4月2日
晴れ。午前6時の屋外気温は7℃であった。午前8時頃に友人宅につく。午前9時過ぎにS大学病院に電話して、友人が歯科医院で虫歯を抜歯する際にS大学病院のKa医師が処方した医薬品Pu・Kiの服用をどの位の期間にわたって中止しなければならないのかについての問い合わせをしたところ、S大学病院からの電話での回答が午前10時過ぎにあり、歯科医院で抜歯する日の2日前から医薬品Pu・Kiの服用を止めるようにと伝えられた。
午前10時半頃に車椅子に乗った友人をAクリニックに連れて行き、午前11時半過ぎにAクリニックへ友人を迎えに行く。Ko・MiさんもAクリニックでリハビリテーションを受けるためにAクリニックに来院していた。昼食にはKo・Miさんも同席した。
午後3時頃に帰途につく。バスは空いていたし道路も空いていたので久し振りに快適な気分で携帯ラジオの音を聞きながらバスに揺られていた。携帯ラジオでで聞いた国会中継は参議院予算委員会での東日本大震災、東電福島第一原発の事故関連の質疑の様子を伝えているものだった。
バスを降りて団地まで歩く途中の桜の木に花がチラホラと咲いているのを見てアレッ! と吃驚した。最近読み終えた生物物理の本に書かれていた内容はまさに驚異の連続であったが、時期がくればちゃんと花を咲かせる桜の木を眺めながら改めて生命の不思議さに感嘆した。
午後7時から某TV局で放送された三宅久之氏の卒業番組は面白かった。三宅久之氏は私と同年齢の82歳であるため、これまで彼を昭和の激動期を共に過ごしてきた仲間のように思っていたから、これから三宅氏がTV番組に出なくなるのは淋しい。思えばこれまでの数十年間にマスコミで大きく取り上げられるような活躍をした人達には私と同じく昭和十一年の四月に尋常小学校に入学した人が多いことに改めて気付かされたのだった。
おないどし 仲間活躍 改めて しみじみ思う 過ぎし日のこと 徘(徊)人 okinatchi