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もんく [とある南端港街の住人になった人]

猫ってヤツは! (追記)

生活の中に一度猫と言うものが入ると、どうしても猫中心に生活が回るようになってしまう。チョイと一杯のつもりで飲んで~いつの間にやらハシゴ酒、みたいな、軒を貸してたらいつの間にか母屋を取られる、みたいな。もちろん今、床の間に鎮座していると言うような状態じゃないけれど、それだけ猫に気を使って生活しなければいけない状態になっているのは事実。

奥さんなんて、専業主婦(英語とかマレー語話さないのでビザもらって仕事ができないし)で家にいるのだけど、朝に自分の出勤とともに猫を散歩に連れて行くことになっている。出る時間になると散歩コースの方向を見て座っている。何も言わないまでも散歩を要求するのがわかってしまうので散歩は必須なのだ。その後朝食の食器を洗って洗濯などをしていると猫たちは寄ってきてお腹がすいただのブラシをかけろだのと要求するのでそれに応えなくてはならないそうだ。

そのうちに洗濯物も干し終わって、日も高くなってきた頃、奥さんは暇になってそろそろ猫をちゃんとかまってやっても良いなと思うらしい。が、その頃には猫たちは穴の開いたダンボールの中とか外キッチン(マレーシアには内キッチンと外キッチンがある)の隅とかダンボールを半切りにしてパソコン袋を布団代わりにして置いているところとかで寝始めてしまう。そうなるともう人間に用はないので放っておいてくれ状態。何たる身勝手、と言いたくなるが、猫は夜行性(よく間違える人がいるので念のために言っておくけど、夜光じゃないから光りはしないよ)なのだ。

猫たちはだいたいそんなパターンでやっているらしいが、たまにパターンを外す事がある。理由はきっと何かあるのだろうが、よくわからない。今夜もそうだ。

なぜかツブアンがいつもご飯を食べる時刻に帰って来ない。こんな夜は心配でオチオチ寝てもいられない。確か20時位に隣との境の低い膝丈の塀の上にいて、ご飯を食べに入って来なかった。珍しくお腹空いてないんだなと思っていたら、もう23時なのに帰って来ない。一匹で散歩に出たかと思い、いつもの散歩コースにキナコを連れて出てみたがいない。何かあったのか?


猫っやつは、そこにいるだけで実利になるような事は全く無い。よく、猫が家にいると癒されると言う人もいるが、それは間違いだ。癒されているのは猫の方で、人間は猫に奉仕し、癒す立場なのだから。猫はいるだけで徹底的に何もしない。用がある時だけ近付いてきて無ければフイっと居なくなったりする。そしていつの間にか影から湧いて出たかのように足元に座っていたりする。

まったく、猫ってヤツは!、なのである。それにしても、ツブアン、朝までに帰って来るだろうか?


(次の日 11月13日朝)
朝になって、それも午前4時頃、外で物音がする。
ツブアンだった。昨夜からご飯を食べていないのでクロームメッキの皿(ママショップなんかでカレーを入れてくれるようなの)にカラカラと猫フードを入れてやるとガツガツ食べた。食べ終わるといつものように外に出て行った。またしばらくして帰ってきてブラシをかけろと大騒ぎ。どうやら元に戻ったらしい。

こんな事で安心してしまうのは相当猫に操られていると言う事なのだ。と、わかっちゃいるけど止められない、スイスイスーダララッタ、スラスラスイスイスイ♪
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