okinatchiの四次元徘徊記

 毎日の出来事を書き綴ります。

3月8日

2015-03-08 22:29:19 | 日記
 3月8日
 曇り(霧雨)。朝6時の屋外の気温は7℃であった。御厨貴氏の司会の下に藤井氏と片山氏とが出演していた早朝の時事放談を視聴したが、藤井氏が安倍政権の政策について批判的な意見に終始していたという感想しか得られなかった。

 今日の昼食時に私の誕生日パーテイをTo駅近くのイタリヤ レストランで開いてくれるというので午前10時過ぎに友人宅に行く。私が友人宅に介護ボランティアで来るようになってからの10年間は、いつも労働服で訪ねてきていたのだが、今日の私はYシャツにネクタイを締め、背広服を着た姿で友人宅に現れたので友人の息子さんから、貫禄があるな~、と言われた。馬子にも衣装ということか。

 友人の息子さんと一緒に霧雨の中を車椅子に乗った友人を連れて誕生日パーテイの会場についたら、A・Kaさんも来ていた。イタリヤワインを飲みながらイタリヤ料理を食べ、2時間ほど過ごしてから帰途についた。

 友人宅についてから有名な洋菓子店から買ってきたというケーキを食べたが、85本の蝋燭を灯す
ことはなかった。日本での年齢表示法は大東亜戦争が終わってから、それ以前の所謂、数え年での年齢表示法から、誕生日に年齢が増加するという所謂満年齢での年齢表示法に変わったのだが、私のような昭和初期生まれの人間は、幼少の頃からお正月が来る度に全部の人が1歳づつ年齢が増加するというものだったので、数え年から満年齢に変わった時には多くの人が違和感を感じたものだったことを思いだした。

 数え年での年齢変化態様のせいか、あるいは私が幼年期に過ごした地域が東北の農村地帯だったせいかは判らないが、私には戦前に個人毎の誕生日にお祝いの行事が行なわれていたような記憶はなく、子供達については幼いころに誕生日祝いをしてやったことを思い出した。

 ところで、昔から60歳、70歳、88歳、99歳などの特定な年齢の人に対して、還暦、喜寿、古希、米寿、白寿 などのお祝いをしているが、それは別に誕生日に行なっていたわけでもなかったのだから、日本では昔から誕生日のお祝いはしていなかったのかな? などと思った。

   誕生日 祝いの酒に ほろ酔って   徘(徊)人 okinatchi