吹き、普通の状態であることがない。しかし、わたしはいつでも人間を心遣い、守ってきた。人間がわたしの行いのすべてを見ることも、わたしの切なる意図を理解することもできないのは、人間の鈍感さのせいなのだ。わたしはすべての国々の主、そしてすべての人の中で至高者である──ただ、人間はわたしを知らない。長い年月、わたしは人間の間で暮らし、人間世界での生活を経験してきた。しかし、人間はいつでもわたしを無視し、宇宙から来た者のようにわたしを扱ってきた。その結果、性質と言語の違いのせいで、人々は、通りにいるよそ者のようにわたしを扱う。わたしの衣類は、あまりに風変わりなようで、その結果、人間は自信を持ってわたしに近づくことができない。そのときはじめて、わたしは人間の間で生きる荒涼感を覚え、そうしてはじめて、人間世界の不公正を感じ取る。わたしは通りを行く人々の間を歩き、みなの顔をじっと見る。人々は、まるで病の中にあるように顔を憂鬱で満たす。まるで刑罰の中で生きているようで、解放することができない。人間は自身に足かせをつけ、自らを貶める。たいていの人はわたしの前の自身について誤った印象をもっていて、わたしにほめられようとする。また、多くの人は、わたしの助けを得ようと、意図的に哀れげに見えるようにする。わたしの後ろで、人々はみなわたしを欺き、わたしに逆らう。そうではないか。これが人間の生存の道なのではないか。誰か、その生活の中でわたしを生かし出したものがいるか。誰か、人々の間でわたしを崇めた者がいるか。誰か、霊の前で縛られた者がいるか。誰か、サタンの前に堅固に立ち、わたしを証しした者がいるか。誰か、わたしへの「忠実さ」に真実を加えた者はいるか。誰か、わたしのために赤い大きな竜に滅ぼされた者はいるか。人々はサタンとぐるになっている。彼らはわたしに逆らう名手であり、わたしに反攻する発明家で、わたしに対していいかげんなことを言うことの研究生だ。自身の運命のために、人間は地のあちこちを探し回る。わたしが手招きすると、わたしの貴さを知らず、他者の「負担」となることをしたがらず、自身を頼みとする「信仰」を持ち続ける。人間の志は貴いが、誰一人の志が満点を達成したことがない。彼らはわたしの前でふらふらと倒れそうである。したがって、そっと音もなく倒れる。

 毎日わたしは話し、毎日、新しいこともする。もし人間が全力を出さないならば、わたしの声を聴くのが困難だろう。そして、わたしの顔を見るのが難しいだろう。恋しい人はすばらしい。その声は穏やかだ。しかし、人間は容易に神の輝かしい顔を見、その声を聞くことができない。長い間、誰一人わたしの顔を容易に見た者はいない。わたしはかつて、ペテロに話しかけ、パウロの前に「顕現」した。そして、イスラエル人以外、誰一人、わたしの顔を真に見た者はいない。今日、わたしは自ら、共に住むため人々の中に来た。これはほんとうに、めったにない、貴重な機会だとは思わないか。あなたがたは、時を最も有益なものにしたくないのか。このようにして時が無駄に流れるのを願っているのか。人々の心の中で時針が突然止まるのか。それとも、時が逆戻りするのか。それとも、人間は再び若くなるのか。今日の幸いな生活は、再び訪れることがあるのだろうか。わたしは人間の「浪費」にふさわしい「報酬」を与えない。ただ、他のすべてのこととは無関係にわたしの働きを続け、人間が忙しいからとか、叫び声が聞こえるからといって、時の流れを止めはしない。数千年間、誰一人わたしの力を分散させることはできなかった。また、誰一人、わたしの本来の計画を狂わせることのできる者もいない。わたしは空間を超越し、時代を超え、全てのものの上に、そしてその間で、わたしの全計画の核心部分を展開する。わたしから特別待遇を受けることのできた者は、誰もいない。わたしの手から「賞品」を受け取ることのできた者は誰もいない。そして、人間が口を開いてわたしに祈っても、他のすべてを顧みず、わたしに要求して手を伸ばしても、その誰一人、わたしに影響を与えなかったし、みなわたしの「無情な」声で押し戻された。たいていの人々は、自分たちは「若すぎる」と信じていて、わたしが大いなる慈悲を示すのを、再び憐みを示すのを待っている。そして、裏口から入れてくれと頼む。しかし、どうしてわたしが自分の計画を簡単に変更できようか。人間が幼いからといって、この地上で数年余分に生きられるようにと、地球の自転を止めてやるだろうか。人間の頭脳は、まことに複雑であるが、また、欠陥もあるようだ。その結果、人間の頭には、しばしばわたしの働きを意図的に妨げる「すばらしい方法」が浮かぶ。

 人間の罪を赦し、弱さを考慮して特別の恵みを示したことは何度もあるが、また、その無知のため、ふさわしい処置を行ったことも、何度もある。しかし、人間には、わたしの親切をどう受け止めるか、けっしてわからない。だから現在の始末になっているのだ──塵にまみれ、衣類はぼろぼろ、髪の毛は雑草の茂み、顔は汚れに覆われ、足は手作りの靴で包み、手は死んだ鷲の鉤爪のようで、体の横に力なく垂れ下がっている。わたしが目を開け、見ると、人間は、たった今、底なしの淵から出てきたばかりのようだ。憤らずにいられない。わたしはいつでも人間に寛容であったが、悪魔がわたしの聖なる国に自由に出入りするのを、どうして許せよう。乞食がわたしの家でただ食いするのを、どうして許せよう。汚れた霊が家の客になるのを、どうして許せよう。人間はいつでも「自分に厳しく」、「他人には寛容」であったが、わたしに対してはまったく礼に欠けている。わたしは天の神なので、別物として扱い、わたしに対し、ほんのわずかの愛情ももたない。まるで、人間の目はとりわけ鋭敏であるかのようで、わたしに出会うと、すぐさま表情が変化し、冷たく無表情だった顔に、わずかばかりの表情を加える。わたしは人間の態度を見ても、そのために適切な制裁は加えはしない。しかし、全宇宙の上から大空を見やり、地上での働きを行うだけだ。人間の記憶の中で、わたしはけっして誰にも親切であったことはないが、また、誰をも虐待していない。人間は自分の心の中にわたしのための「空席」を用意していないので、わたしがずかずかと人間の中に宿ると、人間は全く遠慮なしにわたしを追い出し、それから、自分はあまりに欠点が多く、わたしを楽しませることができないのだと、言葉巧みに言い訳をする。話しているとき、しばしばその顔が「暗い影」に覆われる。まるで今にも災いが訪れようとしているかのようだ。しかし、それでも、それに伴う危険などまるで考慮しないで、わたしに去るように願う。わたしが人間に言葉とやさしい抱擁を与えても、人間はまるで耳がないかのようで、わたしの声にまったく注意を払わない。それどころか、頭を抱えて逃げて行くのだ。わたしは、いささか失望し、しかし、少しく憤りも覚えながら、人間から離れる。その一方で、人間は、たちまち激しい突風と大波に襲われ、消え去る。間もなく、人間はわたしに向かって叫ぶが、どうして人間に風や波の動きを止められよう。徐々に人間の痕跡は消え去り、どこにも見えなくなる。

 遠い昔、わたしは全宇宙の上から全地を眺めた。わたしは地上で大いなる仕事を計画した。自分の心にかなう人類の創造、そして、天のそれのような、地上の国の建設、わたしの力で大空を満たし、わたしの知恵を宇宙に広めることだ。そして今日、数千年後、わたしは計画を続けている。しかし、誰一人わたしの計画と地上の経営(救い)について知らない。まして、地上にあるわたしの国を見もしない。そうして影を追いかけ、わたしの前に来て、わたしを欺こうとし、無声の代価と引き換えに、わたしの天の祝福を得ようとする。その結果、わたしの怒りを招き、わたしは裁きを下すが、それでも目覚めない。これは、まるで、人間は地下で働いているかのようだ。地上にあるものをまったく知らず、ただ自分の前途を追い求めている。すべての人々の中で、わたしの輝く光の下に住む者を、これまで誰も見ていない。彼らは闇の世界に住んでいて、暗闇の中で生きることに慣れているようだ。光が来ると、彼らは遠く離れている。まるで、光が人間たちの仕事を妨げているかのようだ。その結果、少しうんざりするようである。光が平和を破り、ぐっすり眠れなくしたかのようなのだ。そのため、人間は光を追い払うために全力を絞る。光もまた、「自覚」がないようで、眠っている人間を起こす。人間が目を覚ますと、腹を立てて、目を閉じる。どういうわけか、人間はわたしに腹を立てるが、わたしの心の中では、事の次第がわかっている。わたしは徐々に光を強め、すべての人がわたしの光の中で生きるようにする。そこで、じきに光と関わることに慣れ、さらに、みなは光を大切に思うようになる。その時、わたしの国は人間の間に来て、すべての人は喜びに祝い踊る。地上は突然歓喜に満たされる。数千年の沈黙が光の到来により破られたのだ。

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東方閃電全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、全能神ご自身によって全てが創られたもので、決して人によって創られたものではありません。今日では、全能神の言葉、福音映画、讃美歌などは、ネットワークを通じて世界中のすべての国々に広がっています。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。