今回は、芦田淳さんの二人のお嬢さん(有子さん、多恵さ)のお話し。
長女有子さんには欧州から買い付けてきた子供服を着せて楽しんでいたので、その反動でファッションには全然興味を示さない子になり、有子さんの「お古」を着せて育てられた多恵さんの方がファッションに興味を持ち芦田淳さんの後継者になったそうです。
国際感覚を持っていたほうが仕事のチャンスに恵まれるという狙いと、ご自身が幼少時から語学で苦労し劣等感を味わってきたからと、お嬢さんたちを若いうちに留学にだす、と決めていたそうです。
特にデザイナーを目指していた、多恵さんは、英語のほかにフランス語も話せるようにと、スイスのレマン湖のほとりの寄宿付の高校に留学させたそうですが英語も話せなかった多恵さんは大変だったそうです。
学校を終え、お二人のお嬢さんは結婚され、現在、お孫さんが4人、芦田さんの追い求めて来た温かい家と家族が、手に入ったと実感されていると書かれています。
多恵さんは、現在、ミスアシダブランドのデザイナーとして、大活躍され、友人の藤原紀香のウエディングドレスも手がけられました。
長女有子さんには欧州から買い付けてきた子供服を着せて楽しんでいたので、その反動でファッションには全然興味を示さない子になり、有子さんの「お古」を着せて育てられた多恵さんの方がファッションに興味を持ち芦田淳さんの後継者になったそうです。
国際感覚を持っていたほうが仕事のチャンスに恵まれるという狙いと、ご自身が幼少時から語学で苦労し劣等感を味わってきたからと、お嬢さんたちを若いうちに留学にだす、と決めていたそうです。
特にデザイナーを目指していた、多恵さんは、英語のほかにフランス語も話せるようにと、スイスのレマン湖のほとりの寄宿付の高校に留学させたそうですが英語も話せなかった多恵さんは大変だったそうです。
学校を終え、お二人のお嬢さんは結婚され、現在、お孫さんが4人、芦田さんの追い求めて来た温かい家と家族が、手に入ったと実感されていると書かれています。
多恵さんは、現在、ミスアシダブランドのデザイナーとして、大活躍され、友人の藤原紀香のウエディングドレスも手がけられました。
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