学生時代を北海道で過した私は、友人たちとなけなしのお金を持って、北海道を一周したことがあった。根室に辿りついた私たちは、テントを張るには寒すぎて、納沙布岬で車の中で一夜を過した。朝になって目を覚ますと6万円で買った薄黄色のカローラが、真っ黒くなっていた。「呑んで騒いで、丘に上ればあ~ 遥か国後の白夜は明ける」と唄われた国後の爺々岳(ちゃちゃだけ)が噴火したのである。
知床旅情では「遥か国後の…」と唄われているが、根室から知床にかけて進んでいれば、海を隔てて手の届きそうなところに国後は存在している。そんなところをロシアの大統領が訪問したのである。今ではそんなに話しに上らないが、私が北海道にいた時分には、漁船がソ連(現ロシア)にだ捕されたニュースが飛び交っていた。
北方四島も尖閣諸島も我々の住む岐阜県という日本の中心部では、関心は薄い。司馬遷の史記には、単于(匈奴での君主)の後継とされた冒頓(ぼくとつ)が、父親の新たな妻に男児が誕生したのを機に、後継から外され隣国の東胡に人質にされた話がある。冒頓は東胡から逃げ出して、父親と新たに後継とされた男児とその母親を殺害して、匈奴の単于になるのであった。
東胡はその後、冒頓の持つ名馬や冒頓の妻の一人を差し出すように迫り、冒頓は部下の反対を押し切って東胡の要求に屈する。次に東胡の要求してきたものは、匈奴と東胡の間に位置する荒廃した土地であったという。今度は部下たちは、領有するに値しない土地として、こぞって東胡の要求に応えるように進言するが、冒頓は進言した部下を斬り、東胡を滅ぼしてしまう。冒頓にとっての国家の根幹は、土地にあったのであろう。
この話は中国の史家「司馬遷」よって書かれたものである。今まで私は史記にこんな話を載せているのを不思議に思っていたが、その後の中国の政策をみるにつけ、中国の国家形成の根幹を成すものになったであろう。日本は海に囲まれた国である。竹島を含めて、今、その国土の形成を真剣に考えるときではなかろうか。
人々は日本政府の弱腰外交を批判するが、それは今に始まったことではなかろう。日本にとって、農業も漁業も大切な産業である。そして、農業従事者、漁業従事者は日本の伝統文化の大切な担い手である。日本の国家形成にとって、国土は大切な…大切な根幹を成すものであろう。
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