『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

熱が欲しい

2018年02月28日 | 昼行燈より愛をこめて
子どもの頃、から、
一見チャキチャキしてるように見えて、
ぼーっとしてました。

兄弟げんかしても、ケンカが終わった後で
「こー言い返せば良かった」とか、
「あー言われたけど、それっておかしくない?」
って気づく、みたいな(^^)。あほーー。

大人になって、その
ぼーっとしたところとは違うところで、
言い返さなくなりました。

心乱されて、衝動的に反応して、
自分じゃなくなるのがイヤっていうか…、
人を否定したくないっていうか…、
いや、やっぱり、ぼーっとしてるんでしょう。
単なる性分かも。

わかんない(^^;)。

こないだ、たまたま飲み会で
「オキツが怒ってるの、見たことない」
という話になりました。

その時、一緒にいた5人中、短気が3人。
何で怒らないのか、って聞かれたので、
考えかんがえ、ココロを覗き込んで取り出してみる。
それも、なかなか時間がかかる。
ああ短気な人、待ってくれてありがとー(^^)。

「だって、何を言っても
人は聞きたいことしか聞かないし、
“他の人が言うこと聞かない”って怒る前に、
自分が全然言うこと聞いてくれないから、
そっちに言うこと聞かせる方が先なんです」
みたいな答えをした。

気が長い組は
「ホント、そうだよね」という反応で、
気が短い組は
「やさしそうに見えて冷たっ!」という反応でした。

そっか。
彼らは熱いのか。

いや、でもやっぱり、
戦闘モードの時は、人の話聞かなくね(^^;)?

その熱さで人々をリードして、
いろんなモノゴトを進めてきたのを見ているから、
熱さの力、みたいなのは感じるんだよね。
多少の理不尽も含め(^^;)。

私にも熱が欲しいな。
失敗や理不尽は怖いけど、
理不尽なのは、人じゃなくて自分だからなー。
自分も同じことやるのに、人に怒れないしなー。
相手は相手の必然性があってそうやってるんだろうしなー。

…とか、ごにょごにょ思うあたり、
すでに熱がなくて、我ながら笑える。
根っから、水の性分。
水は性質を変えずに方円に従う。
けど、水は火山のようには燃えられない。
悔し紛れに「暖かい」と呼んでもらおうか?

こないだ、全然別の人と話をしていた。

「自分が自由になって行きたいと思ってるのに、
その自分の中身がぐちゃぐちゃだったら、
出てくるものもぐちゃぐちゃになるから、
まず中身を整える必要があるんだよね」って。

だから、
クレヨングルグルしたり、絵を描いたり、
瞑想したりして、
理性だけで届かないところを温めてるんだけど。

で、二人で同時に
「でも、カンペキに準備が出来てからじゃ、
この一生、何もできない!」と、
声をそろえて言ったので、ウケました。

その時には、
「“ぐちゃぐちゃなままの自己ベスト”で行くしかないし、
それが答えなんだよ、きっと」と、
二人でゆーてました。

なんだ、それなら熱い人がやってることじゃん。

理不尽に感じた時「冷静になってよ」と思うより、
「私もぐちゃぐちゃだけど、
モノゴト進めるのに熱が必要なら熱を持とう」
ってことを学べばよかったのか。

「自分にも熱が欲しい」と思う
ふたつの出来事でした。


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