3月9日
雨。 午前6時の外部気温は8℃であった。冷たい雨の中を駅に急いだ。午前8時頃に友人宅につく。午前9時半頃に訪問看護師のO・Miさんが訪ねてきた。昨日、Aクリニックに行って作ることになった友人の装具のことについてMe区役所の福祉関係の人やAクリニックのA医師などと電話で話合ったりしてから、友人に頼まれてJi駅近くの銀行やパン屋、果物屋などに出掛けた。
友人に頼まれた用事をすませて友人宅に戻ってから、久し振りにKo・Miさんも一緒に昼食を摂った。午後は風呂場の壁面に目立つ汚れの掃除を頼まれたので約1時間程作業をしてから帰途についた。帰りのバスの車中は空いており、バスは空いている道路を順調に走った。
夜のTV番組で昭和20年3月10日の東京大空襲のことを報じていた。あのころ東北地方の片田舎の故郷の旧制中学校の4年生であった私は、東京から疎開してきて同級生になっていた人から3月10日の東京大空襲の有り様を聞いて驚愕したことを覚えている。
大東亜戦争中のことなので、新聞やラジオが東京大空襲のことなどを報道することは無かったが、大空襲を受けた東京の惨状はどこからともなく聞こえてくるヒソヒソ話で広く世間に知れ渡っていたのである。本当の事を大っぴらに話すことが出来なかった大東亜戦争末期のころの日本を知っている人は今の北朝鮮で暮らしている人達を気の毒に思っているだろう。
無差別の 爆撃受けた 東京の ニュースを聞いて 昔を思う 徘(徊)人 okinatchi