ちかさんの元気日記

辛いことを乗り越えて元気に生きている私“ちかさん”の
涙と怒りと笑いの介護記録。

記憶のメカニズム

2018-05-14 23:57:56 | 日記
認知症と言っても十人十色。
とてもひと括りにはできないと、これまでも書いてきた。

一様に、記憶障害はある。

自分が何歳なのか、わからない。
ご飯を食べたかどうか、覚えていない。
つい今しがた自分が言ったこと、人から言われたことを
瞬時に、きれ~に忘れる。

こういったことは、スタンダードな記憶障害。
認知症の人なら、誰にでもあることだ。

しかし人によって
記憶できること、できないことに違いがあることもある。

たとえば
ユキエは時間の認識はしっかりしているが
未だに自分の母親が生きていると思い込んでいる。

ミネは自分の親や夫が亡くなったことも
自分が今置かれている状況も理解しているが
どうしても時間がわからない。

シュウコは時間も、自分が置かれている状況も理解しているが
なぜか、自分の部屋を覚えることができない。

そしてサナエ。
1日に何度も風呂に入り、洗濯をして
いつも水切れ状態にある困ったサナエではあるが
とりあえず、援助なしでも身の回りのことは自分で行っている。
しかしこのサナエ
なぜか、シャンプーのあとのすすぎを忘れてしまうのだ。

洗髪後、シャワーですすぐことなくタオルで拭き
櫛でなでつけてくるのだろう。
廊下や食堂で会うと、サナエの頭はいつもベッタベタのテッカテカだ。

サナエさん、また頭すすいでないでしょ?

何度注意しても、これを毎日繰り返すのである。

ユキエにしても、ミネやシュウコ、そしてサナエにしても
回線が間違っているなら直してあげたい。
本当なら赤と赤をつなげなくてはいけないところを
彼女たちは青や黄色や黒とつながってしまっている。
それをつなぎ直せばいいだけのことのように思えるのだけれど
認知症はそんなに単純じゃない。

脳の萎縮だとか、たんぱく質がどうのとか
認知症の原因についてはいろいろ解明されているらしいが
人によってこうも違う記憶の仕方を解明できる日は
やってくるのだろうか。

記憶のメカニズムは、果てしなく深い。


女は容赦しない。

2018-05-06 22:33:15 | 日記
早番だった今日の仕事帰り
沈むにはまだ少し早い太陽の下で
子供たちがサッカーボールを追いかけていた。

通勤路である土手を歩きながら
河川敷ののどかな光景に1日の疲れを癒す。

さ、帰ってビールでもいっちゃいますか。

と、そのとき
50メートルほど前を歩く若いカップルが喧嘩をはじめた。

女のヒステリックな声。
それを無視する男。

やがて我慢できなくなったらしい男も大声で応戦。
すると、それに反応して女が暴れ始める。

横から男に体当たりしたかと思ったら
拳で背中を連打。
それでも足りず、今度は後ろに回って喚きながら蹴りを入れる。

男はさすが怒鳴り声を上げる。
「テメエ、いい加減にしろよ!それ以上やったら殴るぞ!!!」

しかしあくまで口だけで応戦する男に対し
女は怯むどころか
なおも体当たりとキックを続けて
男を土手から落とそうとする。

5メートル後ろまで接近してしまった私だが
怖ろしくて脇を通過することなんかできない。

喧嘩は見るのもイヤだ。

引き返して土手を降り、別ルートで家路についたのだった。

女は容赦がない。
そう思う場面に遭遇したのは、これで3度目だ。

20代のとき、夜の渋谷で
若い女が彼氏らしい男をパンツ一丁で土下座させていたのを見た。
いったい何をしでかしたか知らないが
仁王立ちして罵声を浴びせる女の足元で
男はひたすら謝り続けていたっけ。

もう1回は40代のころだったか。
満員の通勤電車で、中年男と若い女が無言で闘っていた。
おそらく接触を不快に思った女が
中年男を肩でぐいぐい押し離そうとし
ジョーダンじゃない、オレは痴漢じゃないぞ!と
中年男が同じく肩で反撃。
そんなところだろう。

数分間それを続けていたが
いよいよ女の方が降りるべき駅に到着した。

と、そのとき女はどうしたか。

降りる間際に、持っていた分厚い本で
男の頭を真上からバコーンッ!叩いたのである。

予想だにしなかった一瞬の出来事に男は呆然。
人込みの中に消えていく女の後姿を
ただ、見つめるしかなかった。

頭にくると女は本当に容赦しない。

怖いわっ!と思いつつ
一度はあれくらいやってみたい、とも思う。
どれほどスッキリするだろうか。







時薬(ときぐすり)

2018-05-02 00:51:21 | 日記
3、4日前に夕食を食べていたとき
おっさんが、言った。

「この間の山口君の報道があった時には
ホントにどうしていいかわからなかったよ」

さらに言う。
「正直、嫉妬しちゃったよ。
オレに何かあったら、お前はあそこまで泣いてくれるんだろうかって」

泣くに決まってんでしょ!?
と答えながら
心のうちではこう叫ぶ。
「アンタのために、どれだけ涙を流してきたかっ!」

でも、まあいっか。
今は限りなく優しい夫なんだから。

夏日の今日、2人とも休みだった。

ピクニックに行こうよと、おっさんを誘い
おにぎり、サンドイッチ、缶ビール、缶チューハイを買って
近くの河原に出かけた。

日差しは強いが、風が心地いい。

10年前、2人で同じ場所に来たときのことを思い出す。
失意の底にいたおっさんを連れ出して
今日と同じように、ここでおにぎりを食べた。

あのとき、おっさんは寄ってくる鳩に向かって
「オレをばかにすんな!」と石を投げつけたっけ。

壊れていたおっさん。
でも、立ち直った。

「あ、魚が跳ねた!」
「あの木、なんていう名前なんだろうね?」

何気ない会話を続けながら、穏やかな時間を過ごす私たち。

京都には“時薬”という言葉があって
それは、時間がすべて解決してくれるという意味らしいが
確かにねぇ。

10年という歳月を掛けたが
いま、おっさんと私は本当に元気である。