この間、出張へ向かう新幹線の中で、シュタイナーの
『神智学』を読んでいたら、真理という言葉がとっても気になった。
オッキーがカレーうどんを食べている最中とは知らず、
オッキーに携帯からメールを送ってみた。
「真理ってあるやん?これって事実ってこと?
意味的には、現実に起こり、または存在する事柄。本当のこと。
哲学的には、時間空間内に現に存在するものとして我々に
経験される出来事や存在。
現実的・実在的なものとして想像・幻覚・可能性などに対し、
また経験的に与えられている現象として理想・当為・価値に対する。
って書いてあるけど~ 」
『神智学』を読んでいたら、真理という言葉がとっても気になった。
オッキーがカレーうどんを食べている最中とは知らず、
オッキーに携帯からメールを送ってみた。
「真理ってあるやん?これって事実ってこと?
意味的には、現実に起こり、または存在する事柄。本当のこと。
哲学的には、時間空間内に現に存在するものとして我々に
経験される出来事や存在。
現実的・実在的なものとして想像・幻覚・可能性などに対し、
また経験的に与えられている現象として理想・当為・価値に対する。
って書いてあるけど~ 」
→「飢餓のニュースとか戦争のニュース、自然災害のニュース」
差し迫っていないと実感持てないよね。
でも、自分じゃ何も変えられない、と思って諦めてしまうよりは
小さくても自分にできる 草の根的なことでもできたらな、って思います。
たとえば環境問題のこと。
前の職場はアジアの環境問題を研究する機関だったから、
いろんな情報に触れることができて、
環境破壊、地球温暖化、生態系破壊、食糧危機など、
初めて恐ろしいものだと身の毛がよだちました・・・
そして環境に意識が高い人が集まっていたからか、
みんな自分にできることをしていたよ。
お説教もされた(笑)
んで、今やっていることはとても小さなことだけど、
こんなことならできるって思ってやってまーす。
たとえば・・・
・裏紙を積極的に使用。
テスト印刷を白い紙にするなんてもってのほか!
・水がまともに飲めるのは日本ぐらい。
出しっぱなしにしたりしない。
(食器の洗い方とかも気にするようになったよ)
・食べ物を残さない。
残すほど作らない。頼まない。
食べるものは命をありがたくちょうだいする。
・包装紙や紙袋などは再利用する。
(封筒作ったりしてますw )
・自分の身の回りにある資源を大切にする
最後のは全部を総括したものだね。
断捨離にも通じるものだけど、
捨てることが心苦しくなれば、買うのもすっごく考えるようになる。
必要と思って買ったものは最後まで大事に使う。
モノ余りの現在の先進国。
みんなが少しずつでもそういう意識を持てば・・・と思ってます。
偽善者っぽいかもしれないけど、
何もしなければ何も変わらない。
宝くじも買わなければ絶対に当たらないのと同じと思って(笑)
やっぱり、何かできたかもしれないし、
それをしなかった、無関心だったってのは、
何に関してもカケラほどは私にも誰にでも責任あるよな~と。
でも自然災害は、私に責任ないんちゃう?
他の誰にも。
だから、せめて遠くから悪口募金(^^;)。
気持ちや体を使わないで、
ハシタ金でイイヒト気分を味わっちゃうってのは、
なんか、ものすごい間違ってるような気がするけどね。
飢餓は、もう、
「わたしのせいです、ごめんなさい」ってくらい責任あるわ。
パーティでムダに食べ残したり、冷蔵庫の食材をムダに捨てたり、
ほんのちょっと安いからって自然に悪い育て方の食材を無造作に買ったり、
バーベキューの炭が砂漠化を進めてるかもしれんし、
車通勤が温暖化に一役買ってるのは確かだし、
食べ放題の店を雑誌で紹介したことも多々あったし…。
そうでなくても、昔と違って選挙権もあるし日本のフルメンバーなんだから、
あらゆる日本の政治経済教育…アレコレの問題も、
それなりに自分の、自分たちの責任やと思うわ。
ただ、自分のホントに興味あることじゃないと、
中途半端に感情論で流されるだけで、結局関わりきれないから、
それなら、いっそ、興味本位の情報の消費はやめようかなぁ~
と思ってるだけでさ。
その「興味ももたない」という無関心加減がまた、
あらゆる日本の政治経済教育…の問題を悪化させてるんだろうけど。
だから、興味あることをまじめにちゃんとやって、
その方面で、自分を高めて、結果的に何かいいインパクトを与えることで、
自分の無責任を相殺できたらな、とか、理想的にはそう望むんだけど、
決して相殺できないくらい膨大なものを関心の外に押し出してるんだよな~。
せめて、自分が見通せる範囲の身の回りから、と思うんだけどね。
「そんな遠大なこと言ってる間に、具体的になんかやれよ」
って自分に言いたくなるわ。
何しよ。
↑
それって会社の一般社員の方たちもあまりわかってなくない?
上の方々にはあるのかもしれないけど。
確かに、広報という立場ではとっても仕事がやりにくいよね。
ウリがどこだかよくわからなくない?
まぁ、世界はどこかで自分につながってるから、
つながってるかもしれんからって、
すべてイヤになることはないと思うけどさ。
でも、戦争起こったら、
責任のカケラくらいはやっぱり自分にもあるわけで。
↑
ホオポノポノにもこのようなフレーズが出てきたんだけど、
私はそれを読んだときに、全く理解できなかった。
飢餓のニュースとか戦争のニュース、自然災害のニュースに
もちろん心は痛めているんだけど、
自分とは切り離したところで同情してたんだよね。
今はなんとなく、「責任のかけら」が自分にあるのもわかる気がしてきた。
まだよくわかってないんだけどね。
オッキーさん、さらっと言えちゃうのってやっぱりすごいな。
「マヒさせた方が生きやすいから、気付かないようにしてる」ことって、
あるかもしれんよな。
そういうのって、過ぎ去ったあとで気付くんだけど。
そういうの、あるかなぁ?
あるとしたら、何だろうなぁ?
一年の抱負とか考えてるけど、
「明日死ぬかもしれんこと」とかさ(^^)。
あ、、、、あった。思い出した。
「ITと鉄の会社って、武器商人になる可能性がめっちゃ高い」って
思ったことあってんけど、
親会社がどういうスタンスなのか、わからんよな…。
という予想。
これは結構キツイ。
確かめようもないけど、
封印しないと仕事できなくなる。
封印してることを忘れた方が楽に働ける。
これって、どうよ?
この会社は、武器を作ってないやろーけど(規模的にもムリ)、
親会社が関わってる(かもしれん)っての。
まぁ、世界はどこかで自分につながってるから、
関わってるかもしれんからって、
すべてイヤになることはないと思うけどさ。
でも、戦争起こったら、
責任のカケラくらいはやっぱり自分にもあるわけで。
と言われましても…という感じだけどね。
私も、カケラの影響でも世界に与えられたらいいな、と思って
雑誌とかライターの仕事して
↑
そうそう、そう思いながらマスコミの仕事をしてたんだけど、
本当に生活リズムはめちゃめちゃやん?
ごはんもタクシーの中で食べることとかもよくあって、
あるとき、タクシーの運転手さんに、「そんな忙しかったら大事なもの見失うよ」って言われてハッとしたわ。
確かに、そのときは感覚が麻痺しててさ。
感情が封印されてたわ。
そんな人が、作ったものを世の中に発信したらあかんわなあ。
それこそ『あの手この手で見続けさせよう』としか考えてなかったもん。
変わるのは相手じゃなくて自分。
まずはそこだよね。
ダライラマは、「自分が幸せじゃなくてどうやって人を幸せにすることができるんですか?」って言ってたけど、
やっぱり基礎は自分。自分があってのWEなんやね。
あの手この手で見続けさせようという
プロの技が随所に織り込まれてるから
カンタンにひきずられるねんな~。
実際の生活でも、
必要以上にテンション高い人がいたら、違和感あるけど、
テレビでは常に必要以上にテンション高いしさ~、
単純にウルサイのが苦手でさ、なんか。
私、テンション低く語り合ってる方が好きなので(^^)。
私も、カケラの影響でも世界に与えられたらいいな、と思って
雑誌とかライターの仕事して、
たまには、おもしろいと思う人を紙面で登場させたりもできたけど、
自分の中で、世の中(←大きい相手ですこと)に
「どんな影響を与えたいのか」が、はっきりしてなかったから、
相手何も変わらなかったような気がする。
マスで働くことで、生活リズムがめちゃくちゃになるなら
(って間違いなくそうなるんやろうけど)、
そういう仕事の仕方はイヤやねんな~。
続けてる人は、それを補って余りある
やりがいや使命感をどこかに持ってはるんやろうけど。
テクノロジーは全員を発信者にしたし、
自分が成長しながら、身の回りからじんわり…って感じがいいや。
変わるのは、相手(それも世界ってか!)じゃなくて、自分。
そう思う方が、まだ手に負えそうやし。
その上で、「WE」と呼べるジャンルや範囲が増やせたらいいな。
地味やし、遠いけど、まぁ、歩きたいと思ってるうちは歩いていこう。
テレビやマスコミのことで昔のこと思い出したんだけど。
私が外国行って、他民族に触れて、彼らの愛国心に衝撃を受けて。
私は日本が嫌で外国に行ったくせに、日本のことなんもしらなくて。
だから日本に帰って、日本人に一番影響を与えているマスコミの仕事をしよう
って思ったんだよなあ。
マスコミの中でも一番影響があるのはテレビだから。しかもバラエティーが
今の若者にいちばん影響を与えているわけだから・・・ってバラエティをやって。
そして身体を壊して雑誌に行くんだけどさ。
そのときってそんな仕事しているのにテレビも持ってなかったなあ。
マスコミの仕事をしてわかったことは、
結局そこに入っても私が知りたいことはわからないということ。
テレビでもいろんな世界があるから、たとえばドキュメンタリーとかやってる
人とだと、接点があったかもしれないけどね。
今考えても、安易な考えで仕事探してたよなあ。20代の私。
話がずれたけど、私もテレビがない時代があって、
あるときにテレビがやってきたら、めずらしいもんだから、ずーっと見続けててん。
今も実家暮らしで、居間にいるときはテレビがついている状態。
テレビが主人公みたいな家だから、まずいなあ。
すごく影響を受けてる。5年ほど。(長い!!)
あきませんな。気をつけよう。
真理ってシンプルなんだね。
「We」で考えられるかどうか、
自分の普段の言動を見直してみるわ。
「自分の」じゃなくて、「自分たちの」なのかな。
自分だけじゃないもんね。
すべてつながってるから。
ありがとう。
すごい言葉だわ。
「I」じゃなくて「We」で考える。
忘れてたら、思い出させて。
みなぞーさん、いい言葉をありがと~。
あらゆるヒットものも、ベストセラーも、
「あ、私に必要なのはコレだ!」と思うから欲しくなるんだろうし、
「あ、これって私のことだ!」と思うから読みたくなるんだろうし、
そういう意味では「We」になっているものが、広まっていくんだろうね。
ただし、広告代理店やマスコミがなければ、ね。
私はかなり簡単に洗脳されちゃうから、
新聞、テレビ、雑誌を遠ざけておけば、
自分の欲しいものや価値観を、自分で決められるような気がするわ。
最近インドでダライラマを撮影した時、
ダライラマに「真理」についてたずねたんだって。
そしたら、
「常にIではなくWeで考えること」
と返ってきたそう。
簡単な言葉だけど、深いよなあ。
ちなみに並々ならぬオーラだそうよ。
そんなモンわかるかいな。聞く相手を完全に間違えてるやろ。
「真理」?。みなぞうの知りたいことと噛み合ってないとは思うんだけど、
せっかくなんで「私にとっての定義」を考えてみるわ。
事実っていうと実際にすでに起こった出来事の客観的な味方やけど、
真理はもっと大きいこと。再現性があることで、誰でもが「なるほどそうだ」
って納得することじゃないかな。
気が合うつもりでつきあった人と、つきあってみたら違いばっかり際立つやん?
その違いは、たぶん真理から遠いんだよね。気の合う人とも、別れた人とも、
ケンカしてる人とも、
味方の国とも戦争してる相手国とも、アメリカ人ともパプアの人とも3歳児とも
100歳の人ともオトコでもオンナでもITの技術者でも猟師さんでも共通すること、
「なるほどそうだよね」ってわかりあえることが、
私にとっての「真理」の定義かな。
たとえば、「人はシアワセを求める」「人はひとりでは生きられない」
「生まれる場所・時は自分で決められない」みたいなこと。
これが「人は殴られたらムカツク」だと、ムカツク人もいるし、
萎縮する人もいるだろうし、デキた人なら反省するかもしれないから、
真理とは言えないような気がする。
「人は他人の承認を求める」だと、ちょっと微妙かな。まぁ、そんなカンジ~。
「わーい。お肉発見!」なんていう、のんきな昼休みのカレーうどんが、
みなぞーにメールもらった瞬間、「真理って?」に変わったそのギャップに、
我ながら笑えたけど、考えるの、おもしろかったから許す。
真理、とは言わないにしても、
より多くの人との共通点を探していけば、
どんなにケンカしても、分かり合えなくても、
その地点に一緒に戻れたら仲直りできるかもね。
夫婦はもちろん、国と国、人種と人種のようなものも、
そうだったらいいな。
まぁ、たいていはケンカしてる時は自分の正しさしか見えないんだけどさ。
「私は正しい、相手が悪い」なんてことを
グルグル頭の中で主張してる不毛な期間を、
なるべく短くしたいとは思うんだけど、
いい歳して、いまだになかなか難しい。
どうやったら短縮できるんだろうね。不毛期間。
人が認めてくれようが、くれまいが、
自分の正しさも相手の正しさも変わらないんだけど、
なんだか多くの人に賛成してもらった方が正しいような気になる。
人に認めてもらわないと自分で認めてあげられないのは、
きっと弱い証拠だな。自分軸じゃない。