ラジオ体操は通年だと思うんですが・・やっぱり夏の風物詩。
地蔵さまのおひざ元で参加します。
街には昨晩の豪雨、雷雨の跡が残ります。
ほど近く、商店街の名前にもなっているとげぬき地蔵さまのお勤めもちょうど終わったところでした。
しかし、激しい雨でした。
打ち上げ発数が多くてとにかくすごい足立の花火、昨晩の予定だったようですが、この雨により直前中止だったようです。
ラジオ体操は通年だと思うんですが・・やっぱり夏の風物詩。
地蔵さまのおひざ元で参加します。
街には昨晩の豪雨、雷雨の跡が残ります。
ほど近く、商店街の名前にもなっているとげぬき地蔵さまのお勤めもちょうど終わったところでした。
しかし、激しい雨でした。
打ち上げ発数が多くてとにかくすごい足立の花火、昨晩の予定だったようですが、この雨により直前中止だったようです。
花を咲かせる・・リュウゼツランにとって開花は終活のようです。
リュウゼツラン=竜舌蘭、実際に竜を見たことがある人が、その葉っぱを見て”ん、これはまさしく竜の舌!”とでも言ったことでしょう。よってこの名となった、きっと・・
とんでもなく大きく育つもんですね。
食用になって甘いそうです。
テキーラどれほど取れるんでしょうか?
こんな植物が・・
ここまでの花を・・
大きく育つ・・ 最後の一花と思えば・・
梅雨明けた!
こういう感覚、動植物が一番敏感な感じです。
人間も動物の一つですが、情報過多で鈍くなった気がします。
蝉が大歓迎です。
晴れ空とツリー。
梅雨明け記念?
八丈の方で地震がありました。
スマホのアプリがポーン、警報と同時に揺れが拡がる画像とカウントダウン。
0(ゼロ)になるとほんと揺れ始めました。
アプリってすごいのな・・
朝も焼けの観望期入りですね。
さあ、今日も暑くなるぞ~
奈良東大寺は源平争乱の兵火にかかりました。
そのため疎開分教所であり、復興地方組織でもあっただろう「別所」を全国7か所に設置したようです。
その一つが播磨浄土寺で、近隣の行基開基の廃れた寺院広渡寺を現在地に移転して開基したとあります。
その責任者は重源、教科書に出てくるような高僧が出てきます。
浄土寺浄土堂の扁額は小野道風(花札の11月柳の蛙)の書と言われます。
またも高名な貴人です。さすが国宝。
往時、子院である塔頭(たっちゅう)も多く数えたようですが、現在2院です。
そのひとつ歓喜院の境内に足を踏み入れます。
歓喜院は名のとおり歓喜天を祀る・・そう思ったんですが、ご本尊は大日如来だそうです。
もう少しゆっくり拝観すればよかったかな~と・・
開敷と未敷。
因みに歓喜天は数多の障碍を除く除障碍神(じょしょうげしん)。
供養には浴油法など特殊な方式を用いると言います(つまり大変なんです)。
熱心に信心する者には除障碍神であった歓喜天ですが、怠る者には祟りなす障碍神であると言います。
要するにいい加減に祀るなということのようですね。
なぜ象頭人身? 種の壁とかあり得ないことでしょうけど、神の世界ではどうとことのない当たり前事象でしょう、きっと・・
ただし、歓喜天に限らず、あらゆる尊格というのは”ええかげん”というのを赦さないだろうなと・・
仏罰はもちろんのこと、雨にたたられる前に帰りましょう。
ひまわりのほど近く、国宝寺院が所在していました。
建立は建久五年(1194年)と、源平の争乱・兵火が漸くにして収まり、鎌倉政権が形を整える頃のようです。
駐車スペースはゆったり目です。
これ珍しくないですかね?
囲障壁に”R”がかかっています。
堂宇・・特徴的ですね。
鎌倉期以降に見られるような武家的な雄々しいつくりではなく、優美な姿をしています。
時代を感じる直線的な宝形です。
蒲の穗が開く前です。
蒲・・この穗の形に似ていると蒲焼きとなったとか、もともとは開かずぶつ切りを縦に刺して焼いていたようですね。
急にうなぎが食べたいかも・・
名残のあじさい。
本堂となる薬師堂です。
開山堂も隣り合っています。
これまた珍しい・・翼殿というんですかね? 拝殿を左右に配しています。
珍しいと言いながら丹波~播磨ではよく見かける気がします。
北面の塔頭ですが、こちらは少し時代が新しくなるんですかね?
伽藍の配置図や案内など・・
塔頭寺院の歓喜院を拝観して帰りましょう。