全能神は真理です

全能神―主イエスの再臨

全能神教会讃美歌「人類が神を礼拝すれば人々は幸運を得ることができる」

2018-05-11 00:35:03 | 全能神教会御言葉讃美歌

東方閃電全能神教会讃美歌「人類が神を礼拝すれば人々は幸運を得ることができる」 


神はこの世を創造し 神はこの人類を創造した
そして古代ギリシャ文化と 人間の文明を
築いたのもまた神である
神だけがこの人類を慰め 昼も・・夜も・・いつでも
この人類のことを 思いやるのは神だけである
人間の発展と進歩は
神の支配と切り離すことはできない
人類の歴史は 神の計画から切り離せず
人類の未来も また神の計画から切り離せない

もしあなたが真のキリスト教徒であるなら
いかなる国であれ民族であれ その興亡は
神の計画によって 起こるということを 確信するだろう
神だけがある国やある民族の 運命を知っている
神だけが人類の辿るべき路を知っている
もし人類やある国が 幸運を手に入れたいと願うなら
神の前にひれ伏し 神を礼拝しなければならない
そして罪を悔い改め 告白しなければならない
さもないと人の運命と その行き先は
破滅に終わるしかない
人の運命と その辿り着く終着点が
悲劇的な破滅に 終わることを避けられないだろう
『言葉は肉において現れる』より

 

 

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全能神の発表「堕落した人間は受肉した神による救済をより必要としている」抜粋 2

2018-05-10 01:40:08 | 全能神の発表

 全能神教会 |堕落した人間は受肉した神による救済をより必要としている」抜粋2

 人間は自分の信仰がいいかげんなものであっても気にとめない。そして、好きなように神を信じている。これは誰も妨げることのできない「人間の権利と自由」の一つなのだ。なぜなら人間は他の誰のものでもない、自分の独自の神を信じているからである。これは私有財産であって、ほとんど誰でも、こうした私有財産をもっている。人間はこれを自分の貴い宝だとみなしているが、神にとっては、これ以上卑しく無価値なものはない。この人間の私有財産以上にはっきりと神に敵対するものはないからである。なぜなら、神が受肉してその働きを行うため、神は触れることのできる形を持ち、人が見、触れることのできる肉体になるからである。神は形のない霊ではなく、人間がさわり、見ることのできる肉体である。しかしながら、人々の信じる神々のほとんどは、生身の体をもたず、形がなく、不定形である。このように、受肉した神は、神を信じる者ほとんどの敵となり、同様に、受肉した神という事実を受け入れることのできない人々も、神の敵となった。人間は考え方や反抗心からではなく、この私有財産のために観念にとらわれているのだ。この私有財産のせいで、たいていの人は死に、この漠然とした、触れることができず、目にも見えない、実際に存在しない神のために、人間のいのちは損なわれている。人間のいのちが失われるのは、受肉した神のためではなく、まして、天の神のせいでもなく、人間が思い描いている神のせいなのである。神が受肉した唯一の理由は、堕落した人間が必要としているからである。人間が必要としているのであって、神が必要としているのではない。神のすべての犠牲と苦しみは人間のためであって、神自身のためではない。神には賛否も報奨もない。神はもともと自分のものであるもの以外、将来何らかの収穫を得るわけではない。神が人間のためにすること、犠牲とすることはすべて、何か大きな報酬を得るためではなく、純粋に人間のためである。受肉した神の働きには想像を超える困難が数多く伴うのだが、それが最終的に達成するものは、霊による直接の働きの成果をはるかに超える。肉の体の働きは多くの困難を伴う。肉体は霊のような偉大な身分をもたないし、霊のような超自然的な業は行えない。まして、霊と同じ権威をももたない。しかし、この平凡な肉の行う働きの本質は、霊が直接行う働きの本質をはるかに上回る。この神の肉体は、すべての人間の必要に応えるものなのだ。救われるべき者たちにとって、霊の使用価値は、肉にはるかに劣る。霊の働きは、全宇宙、すべての山々、川、湖、大海に及ぶ。しかし、肉の働きで神は、触れるすべての人と効果的に交流できる。そのうえ、触れることのできる形をもつ神の体は、人間には理解しやすく、信頼しやすく、神についての人間の認識を深めることができ、神の実際の業の深い印象を植え付けられる。霊の働きは神秘に包まれていて、死すべき人間には理解し難く、見ることはそれ以上に難しい。だから、無意味な想像に頼るしかない。しかしながら、肉の働きは正常で、現実に基づいており、豊かな知恵を含み、人間の肉眼で見ることのできる事実である。人間はその身で神の働きの知恵を経験できるから、豊かな想像力を働かせる必要もない。これが受肉した神の働きの正確さ、本物の価値である。霊には、人間の目に見えず、想像しにくいことしかできない。たとえば、霊による啓示、霊の動き、それに霊の導きなど。しかし、知性のある人間には、こうしたものは何ら明瞭な意味をもたない。こうしたものは一つの動き、あるいは漠然とした意味しか提供せず、言葉による指示を与えられない。しかしながら、受肉した神の働きは、大いに異なる。言葉を用いて正確な導きができるし、明確な意図、そして、目指すべきはっきりとした目標がある。だから、人間は手探りして歩きまわる必要がないし、想像力を働かせる必要も、まして、推測する必要もない。これが肉における働きの明瞭さであって、霊の働きとの大きな違いである。霊の働きは限られた範囲においてのみ適しており、肉の働きと置き換えることができない。肉の働きは、霊の働きよりはるかに正確で、必要な目標とずっと現実的で価値ある認識とを人間に与える。堕落した人間にとって最も価値ある働きは、正確な言葉と目指すべき明確な目標を与え、そして見て触ることのできるものである。実際の働きと時宜にかなった導きだけが人間の嗜好に合う。そして、現実の働きだけが人間をその堕落した邪悪な性質から救える。これを成し遂げられるのは受肉した神だけである。受肉した神だけが、人間をかつて堕落した邪悪な性質から救えるのだ。霊は神に備わった本質であるが、こうした働きは受肉した神にしかできない。もし霊だけで働いたなら、神の働きは効果的なものではないだろう──これは明確な事実である。大方の人は、肉のために神の敵になっているが、神がその働きを完了するとき、神に敵対する者たちは敵であることをやめるだけではなく、それどころか神の証人になるだろう。そうした人たちは神に征服された証人、神の心にかない、神と分かちがたい証人になる。神はその肉体における働きの重要性を人間に知らせる。そして人間は、人間存在の意味にとってのこの肉体がどれほど重要であるかを知り、人間のいのちの成長のために神の肉体がどれほど価値あるものであるを知り、そのうえ、この肉体が、離れることが到底できない、生きるいのちの泉となることを知るだろう。受肉した神は、本来の神の身分と地位には遠く及ばないし、人間からすると神の本来の地位と相容れないものと思われるだろうが、この肉体、すなわち神の真の姿や身分をもたないこの存在は、神の霊には直接できない働きができるのである。それが神の受肉の真の意味と価値であり、そしてこの意味と価値を人間は理解し、受け入れることができない。すべての人間は神の霊を仰ぎ、受肉した神を見下すが、彼らがどう判断し、どう考えるかに関わりなく、この肉体の真の意味と価値とは霊にはるかに優る。もちろん、これは堕落した人間との関連においてのみ言えることだ。真理を求め、神の現れを待ち望む者すべてにとって、霊の働きは感動と啓示、理解不能で想像もできない不思議な感覚、偉大で超越的で崇めるべきものであるが誰にも達成できず手に入れることのできないものという感覚だけを与える。人間と神の霊とは、遠くから互いを見ることしかできない。まるで両者の間に遠い隔たりがあるように。そして、けっして似ることがない。まるで、目に見えない境界で隔てられているかのように。実は、これは霊が人間に与えた幻影である。なぜならば、霊と人間とは種類を異にするものであり、霊と人間はけっして同じ世界で共存できず、霊には人間的な要素は何もないからである。だから、人間には霊は必要ではない。霊には、人間に最も必要な働きを直接することができないからである。肉の働きは求めるべき真の目標、明確な言葉、そして、神が現実的かつ正常で謙虚で普通であるという感覚を人間に与える。人間は神を恐れはするだろうが、たいていの人は神と心安く付き合える。人間は神の顔を見、神の声を聞きことができるし、遠くから見る必要はない。この肉体は人間にとって近づきやすいように思われる。遠くの不可思議な存在ではなく、目に見え、触れられるのだ。この肉体は人間と同じ世界にあるのだから。


 

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世の終わりのキリスト全能神は、イエスの再臨です、「東方閃電」全能神教会を考察しまょう



全能神教会の御言葉カード

2018-05-09 01:37:21 | 全能神御言葉カード

全能神は言われた。

 

 

 [東方閃電全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、全能神ご自身によって全てが創られたもので、決して人によって創られたものではありません。今日では、全能神の言葉、福音映画、讃美歌などは、ネットワークを通じて世界中のすべての国々に広がっています。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。


全能神教会讃美歌「あなたは永遠のいのちの源を知っているか」

2018-05-08 01:12:28 | 全能神教会御言葉讃美歌

全能神教会讃美歌「あなたは永遠のいのちの源を知っているか」


は人の命の源であり
天と地は 神の力によって生きている
命ある全てのものたちは
神の支配と権威から逃れられない
あなたが何者であったとしても
人々は神に従わなくてはならない
そしてまた 人は神の支配と神の命令に
服従しなければならない
あなたは熱意を持って
命と真理を探しているかもしれない
永遠の命を受けるために
信頼できる神を探しているかもしれない
もしもあなたが 永遠の命を得たいのなら 
その源と 神のいる場所を見つけなさい 
神は決して 変わることない命であり
神だけが命の道を持っている 
神が命の道であるがゆえに 
神は永遠の命への道・・そのものである

神は終りの日に 新たな業を行う
神は宇宙の支配者である
あらゆる人々の心の支えであり
人々と共に生きている
そして神は新しい命をもたらし
人々を命の道へと導いてゆく
命を得て存在出来るように
神は地上に来て 人々と共に生きている
神は宇宙を導き
救いのための取り計らいに仕えさせる
天と人の心の中だけでなく
神はこの世界にも 確かに住んでいるのだ
もしもあなたが この真理を否定するならば
真理の道も・・命への道も・・もたらされる事はない
もしもあなたが 永遠の命を得たいのなら 
その源と 神のいる場所を見つけなさい
神は決して 変わることない命であり
神だけが命の道を持っている 
神が命の道であるがゆえに 
神は永遠の命への道・・そのものである
神は宇宙を導いてゆく 
神だけが永遠の命への・・道なのである
『言葉は肉において現れる』より

 

 

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全能神の発表「堕落した人間は受肉した神による救済をより必要としている」抜粋 1

2018-05-07 01:38:11 | 全能神の発表

 東方閃電全能神の発表「堕落した人間は受肉した神による救済をより必要としている」抜粋 1

 が受肉したのは、その働きの対象がサタンの霊や肉体を持たない何かではなく、人間、つまり肉体をもち、サタンに堕落させられた存在だからである。人間の肉体が堕落しているからこそ、神は肉体をもつ人間を働きの対象とした。さらに、人間は堕落の対象であるため、神は救済の働きの全段階で、人間をその働きの唯一の対象としている。人間は死すべき存在で、生身の体をもっているが、人間を救える唯一の存在は神なのである。そこで、その働きでよりよい成果が得られるよう、神は働きを行うために人間と同じ属性をもつ肉体をもたなければならない。神がその働きを行うために受肉しなければならないのは、人間が肉体をもっていて、罪を克服することも、肉体を捨て去ることもできないためだ。受肉した神の本質と存在は人間の本質や存在とは全く異なるものなのだが、神の外見は人間と変わらず、通常の人間と同じように見える。神は普通の人間のように生活し、神を見る者は、普通の人間との違いを見いだせない。この普通の外見と普通の人間性とは、普通の人間として神がその神性の働きをするには十分である。神の受肉は普通の人間として働くことを可能にし、人々の間での働きを容易にし、さらに、その普通の人間性は人々の間で救いの働きを進めることの役に立つ。神の普通の人間性は人間の間に多くの混乱を招いたが、そうした混乱は神の働きの成果に影響を与えていない。つまり、神の普通の肉体の働きは人間に素晴らしく有益なのである。たいていの人は神が普通の人間であることを受け入れないが、それでも神の働きは効果的であることができ、そうした効果は神が普通の人間であることで達成される。この点に疑問の余地はない。神の肉体における働きから、人間は、神の普通の人間性について人間の間に存在する観念から受けるよりも十倍、数十倍のものを得る。そして、そうした観念はいずれ、すべて神の働きに吸収されることだろう。また、神の働きが達成した成果、つまり、人間がもつ神についての認識は、人間が神についてもっている観念をはるかに超える。神の肉体における働きは想像もできないし、測りようもない。神の体はどの人間の肉体とも異なっているからだ。外見は同じでも、本質は異なっている。神の肉体は、神について、人間の間に多くの観念を生み出す。しかし、神の肉体はまた、人間が多くの認識を得ることを可能にする。そして、似たような外見をもつどの人間をも征服できる。神は単なる人間ではなく、人間の外見をもつ神であり、誰も神を完全に理解することはできないからである。目に見えず、触れることもできない神を誰もが愛し、歓迎する。もし神が人間の目には見えない、ただの霊であるならば、人間が神を信じることは容易である。人間は自分の想像力を自由に働かせることができる。神の姿として、どんな姿でも好きなものを選び、それで喜んで満足していられる。このように、人間は自分の神に対して何でも思いのままに、この神が望むとおりのことを、何のとがめもなく行うことができる。さらに、人間は、自分よりも神に忠実で信心深い者は誰もいない、他の人はみな異邦の犬で、神に背いていると信じている。これが、神について漠然と教義に基づいた信仰をもつ人々が求めているものであると言える。彼らの求めているのは、どれも同じようなもので、ほとんど違いがない。これは単に、人々の想像している神の姿が異なっているというだけで、その本質は、実際のところ、同じなのだ。



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全能神教会の御言葉カード

2018-05-06 10:31:57 | 全能神御言葉カード

東方閃電 全能神は言われた。


 
 
 
 
 [東方閃電]全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、終わりの日の全能神の働きを受け入れ、神の言葉によって征服され救われるすべての人々によって成り立っています。当教会は、全能神ご自身によって全てを創られ、全能神ご自身によって導かれ牧養されています。決して人によって創られたものではありません。キリストは道であり、真理であり、いのちなのです。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。

全能神教会の御言葉「宗教奉仕を取り締まるべきである」

2018-05-05 00:39:53 | 全能神教会御言葉朗読

 

全能神は言われた「今後、神は宗教的観念が無く、古い自分を捨てる用意ができていて、従順に神に従う人たちを正式に完全にする。神は言葉を慕う人たちを完全にする。そのような人たちは立ち上がり、神に仕えるべきである。神には、底知れない豊かさと計り知れない知恵がある。神の驚くべき働きや尊い言葉はもっと多くの人たちが享受するためにある。これらの新しいことは宗教観念を持った人たちや、当然のように優越感を持つ人たちや、古い自分を捨てることができない人たちによっては受け入れられない。聖霊がこのような人たちを完全にする機会はない。従う意思もなく、神の言葉に飢え渇いてもいないなら、彼らは新しいことを受け入れることはできないだろう。彼らは更に反抗的になり、更にずる賢くなるだけで、間違った道を歩むことになるだろう。神は今の働きの中で、自分を真に愛する人たちや、新しい光を受け入れることができる人たちを更に立てる。そして、神は自分たちの地位や立場を自慢する宗教家たちを完全に排除する。神は変化を拒絶する人を一人として求めてはいない。」

『言葉は肉において現れる』より


全能神教会讃美歌「神のために証しすることは人の使命である」

2018-05-05 00:25:10 | 全能神教会御言葉讃美歌

東方閃電全能神教会讃美歌「神のために証しすることは人の使命である」


神はあなたがたに 命を授ける
それはあなたがたが
神から受け取る贈り物
だから神を証することは
あなたがたの使命である

神はあなたがたに 自らの栄光を与える
イスラエル人にはなかった
神の命を与える
だからあなたがたは
神に自分の命と若さを捧げなければならない
あなたがたは神の栄光を 手に入れたのだ
だからあなたがたは神の 証しをしなくてはならない
それは神によって定められた事なのだから
あなたがたが神の栄光を
与えられたのは幸運なこと
だから神の栄光を証することは
あなたがたの使命である
ただ祝福を得るために神を信じるのなら
神の業は意味を失い
あなたがたの使命も果たされない
あなたがたは神の栄光を 手に入れたのだ
だからあなたがたは神の 証しをしなくてはならない
それは神によって定められた事なのだから
『言葉は肉において現れる』より

 

 

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全能神の発表「唯一の神自身 6 神の聖さ(3)」抜粋15

2018-05-04 01:05:12 | 全能神の発表

 

 全能神教会 | 全能神の発表「唯一の神自身 6   神の聖さ(3)」抜粋15 

 本日の集会の最初にあなたがたが取った行動がわたしを驚かせた件について議論する。あなたがたのうち一部の者は、現在感謝していたり、感謝の気持ちを抱いていたりして、あなたの気持ちを物理的に表現することを望んでいたかも知れない。それは咎められることではなく、正しくも無く、誤ってもいない。しかし、ここでわたしが言わんとしていることは何であろうか。あなたがたの行動は誤りではなく、どんな形でもあなたがたを咎めることをわたしは望まない。わたしには、あなたがたに理解して欲しいことがある。それは何か。まず、あなたがたが、たった今したことについて質問する。あなたがたは、礼拝のためにひれ伏していただろうか、それとも膝立ちになっていたであろうか。あなたがたの中で、こうした質問に答えることができる者はいるであろうか。(ひれ伏していたと思う。私達はそのようにひれ伏す。)あなたがたはひれ伏していたと思っているということであるが、ひれ伏すことには、どのような意味があるであろうか。(礼拝の意味がある。)それでは、膝立ちになり礼拝することとは、何であろうか。わたしがこのことについてすぐに述べなかったのは、本日のフェローシップの論題は極めて重要なので、あなたがたの気分に影響を及ぼしたく無かったからである。あなたがたは、通常の礼拝でひれ伏すであろうか。(ひれ伏さない。)祈るときにはひれ伏すであろうか。(ひれ伏す。)あなたがたは、条件が許す場合、祈る度にひれ伏すであろうか。(ひれ伏す。)それは素晴らしい。しかし、ここでわたしがあなたがたに理解して貰いたいことは、なんであろうか。それは、神によりひれ伏すことが認められる、2種類の人間についてである。聖書を参照したり、霊的存在の行動を参照したりする必要は無いので、わたしが今ここで、ある真実を述べる。まず、ひれ伏して礼拝することと、ひざまずいて礼拝することは、同じものではない。ひれ伏す者がひざまずくのを神が受け入れられるのは、何故だろうか。それは、神がある者を召し出し、神からの任務を受け入れるよう命ずるからであり、したがってその者は神の前でひざまずく。これが第1の種類の人間である。第2の種類の人間は、神を畏れ、悪を避ける人間であり、ひざまずいて礼拝する人間である。神が認められるのは、この2種類の人間のみである。それならば、あなたがたはどちらの種類に属しているであろうか。あなたがたは回答できるであろうか。多少気を悪くする者もいるかも知れないが、これは事実の真理である。祈りを捧げる際に人々がひざまずくことについては、何も言うことが無い。それは適切であり、然るべきものであろう。なぜなら、人々が祈る時、神に対して自分の心を開き、神と対面して、何か祈ることがあって祈っているからである。それは神との心と心の意思疎通や意志交換である。しかし、わたしがフェローシップであなたがたと会う時、わたしはあなたがたにひざまずくよう伝えていない。本日のあなたがたの行動について咎めるつもりは無い。わたしは、あなたがたがこの原則を理解できるように、説明したかっただけであることは理解して貰えるであろう。(理解している。)それならば、そうした行動を続けないで欲しい。それでは、人間が神の前で直接ひれ伏し、ひざまずく機会はあるだろうか。今後、そうした機会は、常に存在するであろう。遅かれ速かれ、その時が来るが、それは今ではない。そのことを理解して貰えるだろうか。(理解した。)このように伝えると、悲しくなるであろうか。(悲しくはならない。)よろしい。こうした言葉はあなたがたの動機付けや激励となり、したがってあなたがたは人間と神との現在における窮状や、現在における人間と神との関係がどのようなものであるかを心で理解することが出来るかもしれない。最近、わたし達は多くの事柄について議論しているが、神に関する人間の認識は、未だに十分と言うには程遠い状態である。人間が神を理解するために進むべき道のりは、まだ先が長い。わたしの意図は、あなたがたに早急にその道を進ませることでも、そうした意欲や感情を示させることでもない。あなたがたが本日取った行動は、おそらくあなたがたの真の気持ちを示すもので、わたしはそれを感じ取った。そうしたわけで、あなたがたがそうした行為を行っている最中、わたしは立ち上がって、あなたがたの幸いを祈りたかった。なぜなら、わたしはあなたがた全員の幸いを祈っているからである。わたしは、あらゆる事柄について、あなたがたが正しく理解して正しい見方をすることが出来るように、わたしが述べる事柄やわたしの行動により、あなたがたを支援し、導くことに最善を尽くす。そのことは理解できるであろう。(理解できる。)それは良かった。人々は、神の様々な性質についてある程度理解しているものの、神の中にあるものや神の存在、神の業の面では、知識の大部分が、それに関して表面的に読んだり、原理を理解したり、考えたりするに留まっている。人間に最も不足しているのは、実経験から得られる真の理解である。神は、人間の心を目覚めさせるために様々な方法を用いているものの、人間の心が目覚めるまでの道のりは、まだ先が長い。わたしは、あなたがたのなかに、神に無視され、神に見捨てられたように感じる者がいることを望まない。わたしは、あなたがた全員が真理と神の理解を追求し、揺るがぬ意志で、不安や負担なく、勇気を持って前進することを望む。あなたがこれまでどのような過ちを犯したとしても、どれほど大きく道を外れたとしても、どれほど神に背いたとしても、そうしたことが神の理解を追求する上で負担や重荷とならないようにすること。先へ進んでゆくことである。それが何時起こるかを問わず、人間の救いである神の心は決して変わらない。それが神の本質のなかで最も尊い部分である。これで、少し気持ちが楽になったであろうか。(楽になった。)あなたがたが万事においてそしてわたしが語った言葉に関して、正しい方法を採り、正しく理解できることを願っている。それでは、これでフェローシップを終わる。ごきげんよう。(ごきげんよう。)

2014年1月11日

脚注:

a. 原文は「人間による科学の追究と奥義の探索」。

b. 原文では「の泥沼」が省略されている。

 

 

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世の終わりのキリスト全能神は、イエスの再臨です、「東方閃電」全能神教会を考察しまょう


全能神教会の御言葉カード

2018-05-03 01:53:21 | 全能神御言葉カード

全能神は言われた。

 


 

 [東方閃電全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、全能神ご自身によって全てが創られたもので、決して人によって創られたものではありません。今日では、全能神の言葉、福音映画、讃美歌などは、ネットワークを通じて世界中のすべての国々に広がっています。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。