ちかさんの元気日記

辛いことを乗り越えて元気に生きている私“ちかさん”の
涙と怒りと笑いの介護記録。

誕生日、前々夜祭

2014-05-12 01:37:22 | 日記
4月26日付のブログで書いたとおり
今日は息子から母の日&誕生日の接待を受けてきた。

夕方、息子が最近引っ越した東京・中野の駅前で待ち合わせ
小腹を満たしたあと彼の新居を訪問。
「食べてみる?」と
手作りのピクルスを人参サラダを振舞われ
彼が仕事の合間に描き溜めたイラストや漫画を見せてもらったあと
お気に入りのバーへと向かう。

チーズをツマミにウォッカベースのカクテルを飲みながら
話は尽きない。
彼女の話、互いの仕事の話、おっさんの話、映画の話・・・
なんて肩の凝らない奴だろう。

お子さんは何人?
と、職場で聞かれることがある。
息子が一人。
そう答えると
じゃ、べったり?
と、返されることしばしば。

いや、もう独り立ちしているから
“べったり”と世話を焼いているわけじゃないし
ご飯はちゃんと食べてるの?
身体に気をつけなさいよ!
と、私から電話やメールをすることも、まずない。
年に2、3度、飲むだけ。
そして今日のように楽しく会話するだけ。
それだけの付き合いだ。

一人息子、イコール“べったり”した親子関係と思われるのには
大いに反発したいところではあるが
年に2、3度会う、一番気の置けない友人関係
そう言っても理解はしてもらえないだろうから
ま、仲はいいよと、言うに留めている。

まあいいか、世間の見方なんか。

誕生日を二日後に控え、母の日でもあった今日
独立して
なんとか自分の生計を立てられるようになった息子から
ご馳走してもらう酒の、なんと美味しかったことか。

息子よ、数ある母体の中から私を選んでくれてありがとう。
最良の一日でした。

追伸
こんな息子とのめぐり合うことができたのも、おっさんと結婚したからだ。
おっさん、ありがとね。

これも宿命か・・・

2014-05-11 00:08:20 | 日記
実家の母が、私と連絡を取りたがっているらしい。

妹からのメールでは
「お母さんに電話をしたら、お姉ちゃんに相談があるんだけど
仕事が忙しいらしくて
家の電話も携帯も繋がらない、と言ってました」とのこと。

あ、そういえば着信履歴があったけど無視してたわ。

そして今日、夜勤から帰ると
休みで家にいたおっさんが言う。
「夕べお母さんから電話があったよ。また電話するって」

夜勤明けの疲れもあって、ここでも無視。

するといよいよさっき
夜勤明けの夜なら家にいるだろうと見越した母から電話がかかってきた。

あっちゃ~、とうとう捕まっちゃった!!!

で、何の用かいな?

「アナタに聞きたいことがあるの」
―はいはい、ナンですか?
「私は昭和9年生まれだけど、それを西暦に直すと何年になるのかしら?」

はあい?
一生懸命私に連絡を取ろうとした理由は、それですかい!?

企業年金受給の書類を書く上でそれが必要だったらしいが
だったら私じゃなくても
電話で喋った妹やおっさんでもよかったんじゃあないの?

怒りを堪え、計算して伝える。

と、母は最後に
「いつも頼っちゃってごめんね。
大変な仕事をしているんだから、身体に気をつけてね。
無理だけはしないでね」・・・。

ああ、老いた母よ
その優しさがあるなら
どうかツマンナイことで私を頼らないでおくんなさいよ。

サービス精神

2014-05-09 00:42:32 | 日記
久しぶりに、おっさんの話。

彼は今、勤め先であるデイサービスで
“折り紙先生”などと呼ばれているらしい。
毎月のカレンダー作りのために折り紙を折るようになったことは
前にも書いた。
類稀なる、というかバカがつくほどの集中力を持つ彼は
その後、折り紙を極め始めた。
最近ではきれいなキャンディボックスや
立体的なバラの花まで
それは器用に折っている。

家で見本を作っていくと
「ちょうだい、ちょうだい!」
「教えて、教えて!」とおばあちゃまたちから大絶賛され
所長からは「経費を出すからレクレーションで折り紙教室を」
という指令まで下ったそうだ。

入浴介助の最中は民謡をせがまれ
カラオケタイムでは踊って~!と無茶振りをされ
それらに応えるだけではなく
バスでの送迎時には腕を組んでお宅まで送り届けるという大サービスも。

そんな彼の茶目っ気が好まれてか
利用者の女性たちから
「アナタがいるからここにくるのよ」と言われるんだと
喜んで帰ってくる。

今日など、送迎のバスの中で
「大好き!」と告白されたとかで
有頂天で発泡酒をあおるおっさんであった。

よかったねえ、おっさん。
キミの舞台がそこにある!
キミの時代がここにある!

しかし男のサービス精神というものは
受け手である女性の思いやりに支えられているということを
おっさんよ、わかっているか!?

ウチの施設にも、サービス精神旺盛の89歳の男性がいる。
すでに奥様を亡くし、女性との交流を支えにしているAさんだ。
食堂ではあらゆる席を回りながら
「今日のお洋服は一段とお似合いです」
「アナタは大変お美しい」
と、女性利用者さんをつかまえてリップサービスを連発。
しかも、難聴ゆえかなりの大声、ダミ声なんだな、これが。

今日、女性利用者さんたちが集うテーブルで
私も少しばかり彼女たちのオシャベリに参加させていただいた。
その席で話題になったのが、このAさんのこと。

「ほら、よく喋る男性がいるでしょう? あの人の声、うるさいのよねえ」
「でもきっと寂しいんだろうと思って、私たち、お付き合いしてるんですよ」

我こそこの施設のリーダー、ムードメーカーとばかりに
張り切っておいでのAさんだが
実は“寂しい方”だから“お付き合いして差し上げている”
という存在だったのだ。

あらあらあら・・・(涙、そして苦笑い)

いくつになっても、男のサービス精神は空回り。
それを喜んでいるような振りして受け止めている女性の愛情に
いい気になるんじゃあなくってよ
と、Aさんに、そして我がおっさんに。




いい声をください。

2014-05-06 01:21:34 | 日記
お前はなかなか頑張っておる。
ご褒美に一つだけほしいものをやろう。

もし神様がいて、そんな優しいことをいてくれるとしたら
迷わず「記憶力」と答えよう。

40歳を越えたころからそう思っていたし
いつかのブログにも書いたような気がする。

それを今、撤回。
神様に、私はお願いしたい。
「人が聞き惚れる声をください」と。

記憶力はほしい。というか、若き日の記憶力を取り戻したい。
昔から記憶力は乏しい私だが
歳とともにさらに低下するそれを
できることなら取り戻したい。

しかし欲深い私は
最近になってもっとほしいものを見つけた。
それが
人が聞き惚れる声、である。

歌にしても話し言葉にしても
歌詞や内容より発する声の質がどんなに大切かと痛感する。

どんなにいい歌も、どんなに深い話も
声質が悪けりゃ人の心に届かないのだ。

亡き父が、40代の頃に
“話し方教室”なるものに通っていたことを思い出す。
楽しそうではあるが
滑舌が悪く、しかも早口だった父。
思いを伝える術を得たくて
そんな教室に通っていたのだろう。

今になってわかるわ。
あのころは馬鹿にしてたの、ごめん。

明日は休み。
ジャズボーカリスト小林桂のCDを聴きながら
その澄んだ歌声に酔いながら
人の心に響く声がほしいと
心から願う私である。

パラレル・ワールド

2014-05-04 23:40:23 | 日記
きのう、避難訓練の予行演習が行われた。

避難訓練は施設に課せられた行事だが
その予行演習は、こちらが企画したわけではない。
難聴と帯状疱疹のかゆみ、痛みを抱え
先日奥様が入院されたことで心身不安定になっている
やかまし爺様・K氏の発案である。

来る5月21日の避難訓練までに災害が起きたらどうするのか?
それを思うと、K氏は心配で心配で寝付けないのだそうだ。

彼の押しに負けて実施されたきのうの予行演習。

前日の昼食時から他の利用者さんのテーブルを回り
一人一人に予行演習の告知とその必要性を
大声で説いて回っていたK氏。
果たして当日は・・・

息を切らしながら先頭に立って避難経路を回り
最後に全員を食堂に集めて
「僭越ながら・・・」と
まるで自治会長のごとく繰り広げる大演説。
心身の不調を訴えて気弱になっていたこの間までの姿がウソのようだ。

使命感を抱くと、人は体調不良でも高齢でも
ここまで元気になるものか。

求められている、必要とされているという意識(それが思い込みでも)
それが人を生かすんだろう。

追記
演説中、K氏は我が施設の管理責任者である小柄な女性を
「このチビちゃんが―」と“チビちゃん”を連発した。
すると他の男性利用者一名が
「その呼び方は失礼だ。あの人はここの事務局長さんだ」
と、勇猛果敢に反撃。
ま、そうね。正解ではないけど、チビちゃんよりマシな呼び方だわね。
そう思っていたら、今度は別の場所からさらなる反撃。
「違う。あの人はここの店長さんだ!」

チビちゃん? 事務局長? 店長?
なんだか頭がおかしくなりそうだけれど
高齢者だけが住まうここは
俗世間を超越した愉快なパラレル・ワールドだ。