5月5日に
日本の原発ぜんぶ停止した
と聞いて
私はずいぶんホッとした
なのに、大飯の原発が再稼働すると言う
「エーッ」
と思い、
先週、台風の日に
福井へ行ってきた
大飯原発は
地元では大飯電原と呼ばれていて
沖縄本島の縮小形によく似た、細長い半島の先っぽにある
半島の付け根や島の東側の浜沿いの漁村や畑は
昔からそこに住む人の雰囲気があるが、
それ以外の
橋、道路、建物、看板、観光施設、トイレ…
すべて立派
関電と行政が
金に物言わせて作らせたなぁとわかる
新しくて清潔で…
でも、よそよそしい感覚も強い…
誘致された大企業と、地元の、気遣いのズレが出てる感じ
現地に着いたときはもう夜で、
半島入ってトンネル出ると車のナビがおかしな指示ばかり出すので
念のため、
入口警備の人に
「これが大飯の原発ですか?」
と尋ねたら
「はい。原発です」
と教えてくれた
へぇー
と言って見上げたけれど
その入口からまだトンネルいくつか越えなきゃ、中には入れないのだそうだ
台風が近づいていて
雨風が吹くなか、
原発がよく見える場所ないかなぁ?としばらく走ってみたが、よくわからなかった
そう言えば
高村薫の小説「神の火」で、主人公が原発に忍び込む場面でも、
原発は外部から攻撃されたらエライことやから警備が厳重やないとアカンのに、丸見えやないか…
という場面、あったよなぁと思い出す
原子炉を人質にして密出国を謀る、テロの話やったけな…
あれは90年代の小説の中の出来事だったけど
今の私らの現実は
原子エネルギーは、人間の手に負えるものではないのだ、
とフクシマで思い知らされた
発電所という箱に入っていれば平和利用と言えたのかもしれないが
そこから外に出て
放射能と呼ばれた瞬間から
生物全般の生命をおびやかす兵器になってしまうのを見たからには…
首相や電力会社がいくら
「安全です」
と言っても
「…けどなぁ」
と思うのが当たり前やと思う
なのにろくな説明も安全の根拠も示さず、再稼働とは
あんまりにもひどい
生命をバカにした、自虐行為だ…
車の窓を開けてCDをかけた
生まれても嫌われてばかりの
ウランやプルトニウムの重たい原子達が
音楽や風のような
軽い粒子に生まれ変われたらいいね
と思って、雨の中で音楽をかけた
原発を包む山は
ひっそりとしてとても静かで
なんだか棺の中にいるような気分だった
腹が減ったので
半島の付け根に戻り、駅近くの居酒屋さんに入ると
地元の会社の社長さんがしこたま酔って
「わしらががんばってきたから今の便利な生活があるんやぞ~」
と半ベソの顔で
何度も何度も叫んでいた
お店のご主人は
「今は原発のことばっかり言われますが、夏は海水浴や観光でにぎやかになる、いい所なんですよ」
とおっしゃっていた
原子力は、
生物として人間DNAにはそぐわない物質だが、
電力会社として、
この町にもたらされた労働と賃金は、ひと家族の一生を保障してくれるのにじゅうぶんにありがたいものだったんだろう
ここを訪れて
人や町のやさしさ、品のよさ、地域のつながりの強さを感じる
簡単に
原発賛成か反対か
と結論づけれることではなかったのだろう…もう何年も
けれど…
やはりあの事故を思うと
「己の一生」
よりも
「これからの百年」
のことが頭をよぎる
現在の便利
よりも
未来への望み、
経済の回復
よりも
心からの安心
のほうが大事だとわかる
今がその大事なときだと思う
起こってしまったことをなかったことにできてしまえるほど、
脳は器用ではないし、
それをすべて解決できるほどお金に力はない
(この十年、世の中や家族や町の変わりようを見ていて…そう思った)
原発はなくす方向で政策を考えてほしいし
今すぐ再稼働というのは
無理がありすぎるんじゃないか?
都会の人も
田舎の人も
原発の地元の人の中にも
そんな想いの人達が
増えてきている
たぶんこれからの主流になるだろう
私だって
そう思ったから、ここへ来てみたのだ
若狭本郷駅の近くに
大飯原発反対見守りのテント村がある
台風が去って晴れた翌日、そこに寄ってみた
全国の原発をまわって
原発反対をとなえるお坊さんの座り込み運動や
農民連?の人達のカラフルな脱原発の横断幕の話をきいたりした
熊本や静岡から来て泊まっている人もいた
政治や活動や運動のことはよくわからないが
数によって、訴求力がぜんぜん違ってくること、
今、ここで稼働停止できたら、脱原発へ大きく前進すること
このふたつの話が頭に残った
朝、
原発への通勤バスが走ってゆくのを見た
乗っている人達の顔は、能面みたいに表情がなくて
満員なのに葬列車みたいだった
1台2台…次々に
山道のカーブを曲がってはトンネルへと消えてゆく…
さまざまな板に挟まれて、あの人達が
いちばんつらいだろう…
一週間後の27日
株主総会で、電力会社が、脱原発依存提案を拒んだことが新聞記事に載っていた
翌日には関電から
「原則、実施しないが、万が一のための計画停電の予定区分け」
を知らせるハガキ一枚が届いた
(意外と原発ナシの覚悟しとるんかもしれんなぁ)
7月1日午後9時から
大飯3号機の原子炉を起動(制御棒を抜くとゆーこと)するという
それまでにもいっぺん
大飯に行こうと思う
誰が良いとか悪いとか、
何が正しいとか間違っているとか、
そういうことではなくて
人間の手に負えなかった「原子力」の底知れない怖さを知ったから、
アカンもんはアカンやろ
と伝えに行くのだ
文責 大河真弓
日本の原発ぜんぶ停止した
と聞いて
私はずいぶんホッとした
なのに、大飯の原発が再稼働すると言う
「エーッ」
と思い、
先週、台風の日に
福井へ行ってきた
大飯原発は
地元では大飯電原と呼ばれていて
沖縄本島の縮小形によく似た、細長い半島の先っぽにある
半島の付け根や島の東側の浜沿いの漁村や畑は
昔からそこに住む人の雰囲気があるが、
それ以外の
橋、道路、建物、看板、観光施設、トイレ…
すべて立派
関電と行政が
金に物言わせて作らせたなぁとわかる
新しくて清潔で…
でも、よそよそしい感覚も強い…
誘致された大企業と、地元の、気遣いのズレが出てる感じ
現地に着いたときはもう夜で、
半島入ってトンネル出ると車のナビがおかしな指示ばかり出すので
念のため、
入口警備の人に
「これが大飯の原発ですか?」
と尋ねたら
「はい。原発です」
と教えてくれた
へぇー
と言って見上げたけれど
その入口からまだトンネルいくつか越えなきゃ、中には入れないのだそうだ
台風が近づいていて
雨風が吹くなか、
原発がよく見える場所ないかなぁ?としばらく走ってみたが、よくわからなかった
そう言えば
高村薫の小説「神の火」で、主人公が原発に忍び込む場面でも、
原発は外部から攻撃されたらエライことやから警備が厳重やないとアカンのに、丸見えやないか…
という場面、あったよなぁと思い出す
原子炉を人質にして密出国を謀る、テロの話やったけな…
あれは90年代の小説の中の出来事だったけど
今の私らの現実は
原子エネルギーは、人間の手に負えるものではないのだ、
とフクシマで思い知らされた
発電所という箱に入っていれば平和利用と言えたのかもしれないが
そこから外に出て
放射能と呼ばれた瞬間から
生物全般の生命をおびやかす兵器になってしまうのを見たからには…
首相や電力会社がいくら
「安全です」
と言っても
「…けどなぁ」
と思うのが当たり前やと思う
なのにろくな説明も安全の根拠も示さず、再稼働とは
あんまりにもひどい
生命をバカにした、自虐行為だ…
車の窓を開けてCDをかけた
生まれても嫌われてばかりの
ウランやプルトニウムの重たい原子達が
音楽や風のような
軽い粒子に生まれ変われたらいいね
と思って、雨の中で音楽をかけた
原発を包む山は
ひっそりとしてとても静かで
なんだか棺の中にいるような気分だった
腹が減ったので
半島の付け根に戻り、駅近くの居酒屋さんに入ると
地元の会社の社長さんがしこたま酔って
「わしらががんばってきたから今の便利な生活があるんやぞ~」
と半ベソの顔で
何度も何度も叫んでいた
お店のご主人は
「今は原発のことばっかり言われますが、夏は海水浴や観光でにぎやかになる、いい所なんですよ」
とおっしゃっていた
原子力は、
生物として人間DNAにはそぐわない物質だが、
電力会社として、
この町にもたらされた労働と賃金は、ひと家族の一生を保障してくれるのにじゅうぶんにありがたいものだったんだろう
ここを訪れて
人や町のやさしさ、品のよさ、地域のつながりの強さを感じる
簡単に
原発賛成か反対か
と結論づけれることではなかったのだろう…もう何年も
けれど…
やはりあの事故を思うと
「己の一生」
よりも
「これからの百年」
のことが頭をよぎる
現在の便利
よりも
未来への望み、
経済の回復
よりも
心からの安心
のほうが大事だとわかる
今がその大事なときだと思う
起こってしまったことをなかったことにできてしまえるほど、
脳は器用ではないし、
それをすべて解決できるほどお金に力はない
(この十年、世の中や家族や町の変わりようを見ていて…そう思った)
原発はなくす方向で政策を考えてほしいし
今すぐ再稼働というのは
無理がありすぎるんじゃないか?
都会の人も
田舎の人も
原発の地元の人の中にも
そんな想いの人達が
増えてきている
たぶんこれからの主流になるだろう
私だって
そう思ったから、ここへ来てみたのだ
若狭本郷駅の近くに
大飯原発反対見守りのテント村がある
台風が去って晴れた翌日、そこに寄ってみた
全国の原発をまわって
原発反対をとなえるお坊さんの座り込み運動や
農民連?の人達のカラフルな脱原発の横断幕の話をきいたりした
熊本や静岡から来て泊まっている人もいた
政治や活動や運動のことはよくわからないが
数によって、訴求力がぜんぜん違ってくること、
今、ここで稼働停止できたら、脱原発へ大きく前進すること
このふたつの話が頭に残った
朝、
原発への通勤バスが走ってゆくのを見た
乗っている人達の顔は、能面みたいに表情がなくて
満員なのに葬列車みたいだった
1台2台…次々に
山道のカーブを曲がってはトンネルへと消えてゆく…
さまざまな板に挟まれて、あの人達が
いちばんつらいだろう…
一週間後の27日
株主総会で、電力会社が、脱原発依存提案を拒んだことが新聞記事に載っていた
翌日には関電から
「原則、実施しないが、万が一のための計画停電の予定区分け」
を知らせるハガキ一枚が届いた
(意外と原発ナシの覚悟しとるんかもしれんなぁ)
7月1日午後9時から
大飯3号機の原子炉を起動(制御棒を抜くとゆーこと)するという
それまでにもいっぺん
大飯に行こうと思う
誰が良いとか悪いとか、
何が正しいとか間違っているとか、
そういうことではなくて
人間の手に負えなかった「原子力」の底知れない怖さを知ったから、
アカンもんはアカンやろ
と伝えに行くのだ
文責 大河真弓