『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

クレヨンで『自由の哲学』

2018年04月03日 | 昼行燈より愛をこめて
今日はレムニスカートを描いてみました。
いわゆる「無限大」のマークです。

アートの力を借りて、
「自由を考える」or「自由の哲学」の一節を実感してみる
という、試みの一環です。

まずは準備運動。1人で描いてみます。
当然、自分が動いたとおりの軌跡が描かれます。



そして、次に、2人で同時に1枚の紙の上で動きます。

紙が、世界の象徴だとしたら、
自分の描く軌跡は自分の生きている動き、
相手の描く軌跡は、自分の周りの人や外の世界。

二人で描いてみると…
なんか、バランスの悪い、
ぎくしゃくしたものになりました。
うーむ…。



相手に調和した動きをしたいと思って、
逆に、相手の動きを待ちすぎて、
自分の動きが普段どおりにならない。
自分が動きたいところに相手は行ってくれない。

こういうのって、実社会ではストレスだよね。

このギクシャクのまま帰ったら
「人と一緒じゃ、うまくいかないんだ」
って結論になっちゃいそう。

もう一回やろ、もう一回(^^;)。
一回で結論を出さなくてもいいじゃん。

今度は、相手を尊重するだけじゃなくて、自分も尊重する。
相手の動きを見ながら、
自分がリードしたり、相手に寄り添ってみたり。
外から守ってもらったり、懐に飛び込んだり。

とか言いながら、意識的にやってみると、
見違えるように世界が(絵が)整いました。
自分を大事にしつつ、相手も大事にできたよー!
ウレシー(^^)。



じゃあ反対に、「自分なんて…」と委縮したり、
自信がなくて、自分を押し殺して、
相手を大きくすると、どうなる?

手前を小さく、向こうを大きくしてみます。
…なんと、二人の腕がもつれて
描けないではないですか!!!

ええっ?なんでなんで???
ポジションを変えてやってみても、
自分をちゃんと大きくしてないともつれる。
小さくなってないで、自分をちゃんと生かすのだ。

あ、でもさ。
と、話は広がる。

自分がマルい世界を作ろうと思ってても、
相手がカクカクの世界を作ろうと思ってたら、
どうなるんだろう?
絶対調和しないよね?

またまた、やってみました。

ヒドイものができるかと思ったら、
それなりに調和していて、
逆にちょっと嬉しくなりました。



マル役とシカク役を交代してみます。

マルを描いている時は、
「星々の運行」、みたいなイメージで、
弛みなく、静かに滑らかに動き続けています。

シカクを描いている時は、
スタートとゴールがあって、
スタートしたら一目散に目標までダッシュ、
いったん止まって、また、次の目標までダッシュ、
の繰り返し。

これは、人間の力。
狩りをする時の動きだな。

マル族の血(?)が優勢な私も、
シカク族(?)のパワフルな動きを
アートなら、抵抗なく味わえます。
逆に、シカク族の人もマル族のペースを体験できるはず。

「次のゴールが決まってたら、力が出しやすい」
「学校や会社って人の力を出す仕組みでできてるねー」
「でも、どんなゴールかが大事だよね?」
みたいな話もしつつ、ぐるぐる、ぐるぐる。

2人の息がぴったり合ってきて、
クルリンクララン、クルリンクララン、5周、10周、20週…
紙の上で、社交ダンスかフォークダンスしてるみたい。
わ~、いつまでも踊っていたいよー♪

自分の思い通りにするのは気持ちいいけど、
自己満足の浅さにも気づいている。
外のものと一緒に世界を完成させるほうが、
何倍も豊かになれる。いろんなことを感じられる。

自分も生きる、周囲と共に生きる。
もっと相手をわかりたい。
なんとか自分と相手の間に橋を架けたい。
それが、学びたい、知りたいという欲求の基です。
(↑『自由を考える』第2章の最初の方)

っていうような言葉を読み、
その言葉の意味するところを、
これらのレムニスカートをともに描くことで、
一緒に味わいました。

世界中の70億人、自然、宇宙…。
互いに橋をかけながら、
今まさにこの世界を進めているんだもんね。

最後に、私たちがともに
世界を作っていることを祝福したいので、
真ん中から光でぐるぐる包んで、
お楽しみ様でした~。


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