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もんく [とある南端港街の住人になった人]

人には一瞬先の未来を予測することさえできない

明日、買った家を見に行ってみる事にした。未だ敷地境界線確定のための書類が揃わず引き渡しができていない。なので不動産屋さんにも売主にも言わずに現状がどうなっているかを見て来る。隣地の持ち主がドイツにいるとの事で書類だけの問題なのだが、一応、現状がどうなっているのかを確認したい。

 

この写真は8年前の11月16日に写したものだ。Facebookが思い出として出してきた。今時は思い出すという個人的なはずの作業も機械任せになっている。人間が特に思い出さなくても良いと感じているか忘れてしまった事を機械が勝手に判断して思い出させるとは面白い世の中になったものだ。それが良いか悪いかはわからないが。

それにしても、人が未来を予測して思い描く能力というのはかなり貧弱だ。というのも、この写真の時点で、自分が今こうしてここでこんな事をしているとは全く予想できていなかった。こうして日本にいて冬を迎え、そしてこの写真の猫のポコがこの次の年に子猫を産んでその2匹の子たちがここにいる。それどころか、写真を撮った次の年にはあの家を引き払って別の家に住んでいた。自分がこの一瞬先のことを何も思い描く事ができていなかったとわかる。(まあ、そんな能力があれば株でも買って今頃は大金持ちになっていたはずだが。)

だからこそ人はできるだけ確実で予想できる道を歩こうとするのだろう。一所懸命勉強すると成績が良くなるはずだし、成績が良ければランクの高い学校に行けるはずだし、ランクの高い学校へ行けば収入の多い仕事にありつけるはず。収入が多ければ大きな家が買える。そんな事は誰にでもわかる。

でも、それが楽しいかどうかはわからないし、人生という長いスパンで良い事かどうかは全くわからないにしても。

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