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もんく [とある南端港街の住人になった人]

自己責任の適用と他人への感謝

母も言うのだが、よく人は「その時はその時さ」のように言う。それなら何があっても平然としていられるのだろうと思いもするが、実際はどこかがちょっと痛い程度の事で人は大騒ぎする。大した事がなくても「自分は癌ではないか?」のように考えて心配したりする。そしていよいよという時には誰彼なく助けを呼んでしまったりもする。

けれども、そんな状態になる前には「自分は自分」であり、他人からの助言を軽視する。軽視するだけならまだしも、他人が自分の為にどれだけ動いてくれているかに無関心でいる。

とは言え、それを言ってもほとんどの場合無駄で、自分は自分でその時はその時の考えは変える事が無い。仕方ないのだ。なぜならその相手は保護や養育の義務のある子供ではなくて、例え親であったにせよ大人であり独立した一人の人間なのだから。一応助言や助力はするにせよ、それを無にするのであれば、言い方は悪いが「自己責任」という流行語を適用させてもらうしかない。もしどこかで転んで血を流しても、痛くて死にそうであっても、もしかすると誰も助けられないかもしれないし、放っておくしかない。

 

冷たく聞こえるかもしれないが、それは仕方ない。医者に筋力を落とさないように運動した方が良いと言われても、自分からそれをしないでテレビの前に座り続けていたとしたら自分以外に責任を負う者はいない。親子の関係であっても痛みは本人のものだし、それを避ける意思は本人しか持っていない。そして人生の時間はその人間の上にしかないのだ。

そう考えると、少なくとも他者への感謝だけは十分にしておくべきだろう。何の問題無い平時から。

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