okinatchiの四次元徘徊記

 毎日の出来事を書き綴ります。

3月24日

2015-03-24 22:28:38 | 日記
 3月24日
 晴れ、曇り。朝6時の屋外の気温は5℃であった。今日はTi県i市のO歯科医と午前10時からの診療予約をしているので、午前8半過ぎに家をでてJRのSi駅までいき電車に乗りi駅で下車し、O歯科医のところに行く。

 午前10時から約1時間にわたり歯の治療を受けて帰途につく。JRのI駅から横須賀線直通の快速電車に乗ったら間もなく地下に潜り、聞いたことのないような駅名の数駅を通って東京駅の地下4階のプラットフォームについたので下車した。

 以前から東京駅の地下4階を走る電車のあることは知っていたが、地下4階のプラットフォームに立ち寄ったのは今日が初めてなのだ。地下4階からエスカレータで中央線のプラットフォームに行き電車に乗って家に戻ってきた。途中、スーパーKaに立ち寄って買物をしてきた。

 午後は寝転んでTV画面を眺めながら過ごしたが、途中、眠っていたらしかった。TVニュースで日本各地で桜が咲き始めたことを伝えていた。私は某経済官庁に就職するために昭和24年の3月30日に上京してきたのだが、当時の東京は焼け野原状態であり、上京して来て上野駅のプラットフォームから見渡す限りの焼け野原の中の所々にポツンポツンと焼け残ったビルが点在している有様をみて、大東亜戦争が終わって4年も経過しているというのに、未だに焼け野原状態! とは、と衝撃を受けたこと、桜の花が咲いているのが見えたことなどが脳裏に浮かんだ。

 当時の日本では住居を変える際には、それまで住んでいた地域の役所から移動証明書を発行して貰い、それを移動先の役所に提出しないと、食料の配給も受けられない、というシステムになっていた他、特に東京については、東京以外に住んでいる人が東京に住もうとしても、就学のための転入、就職が決まったための転入、だけが許されているという状態だった。

 当時の東京は戦災により住宅不足が酷く、戦後4年を経過していたのに未だに防空壕で暮らしている人も珍しくないほどであり、私も当時、東京大学の学生として東京に暮らしていた兄のところに転がりこんだのだった。

 昭和24年3月31日に兄と一緒に上野公園に花見にいったこと、翌日に就職さきの官庁で辞令を貰い、同時入庁の同期の連中と昼休みに日比谷公園で弁当を食べに行ったときも満開の桜だったな~などと、65年前のことを思い出していた。

 夜のTV番組でエゴマが身体に良い、という話をしていたので、直ぐにバスに乗ってスーパーIに行ってみたが、エゴマの棚は空になっていた。

  TVで 取り上げたもの 直ぐ売れる   徘(徊)人 okinatchi