『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

シュタイナー6つの行を一緒にやってみた

2020年07月04日 | シュタイナー

この数か月、
神戸シュタイナーハウスの大人クラスで、
6つの行について、ひとつずつ取り組んでいました。

・思考の練習(思考を鍛える)
・意志の練習(意志を鍛える)
・感情の練習(振り回されない。共感・反感に学ぶ)
・思考+感情の練習(肯定的に見る練習)
・思考+意志の練習(先入観なく見る練習)
・思考+感情+意志を統合する練習

この6つの練習を一通りやってみたのです。

もちろん、これは、
自分の意志で継続的に取り組むもので、
みんなで「1回やってみたから終わり」
というものではありません。

でも、ぐーたらな私たち(いや、私)は、
誰かと一緒だったり、何かの強制力があったり、
時間の枠を区切られる方が集中して頑張れるので、
今回、一緒に取り組んでみたわけです。

「強制はされたくないけど、勉強はしたい」
というスタンスの勉強会で、
まぁ、理想と現実を織り合わせて、
今の自分たちがしたいレベルはこのくらい、という感じです。
これから、継続的にどの行をするか、またはしないかは、
それぞれで決めることです。

さて。
せっかく一緒にやってみたので、
参加したみんなで、それぞれに
取り組んでみて、気づいたこと、わかったこと、
自分の中で何か変わったこと、をシェアしました。

「これまで子どものこと中心で、
自分のやりたいことは考えてなかった」

初めてそう思えた人がいました。
当然、子どもを預かる親として、
子どもに一番の関心を持つのは自然な事で、
ある意味、理想的なことです。

でも、だんだん子どもは自分で立っていくので、
子どもが立って出て行こうとするヨコで、
親が自分の色で輝いていることや、
自分のナマの存在を踏み台として差し出すことも、
必要なことじゃないかな~と思うのです。

また、
「自分のこの世での役目が何なのかがわからない」
ということを感じた人もいました。

日常の私にはアレコレやりたいことはあるけれど、
自分はそれに尽きるのか? そうじゃない。
自分探しをしたいわけじゃないけど、
本質的に自分が欲していることは何なのか、
をわかるようになりたい、というお話でした。

話をしているうちに
「大きな私と小さな私」と、
自明のことのように言って、「???」という顔をされて、
我に返る、というアホなことをしてしまいました。

カラダの私と心の私と精神の私は違って当然です。
知りたいのは、どの自分が欲してる事なのでしょうか?
「ポテチを好きなだけ食べたい」「目がくっつくほど寝たい」というのは、
カラダの私の欲していること。
「楽して儲けたい」「ウルサイからてきとーに聞き流そう」ってのは、
ココロの私の欲していること。
では、精神の私が欲していることは?
損得や感情を越えて欲しているものに注目したら、
思いがけなく高尚なものを欲しがっていることに気付くかもしれません

さて。
次回からはテオゾフィ(神智学)の「認識の小道」を読んで行こうと思います。
シュタイナー本人の書きものに戻るので、
みんなで読み込んでこないと、何もわからないままです。
がんばろー、おー!
ああ、大人の楽しみは深くしみじみと力が湧くわ。


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