『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

問いを立てたら世界は平和(^^)

2018年01月29日 | 昼行燈より愛をこめて
問いを立てたら世界は平和(^^)。

あーー、バカっぽいタイトル(^^;)。
いや、でも
最後にそういう結論になったんだから仕方ない。
甘んじて受け入れよう。

私は、結構気が長い方です。
自分ではわかりませんが、
いつもニコニコしているそーです。
攻撃を受けた時以外は、
気持ちもまーまー穏やかです。

気が長いのは、単なる性分ですが、
もし、私がいつもゴキゲンなんだとしたら、
「問いを立てる」という基本姿勢が、
それに役立っているかもしれません。

しょうもない例で言うと、前回の、
「今日はなんでパートナーが不機嫌なんだろう」
って思った時に、心のまま反応するなら
「なんでそんな怒った顔してんのよ?!」と言う言葉が、
そのまま、相手を攻撃する言葉になります。

それを問いに仕立てるだけで、
同じ内容のことを聞きたい場合でも、
「ねえ、ヘンな顔してるけど、どうかした?」と
いたわりのトーンに変わります。
んで、私が原因だった時には
呆れて怒られたりもして(^^;)。

聞くのがはばかられる相手なら、
相手の様子を観察して、ヒントにすることもできるし、
イヤなクセだったら
「周りが気を使うから笑顔でいてくれる方が嬉しい」
と伝えることもできるし、
そもそも単なるクセだとわかれば、スルーしてもいい。

…と、まぁ、
いっぱい自分にできることが見える。

ビバ「問いを立てる」!

心が反応するままに、
怒って相手にぶつけて、
相手が変わるなら怒ればいい。

だけど、うまくいかない時
それでも状況を変えたいなら
「問い」にするのがベター。

「なんでそーなるのよ!」は
問いじゃなくて
単なる怒りの反応です。
念のため。

そうじゃなくて、
「知りたい」という
もっとピュアな問い。

感情を無視する、っていう話じゃなくて、
「私そういうのイヤなんだよね」って、
自分でちゃんとわかった上で、
んで、どうするの?という話デス。

そう考えたら、
問いを立てるって、対象を知ろうとする愛だな。
おお、それって、それってもしかして、
フィロソフィー(哲学)、直訳で「知への愛」。
普段の言葉で「なんでなのか知りたい!」。

「問いをたてる」ことは、
自分の考えに固執せず、
他者の考えを柔軟に受け入れ、
自分の考えと融合して、
ともに納得できる「真実」に至る道。

おおおおお。
すっごーい。

自分で「問いをたてる」ことは
家庭平和、世界平和への道なのかーー!

んで、あなたは今、
どんな問いを持ってますか?
=何を愛していますか?

大きなお世話ですね。
それぞれで愛するもの・ことを、
大切にしていってくださいませ。

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