またもや
「ファンタスティックコレクションNo.13世紀の大怪獣ガメラ
大映特撮映像の巨星」
から、大映特撮映画史を見てみる。
(文:酒井敏夫(竹内 博))
『昭和29年に東宝が「ゴジラ」を発表して以来、大映も刺激を受けて特撮の大作を作るようになり、31年には他社の先を越して「宇宙人東京に現わる」を初のカラーで製作した』
『地球に天体”R”が接近し、衝突の危機があるため善意の宇宙人パイラが警告にやってくる話だが、泥臭さが拭いきれず、シナリオで失敗している』
どこが失敗したのか教えて欲しかったなあ。
泥臭いというのは、宇宙物なのに冒頭は一杯呑み屋(宇宙軒という)の会話から始まったりする辺りを言っているのか。
シナリオの失敗は、天体”R”の接近に対し地球人は核攻撃で立ち向かうが歯が立たなかったので、一旦パイラ人が危険だと言って破棄させた研究を使って天体”R”を破壊して、めでたしめでたしという展開はないだろうという事か。
ちなみにパイラ人はヒトデ型で岡本太郎さんのデザイン。地球人に変身して行動する。
『むしろ映画としては翌32年の「透明人間と蠅男」の方が、タイトルは際物的だが中身は面白い』
確かに、その通りだと思う。
「透明人間と蠅男」は透明人間映画としては珍しくホラーでもコメディでもない。透明人間になれる「透明光線」の研究を狙って、暗躍する「蠅男」と呼ばれるミクロ人間。「蠅男」は一時的に薬の力で小さくなり、風にのって浮遊、殺人行為等を行うのだ。
映画は「透明光線」の研究を守る研究者、刑事と「蠅男」を操る犯人との攻防を描いている。監督は村山三男さん。後に「ザ・ガードマン」を撮っている方である。そのせいか捕物のシーンはガードマンみたいに見える。
刑事と透明人間に追い詰められた犯人は自ら「蠅男」に変身。通気口を通って逃げ出し、数日後、東京を爆弾で爆破させると電話で脅迫する。手始めに刑事の目の前で街をドカーンと爆発させる。
このシーンはミニチュアで突然出てくるから驚く。
爆弾の所在を教える代わりに「透明光線」の引き渡しを要求。犯人はヘリコプターで現れるのだが...。
ってここまで書いていて気がついたが、これ刑事ドラマじゃん。たまたま引き渡し「物」が「透明光線」で、密室殺人トリックに「蠅男」を使っただけで、
仮に特撮なしでも映画のストーリーは成立するかな。
でも面白いのでおすすめ。
この2作はタイトルのみ(←よく知らない)
昭和33年「炎上」市川崑監督
金閣寺炎上シーン。
昭和33年「都会という港」山本富士子の一人二役。
『圧巻は昭和33年10月に公開された「日蓮と蒙古大襲来」の特撮だろう。例の海戦、また”神風”シーンは嵐に翻弄される蒙古軍の恐怖までよく描写されている』
ラストシーンの描写である。本当に圧巻といっていい。ただそれまでは退屈だけど(笑)。あくまで特撮映画として観た場合だけど。特撮は築地米三郎さんだったかな?(←調べろよ)
この2作もタイトルのみ
昭和34年「細雪」芦屋川の洪水シーン
昭和34年「ああ江田島」
『昭和35年には大映京都作品で時代劇ファンタジーと呼ぶべきか、弘津三男監督の「透明天狗」、田中徳三監督「大江山酒天童子」が公開されている。天狗よりも酒天童子の方に見るべき点は多く、土蜘蛛のシーンは無気味で、蜘蛛もよく動いていた』
これね。
怪牛もよろしく。
造形物は良く出来ているので、そういう意味ではおすすめ。
『昭和36年11月には三隅研次監督、70㎜の超大作「釈迦」が封切。当然ながら特撮も70㎜!この映画こそ大映特撮の実力が最も発揮された作品で、日本の特撮映画としても最高水準をゆく作品である』
『決して特撮が、表面にでしゃばる事なく、ありがちな本編を喰う事もない。話も、宗教映画によくある愚にもつかないような話ではなく、各エピソードを旨くつなげ時間を長く感じさせない』
『クライマックスのダイバ王子(勝新太郎)が地震、地割れに巻き込まれるシーンの特撮などは唖然として声も出ないほどだ』
そうかあ?
私はこの映画をレンタルで2度観たが、途中で寝てしまうほど退屈だった。全部観るのは長かったなあー。
スケールは大きく、オールスターの史劇スペクタクル映画には違いないが、特撮映画として観た場合、それほど大きな特撮シーンはなかった気がする。だからもともと特撮は本編を喰わない。もちろん東宝特撮映画と比べたらの話だが。
地震、地割れシーン
石像にヒビが入り...。
真っ二つ。
地割れ。「アァー!」(勝新さん)
石像にヒビが入っているから、バラバラに崩れるのかと思ったら、スパッと真っ二つに割れたのは意外だった。
唖然とした。
関係ないが、このシーンを思い出した。
早川健「これが俺の逆さ灯籠さ」真っ二つ。
ちなみに
快傑ズバット第4話(1977年東映)ね。
これもタイトルのみ
昭和37年「鯨神」(←知らない)
昭和37年「鯨神」(←知らない)
昭和38年「風速七十五米」
『日劇付近のミニチュアがよく、台風に襲われるシーンも臨場感が出ていた』
特撮は築地米三郎さん。(←ビデオ持ってるから間違いない)主演は田宮二郎さんだが、宇津井健さんの活躍もみどころ。台風の中で、二人は激闘を繰り広げる。
タイトルのみ
昭和38年「あしやからの飛行」日米合作。大映が特撮を担当。(←知らない)
昭和39年企画。「大群獣ネズラ」
宇宙食を食べたネズミが仔牛大に巨大化。都心で暴れるという内容。本物のネズミを使ったため、トラブル続きで撮影中止。
昭和40年「大怪獣ガメラ」
いまさら、呟くものでもない。名作である。
昭和41年3月24日朝日新聞の全国版に大映の一頁広告が載る。
「ガメラ対バルゴン」「大魔神」の広告の上に永田雅一社長が「日本映画は必ず復興する」との一文を寄せたとの事。
『だが、それは対外的なものでしかなく、この年、ガメラの特撮を担当した築地米三郎は大映を辞めている。この時点で、戦後間もなく開始された大映特殊技術セクションは崩れ去ったと言い切って良い』
言い切るな。
ガメラシリーズも大魔神も特撮技術は決して低くはない。築地米三郎さんの退職だけでそんなに変わるか。現場に残った湯浅憲明さんや黒田義之さんの苦労はどうなる。
『バルゴンと大魔神の出現により、それまでリアリティーを追求していた大映特撮の特長が、消え去ってしまったのだ。特撮と気付かせないで観せる多くの珠玉のような作品を大映は作り続けたのに、惜しい事である』
自分で最初に書いた事を忘れたのか?
大映は戦後ロケ費用の負担を減らすために特撮を始めたんだと。
だが高度成長期を迎え、大衆は娯楽を求め、東宝映画のような特撮映画がもてはやされた。大映はそのブームにあやかって特撮メインの映画を作っただけだ。
ガメラシリーズを作ることで大映は東宝に引けをとらない特撮技術を手にしたのだ。実際、湯浅憲明監督は東宝のような特撮を使った戦記映画を撮っている。
特撮は映画表現の手段である。大映だって最初からリアリティーのあるミニチュアや造形物の映画を作ろうとしている訳ではない。単にそういう場面が必要な映画が企画されなかっただけだろう。
こういうライターに限って、リアリティーを追求した特撮を多用した「新幹線大爆破」(1975年東映)は評価しない。
金属製のミニチュアが軽くて爆破がしょぼいとか。あれはイメージシーンだろ。他のシーン観ろよ。
『良かれ悪しかれ、40年代に大映は大魔神を3本、ガメラ映画を7本、妖怪シリーズ3本と、特撮を売り物にした映画を多産する』
時代が求めていたからね。映画は興行だ。
『特撮監督として湯浅憲明、黒田義之が台頭してくるが、不幸にも大映倒産の憂き目にあい、その後は特撮映画を撮ってない』
テレビではやってるよ。「電人ザボーガー」(湯浅憲明)、「ミラーマン」、「ジャンボーグA」(黒田義之)。ガメラの特撮スタッフも調布のスタジオで「ファイヤーマン」をやってるし。
大映の倒産だけでなく、映画自体が斜陽で「ゴジラ」の本多猪四郎監督だって「帰ってきたウルトラマン」「緊急指令10-4 10-10」を撮ってるから、大映だけの事情じゃないでしょ。
『せめてもの慰めは、ガメラの存在だろうか。しかし、今は陽気なガメラの新作も観る事は出来ないのだ』(結び)
散々怪獣映画をディスっておいて、ガメラだけが希望だと。本当は「釈迦」が好きなくせに。まあ一応これ「ガメラ」の本だから。
後半、筆者への悪口になってしまったが、これが昭和54年当時の「特撮」に対する主流の考察だったのだろう。
今でこそ戦隊シリーズや仮面ライダー、ウルトラマンのファンが特撮好きと称しているが、これらのヒーロー作品は当時彼らからは特撮とはみなされなかった。
筆者はもう鬼籍の人となってしまったが、今の特撮物の現状を知ったらどう思うだろうか。