okinatchiの四次元徘徊記

 毎日の出来事を書き綴ります。

3月20日

2015-03-20 21:23:59 | 日記
 3月20日
 曇り、晴れ。朝6時の屋外の気温は11℃であった。今日はオウム心理教が地下鉄サリン事件を起こした日から20年目の日であると書いてある新聞記事を読んで、あれから20年も経過したのか! と月日の流れの速さに改めて感じ入った。

 私は約30年間住んでいた世田谷区奥沢6丁目の住居から昭和63年4月25日に現在の住居に引越してきたのだが、その年の秋に住居の郵便受けに入っていた早稲田大学理工学部の文化祭のチラシに 人体浮揚 の実演がある、とも読み取れる記載があったので、チラシに書いてあった日時、時刻に早稲田大学理工学部の指定された場所に出かけて行った。

 私は重力に逆らって人体を空中に浮揚させる力が、どのような力なのかを知りたくて、その日の午後の仕事を休んで、早稲田大学工学部まで出かけてきたのに、指定された会場に入ってみて唖然とした。

 会場には白衣を纏った10人程度の若い男女が、お互いに ○○大師、△△大師、◇◇大師‥、などと呼び合っている光景を見たからである。彼らが呼び合っている、ナントカ大師、カントカ大師などの名前は仏教の佛性阿弥陀経の中に出てくる仏様達の
名前だったので、私はこの連中は仏教関係のなんかなのかな、と思った。

 定刻になって説明が始まって直ぐに、この得体の知れない連中がオウム真理教の信者であるらしいことが判った。水の祭典とか称して教祖がエネルギーを注入したという説明の怪しげな水を飲ませたり、尊師という太った男の人が空中に浮かんでいるような映画を見せられたりした後に、住所、氏名を書かされて1冊の本を渡されてお開きになった。

 このとき白衣を纏っていた若い男女達は、それから数年の後にオウム真理教の幹部としてTV画面上に華々しく登場したのだった。オウムによるサリン事件が起きて暫くしてから、南品川にあった私の仕事場に警察官がきて、玄関から中の様子をジロジロと見回して行ったことがあったが、それは私が昭和63年秋に早稲田大学理工学部の文化祭の時にオウム側の参加者名簿に私の仕事場の住所や名前を記入していたので、警察がオウムから押収した資料で私の仕事場の住所や名前を知り、私の仕事場に警官が来たのかも知れないな、と思ったものだった。

 今日は午前9時半からTo・Ya・MeセンターのKa医師と会うことになっていたので午前9時過ぎに家を出た。Ka医師と会ってから調剤薬局に立ち寄って医薬品を受け取り家に戻り、直ぐに電車とバスを乗り継いで友人宅に向かう。

 午前11時半ころに友人宅につき、昼食の準備をしてから昼食を摂る。午後1時頃にKo・Miさんが訪ねてきた。Ko・Miさんが帰っていってから私も帰途につく。帰りのバスの中では携帯ラジオの国会中継で某女性大物議員の質問を聞いていて、イヤッタラシイ質問の仕方をする人だな~、と思ったりした。

  地下鉄の サリンの事件 はや昔  徘(徊)人 okinatchi