美男子俱楽部

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農業の印象、慄いた印象、身すがら

2022-09-13 | エッセイ

 人の、人に対する印象というのはじつにいい加減であって、たとえば隣室に住む見るからに快活であって、精彩を放つ新卒の若者はその実際たるや仕事後は東京駅で下車、皇居周辺を徘徊後ひらけた公園で全裸になり一人オペラを歌唱バラタナティヤムその他を踊ってから帰宅するという奇行を働いているのかも知らん。しかし其奴に対して単に誠実な印象を持つ人間と奇天烈なる印象を持つ人間とが同時に存在しているのは因果な事であるよなぁと思う。

 昨年から今年にかけて、俺は当時居住して居た神奈川の家屋を出、千葉の館山で約三箇月寮に住みながら農業に勤しんだ。生い立ちの殆どを世田谷、三鷹などとごみごみとした都で過ごして来た小生ではあるが持ち前の小器用さと学生時代より行ってきた様様なアルバイトの経験が作用し、仕事については然程煩悶せずに「われぇ、結構やるやんけぇ」妙手。と思っていたのは俺自身と他数名ほどで、問題は農園主である社長たる御仁が全くその様に思って居なかった事にある。

 何故かと云えば、その謂れは分っていて先ず入社して直ぐに小生が所謂ペーパードライバーであるという、農家としては致命的な欠陥を抱えていた事を知られつまりそう云った印象を前以て持たれていた印象が一つ、作物の箱詰めなどの軽作業というのは適度な息抜きがこれ肝心で、作業中「ふぃ~」とか言って頸部や双肩を回転させたりしている所、偶さか作物の分量・寸法を誤って箱に詰めてしまい戦慄している所を悲運にも発見せられてしまった印象の印象が在り、この怪しからん印象と印象と印象によって社長殿にとっての俺という人間の印象は痴れ者でたわけ者という具合に成り下がってしまったのである。

 人間、心持ちというのが重要で、何とかして社長の俺に対する印象を復旧しなければという心持ちで気負う程に緊張して失敗を繰り返してしまいやけになって、もはやここは逆に他人の印象などすっかり諦めて小生の出来る事、無理の無い範囲でやったろといった心持ちで行った仕事は今迄の苦悩苦悶が嘘の様に上手く行き、従って仕事に於いて最も肝要な心持ちとは「自分に出来る事を出来る範囲で精一杯熟す」という事であり、そう云う心持ちでそれ以来俺は社長にみごとに気に入られアルバイトから正社員へと徐徐に立場を上げ、行く末は子孫のおられない社長の後継として成り上がる事が約束された様なもので、此れからの当農園の経営方針とか云ふものを真剣に練っておるとその為に手元が狂い作物の分量・寸法を誤って社長の怒号で妄想世界から現実へ帰還、残りのアルバイト期間もそのような体たらくで人の印象の改変というのは難儀な事であるよナァとかぶつくさ言いながら満了後はそそくさと退社、現在東京都会の拙宅で戦慄。慌てふためいた。



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