okinatchiの四次元徘徊記

 毎日の出来事を書き綴ります。

3月3日

2012-03-03 09:56:57 | 日記

  3月3日
 曇り、晴れ。 午前6時の外部気温は4℃であった。最近の新聞やTVニュースで、河村名古屋市長が中国の南京市から訪ねて来た中国共産党幹部に対して「所謂、南京事件は無かったのではないか」と言ったことで中国側が怒り、南京市で開かれる予定のアイドルグループの公演が中止になった、とか、政府高官がこの問題は名古屋市と南京市との間で解決して欲しい、と言った、などのことが報じられている。

 所謂、南京事件なるものが起こったとされる昭和12年(1937年)に尋常小学校2年生だった私でさえ今は82歳になっているから、南京事件の当時に南京市付近にいた人は、もうこの世には居ないのだろうから、中国側で日本軍による南京攻略時に30万人とか40万人の中国人が虐殺されたといっている南京事件が本当にあったかどうかについての生き証人は探しようがないだろう。

 今から74年前の昭和12年当時、尋常小学校2年生だった私は毎日の新聞を読んで(当時の日本ではラジオ受信機を持っていた家庭は極めて少なかった … なお、日本でTV放送が始まったのは昭和28年である)日支事変の戦況などを知り得ていたような状況であった。。

 当時の支那大陸では人々の多くが便衣服を着ていたらしかったが、新聞には日本軍が占領した地域で便衣服をきたゲリラが日本兵をピストルで襲う事件が報じられていたことを今でも覚えている。便衣服という衣服はピストルを隠し持ったり他人に気づかれずに発射することが可能な構造のものだったので、日本軍の兵士は非常に苦労が多かったことも新聞で報じられていたことも覚えている。

 中国で喧伝している南京事件は30万人~40万人が短期間に日本軍によって虐殺されたとしているが、そのような多数の人間を短期間に殺すことが可能か?  とか、多くの国の新聞記者が南京付近にいたのに、そのような事件が世界に報じられなかったのは何故か? とか、南京攻略に参加した多くの日本兵が日本国内に帰還した後に、中国がいうような南京事件の存在を匂わすような話はどこにも無かった、などからしても中国がいう南京事件は、白髪三千丈のような中国式の表現なのかも、と思われるのだが、この問題は、今のうちに正しておかないと、中国側がいう南京事件なるものが本当にあった事実になってしまう恐れがあるのだ。

  今のうち 南京事件 見直せよ   徘(徊)人   okinatchi