ガザ・パレスチナと共に生きる 白杖記

◆ひかるの呟き◆12/2

スラエルの占領地政府活動調整官はガザに1000代のトラックを配送したという。
イスラエルの人々はこの発表を聞いて、ガザには十分な食料を運んでいるのに人質を解放しない、だから軍隊が取り返しに出ていくと納得するのだろう。パンを求めて圧死した子どもや女性の死は、なかったことになる。自己責任を押し付けて。忘れ去られる
。ガザ北部では、30日に200人が殺された。カマル・アドワン病院長は「こうした光景が日常になっている。誰も責任を問われない。罪のない人々の殺害を誰も止められない」と訴えている。
パレスチナ人が何をしたというのか。そこで生まれ、育ち、生活していることを理由にパレスチナの人々はイスラエルに殺されている。アメリカの軍事支援で殺している。
なぜ10.7が起きたのか。
10.7が始まりではない。1948年から76年のナクバの延長なのだ。
1948年には逃げる場所があった。2024年にはガザの220万人には逃げる場所がない。逃げる場所をふさぎ、ミサイルで砲弾で飢餓で病気で好きなようにガザの人々を殺している。
なぜ、止められないのか。ジェノサイドだとか、民族浄化だとか、起こっていることを解説なんかしてもらわなくても、わかる。そこに生まれ、育ち、生活していることだけで殺されるのだから。閉じ込められて殺されるのだから。
止めなければならないのだ。誰も止めることができないと叫ぶガザの人々が問いかけているのは、知りながら、解説しながら、無力を嘆くことで済ませている私たちに対してなのだ。なんでもいい。できることをやろう。まずは停戦だ。

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