『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

成長とシアワセと植民地

2018年01月03日 | 昼行燈より愛をこめて
ちょっと飛んだけど、
ココ↓からの続き。
私の問い(そしてゴール)は


データを集めて分析して見えることと、
見えないことがある。

え、当たり前?
うん、当たり前。

データを分析すると、
ぼーっと感じてることをクリアに見せてくれるけど、
分析はいつでも事後だからね。
いつでも一歩遅れるし、一歩ズレてる。

分析は、創造じゃなくて再生産。

再生産、と言えば、
どこかの成功モデルをなぞって成功する率は、
誰かのビジネス書を読んで成功する程度、
じゃないのかな? 読まないよりマシ?

たとえば、その成功者が、実はもう倒れかけで、
自分たちが輸血することで成り立つモデルだった
なんてことだってありそうだもの。
…さすがにないか(^^;)。

「成功者」をみんなで真似するのは、
気持ちはわかるけど、
ちょっと違和感がある。

その「成功」は、たぶん、
数字的な成功の例としてはアリだけど、
自分たちのゴールが、それと同じかどうか、
が、先だよね?

成功者をなぞって成功したように見える場合も、
ただなぞっただけじゃなくて、
会社を変えようとする時に必要な、
自分たちの経営哲学やリソースの確認作業、
その作業で生まれるメンバーの一体感が
成功に大きく役立ってるんだと思う。

すでにそれは、
再生産じゃなくて創造。

自分たちの棚卸しをする中で、
成長率の目標を0.5%程度に抑えることで、
働く自分たちがもっとシアワセになれる、
それなら、0.5%の目標にしよう!

そう考えてみることは、
そんなに悪いことじゃない。
それを責めるのは、
たぶん株主だけだしー(^^;)。

力を持つ人が言う目標より
自分たちの目標を下に設定する、って事が、
できる…かどうかキビシイのが歯がゆいけど、
それは考えてみる価値のあることだと思う。

短期的には士気を落とすかもしれない。
でも、
自分の目標を自分で決められるということは、
そしてそれを、
心をイキイキしながらメンバーで共有できるということは、
長期的に見たら、組織のモラルも能力も上がると思うけどなー。

あと、数字以外の目標が、
数字目標より軽くみられるのもどーかって気もするし。


明治のあの時代、もっと遡れば元寇の時、
圧倒的な物量差、戦力差、情報差がありつつも、
日本やタイは植民地にならなかった。

その理由って何だろう。
なんで踏みとどまれたんだろう??
なんで自分たちの文化を守れたんだろう?
そこが答えのような気がする。

いやー、答え書きたいけど、
歴史勉強してないから、わからないんだってーー。
武士道が尊敬された?
わびさびや茶の湯の精神が新鮮だった?
北斎や広重が驚愕だった?

ゴメンなさい。
考えられそうな人、後は考えて、
いろんな答えを探してみてください。

投げちゃってゴメンなさい。

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