『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

春を感じて「にじみ絵」2

2018年02月26日 | 昼行燈より愛をこめて
前回の続きの2枚目、
今度こそ、
花の絵がお題になりました。

でも、
「見た通りに描かなくていいですよ」だって(^^)。

見た通りに描かなくていいなら、
そして、濡らした紙に太い筆で描くなら、
デッサンできないコンプレックスの私も
描けるぞー。



どんどん色を重ねていくのに、
どうしても平板な色しか出ないんだよなー。
しかも、球根デカすぎ。花瓶かよ!
みたいな(T_T)。

他の人のを見たら、
どうやって3色でこんな色が出るの?
っていうビックリするくらいインパクトのある色や、
世界観がビビッドに伝わるような絵なのに、
やっぱり自分の絵にはガッカリ…。

でも、評価してるのは自分だけでね。
誰も、一言も、上手とか下手とか、
それどころか、
描き終わった絵について一言も話さない。

ルール違反かな?とも思ったけど、
横の人に
「この赤がオモシロイ」みたいな印象を伝えたら
「そこはねー、急にそう描きたくなったから、
そうなっちゃったの。
自分でも不思議なんだけどねー」って。

みなさん、本気で、色や形に没頭している。
私みたいに、自分で勝手に「上手に描きたい」って
プレッシャー感じてたりしない。

結果を評価すると、
それだけで終わってしまうから?

自分が何を感じて、
どう描きたくて、描いたのか。
そこが大事なんだと思う。

…とも、誰も言わないけど、
きっとそうなんだと思う(^^;)。


私が描いてる時に感じてたことは、
何だろうなー。
寒い冬にこの花が春を運んできたんだなー
ってこと。

あと、
スノードロップの球根からは、
スノードロップの芽が出て、
スノードロップの花が咲いて、
スノードロップが枯れて
またスノードロップの球根が太って、
来年はいくつか増えるんだなーってこと。

誰の中にも自分の中にも、
すでに完成形の萌芽があって、
それに従うことで、
自分が咲いていくんだな。

だから自由ってのは、
ワガママになることじゃなくて、
史上最高の自分になっていくことなんだ!
一人ひとりが本当に自由になっていくのは、
エゴじゃなくて世のためなんだ!
ってこと。

球根の力があれば芽は出せるけど、
そこから育つかどうかは、
ふさわしい環境かどうかにもよるよなーってこと。

植物は置かれた場所で生きるけど、
人はふさわしい場所を作るために
自分から働きかけられるなーってこと。

咲くだけが能じゃなくて、
枯れた後、球根の力を蓄えることが大事だな、
ってこと。

花は咲いてる時だけ注目されるけど、
人の評価を気にするってことは、
ずっと咲いてる必要があるってことで、
それじゃ命の循環法則、みたいなのに
矛盾しちゃうよな~。


…などなど。
感じていることにそっと注目して、
それを言葉にしていくと、
あれこれ、キリがありません。

「あの人、上手だな」
「私、下手だな」で終わらない力です。

春です。
春は、内からの衝動が外に現れる季節です。
新しく芽吹きたい力を、
力強く応援してくれる季節です。

自分だけ冬になって、
自分のココロを凍らせてないで、
自分の力も、ちゃんと芽吹かせてあげたいです。

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