『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

「自分はこの程度」って受け入れる

2018年08月17日 | 昼行燈より愛をこめて
「自分はダメ人間じゃない!アレもできるしコレもできる!!」
と思うことは、落ち込んだ心を救うために必要だけど、
「自分はこの程度だ」って開き直って、
そっくりそのまま受け入れるのは、
心が落ち込まないで済む気がする。

そして、それは、
生産性を上げるとかには貢献しないけど、
シアワセ度を上げることには貢献する。

今、生きているこの時点から始めることができるし、
さらに、
自分の弱点や障がい、偏りを受け入れたり、
自分を受け入れられる故に、
ハンディのある人と一緒に生きて行く事にも直結している。

「自分はこの程度」ってとこから始めたら、
世の中、変わって見えるかも。
そもそも「ダメ」の基準は、生産性だったり、理解力だったりで、
自分の軸で決めた基準じゃないし。

もっと、そもそも、
「ダメである」「ダメじゃない」と2つに分ける時点で、
価値のある人間、価値のない人間って分けちゃってるけど、
そこ自体に疑問もあるわけで。
ダメじゃない人間がいるのは、ダメ認定した人のおかげなわけで。

中学で成績のいい子が高校に行ったら
みんな同じくらい出来て、自信なくした、
なんて話も聞くもんなぁ。

序列作るのもいいけど、
みんなで世界を作ってるんだよね。
だから、みんな「自分はこの程度」って思っておけば、
人から認めてもらうためにズルしたりして、
自分を汚すこともないんじゃない?

「自分」をどこに置くか。
人から見た自分が「自分」なのか、
自分が見ている自分が「自分」なのか、
自分も気づかないもっと大きな「自分」があるのか。

放っておいても、本当に自由になっている時には、
人間は、成長したいように出来てると思う。

という人間の真ん中の事に信頼を持っています。

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