若い時には進路の選択を迫られる時期が必ずある。
自分の家の仕事を継がなければならない人がいる。
生まれつき進路を決められている人もいる。
大事な人を養うための道を歩み出す人たちとか、長年歩み続けている人たちとかもいる。
全てが手に入るほど人生は甘くはないので、何かを得るために何かを捨て、
色々なものを交換しながら生きていく。
自分の家の商売を継いだ知人が言った。
自分は一人っ子だから家を継ぐ以外は考えられなかった。
もし他の道があったなら、どう人生が変わっていただろう…
何になろうか、どの道へ進もうか、いろいろ選べただろうにな。
普通の家のやつが羨ましい・・・・・
もう一人、いつまでも定職につかず、フラフラしてる知人が言った。
な〜んで仕事が長続きしないんだろう…
いっそのこと家が商売人だったら、それを継げばいいから
楽だったのになぁ・・・・・
私の両親は、「あれしなさい これしなさい、」などと
口煩く言うことはまったくなかった。
成績が悪くても、「勉強しなさい」とシリを叩かれる事もなかったので、
同級生が、「お前の親は何も言わなくて羨ましいな」と言われたこともあった。
親が何も言わないのをいいことに、遊んでばかりいたのだ。
高校を卒業して、専門学校に入ったがすぐ辞めてしまい、
その後、就職もせずフラフラ遊んでばかりいたが、親は何も言わなかった。
なんか金持ちのボンボンが甘やかされて育ったみたいに聞こえるけど、
我が家は相模っぱらの貧乏社宅団地住まいであった。
ある日
あまりにも何も言わなさ過ぎるので、父親に尋ねてみた。
すると父はこう答えた。
「だってお前の人生だろう?」
まったく予想外の、親にあるまじき 呆れた返事が返ってきた。
その時 私は悟った。
「ウチの親はアテにできない!」
自分で自分を厳しくしなければ、取り返しのつかない人生を送るハメになってしまう。
きっと私は心のどこかで、親が何とかしてくれるだろうと思っていたのだ。
自分で決めなきゃ… 冷汗が出てきた。
何かをやろうとするのだけれど、失敗したら嫌だな…とか
キツイ仕事は嫌だな…とか、思いっきり自分に甘くしている。
無駄足は踏みたくないから、一発で確実な道を選ぼうとする。
だから悩むばかりでいっこうに決まらない。
失敗して傷付くのを恐れて、足がすくんでがんじがらめになってきた。
私の進路に何一つ障害はない。 立ち塞がる壁も無い。
好きな所に好きなように行ける。 好きなものになれるのに。
だがそれが返って身動きが取れない状態にしていた。
自分で選ぶと言うことは、何もかも自分に責任が覆い被さると言うことなのだ。
誰に強制された訳でもないのだから、選んだ自分に全ての責任があり、
もし失敗した場合、傷付くのは誰でもなく自分自身なのだ。
傷付くのは嫌だから、自分で選べなくなる。 選ぶのが怖くなる。
こんなに自由なのに、なにも決められないでいる。
好きな絵の道へも踏み出せないでいた。
以前、私の父は横浜の鶴見でラーメン屋を営んでいた。
私が三才か四才の頃、家族のために店をたたんでサラリーマンになった。
私はラーメンが結構好きだから、ラーメン屋続けていてくれたらよかったのに、
そうすれば店を継いでそのままラーメン屋になったのになぁ…
その頃の私は、たらたらと目的もなくバイトをし、
いつもそんな事を思っていた。
今思うと、この時期が一番愚かで贅沢な悩みだった。
生まれつき進路を決められている人もいる。
大事な人を養うための道を歩み出す人たちとか、長年歩み続けている人たちとかもいる。
全てが手に入るほど人生は甘くはないので、何かを得るために何かを捨て、
色々なものを交換しながら生きていく。
自分の家の商売を継いだ知人が言った。
自分は一人っ子だから家を継ぐ以外は考えられなかった。
もし他の道があったなら、どう人生が変わっていただろう…
何になろうか、どの道へ進もうか、いろいろ選べただろうにな。
普通の家のやつが羨ましい・・・・・
もう一人、いつまでも定職につかず、フラフラしてる知人が言った。
な〜んで仕事が長続きしないんだろう…
いっそのこと家が商売人だったら、それを継げばいいから
楽だったのになぁ・・・・・
私の両親は、「あれしなさい これしなさい、」などと
口煩く言うことはまったくなかった。
成績が悪くても、「勉強しなさい」とシリを叩かれる事もなかったので、
同級生が、「お前の親は何も言わなくて羨ましいな」と言われたこともあった。
親が何も言わないのをいいことに、遊んでばかりいたのだ。
高校を卒業して、専門学校に入ったがすぐ辞めてしまい、
その後、就職もせずフラフラ遊んでばかりいたが、親は何も言わなかった。
なんか金持ちのボンボンが甘やかされて育ったみたいに聞こえるけど、
我が家は相模っぱらの貧乏社宅団地住まいであった。
ある日
あまりにも何も言わなさ過ぎるので、父親に尋ねてみた。
すると父はこう答えた。
「だってお前の人生だろう?」
まったく予想外の、親にあるまじき 呆れた返事が返ってきた。
その時 私は悟った。
「ウチの親はアテにできない!」
自分で自分を厳しくしなければ、取り返しのつかない人生を送るハメになってしまう。
きっと私は心のどこかで、親が何とかしてくれるだろうと思っていたのだ。
自分で決めなきゃ… 冷汗が出てきた。
何かをやろうとするのだけれど、失敗したら嫌だな…とか
キツイ仕事は嫌だな…とか、思いっきり自分に甘くしている。
無駄足は踏みたくないから、一発で確実な道を選ぼうとする。
だから悩むばかりでいっこうに決まらない。
失敗して傷付くのを恐れて、足がすくんでがんじがらめになってきた。
私の進路に何一つ障害はない。 立ち塞がる壁も無い。
好きな所に好きなように行ける。 好きなものになれるのに。
だがそれが返って身動きが取れない状態にしていた。
自分で選ぶと言うことは、何もかも自分に責任が覆い被さると言うことなのだ。
誰に強制された訳でもないのだから、選んだ自分に全ての責任があり、
もし失敗した場合、傷付くのは誰でもなく自分自身なのだ。
傷付くのは嫌だから、自分で選べなくなる。 選ぶのが怖くなる。
こんなに自由なのに、なにも決められないでいる。
好きな絵の道へも踏み出せないでいた。
以前、私の父は横浜の鶴見でラーメン屋を営んでいた。
私が三才か四才の頃、家族のために店をたたんでサラリーマンになった。
私はラーメンが結構好きだから、ラーメン屋続けていてくれたらよかったのに、
そうすれば店を継いでそのままラーメン屋になったのになぁ…
その頃の私は、たらたらと目的もなくバイトをし、
いつもそんな事を思っていた。
今思うと、この時期が一番愚かで贅沢な悩みだった。