12月1日
雨時々曇り。朝6時の屋外の気温は15℃であった。まだ薄暗い中をバス停まで急いだ。午前8時前に友人宅につく。午前9時過ぎに小雨の中を車椅子に乗った友人を連れて近所のコンビニエンスストアLに買い物に行く。
午前9時45分頃にマッサージ師のOさんが訪ねてきた。Oさんが帰って行ってからケア マネージャーのNa・Suさんと訪問看護師のO・Miさんが訪ねてきた。
昼食後に後片付けを済ませてから、友人から頼まれて洗濯屋に洗濯物を持って行った。午後3時頃に帰途につく。
帰りのバスは空いていた。私はバスの中での大部分を眠って過ごしてきた。家に戻ってからTVニュースで菅原文太が81歳で死去したことを報じていたのを聞いて、私よりも若いものがまた一人死んだか、と思い、そういえば、私の同級生は あらかた故人になっていることに思いをいたし寂しさを感じた。
次々に 舞い込む訃報 気が沈み 徘(徊)人 okinatchi
雨時々曇り。朝6時の屋外の気温は15℃であった。まだ薄暗い中をバス停まで急いだ。午前8時前に友人宅につく。午前9時過ぎに小雨の中を車椅子に乗った友人を連れて近所のコンビニエンスストアLに買い物に行く。
午前9時45分頃にマッサージ師のOさんが訪ねてきた。Oさんが帰って行ってからケア マネージャーのNa・Suさんと訪問看護師のO・Miさんが訪ねてきた。
昼食後に後片付けを済ませてから、友人から頼まれて洗濯屋に洗濯物を持って行った。午後3時頃に帰途につく。
帰りのバスは空いていた。私はバスの中での大部分を眠って過ごしてきた。家に戻ってからTVニュースで菅原文太が81歳で死去したことを報じていたのを聞いて、私よりも若いものがまた一人死んだか、と思い、そういえば、私の同級生は あらかた故人になっていることに思いをいたし寂しさを感じた。
次々に 舞い込む訃報 気が沈み 徘(徊)人 okinatchi