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もんく [とある南端港街の住人になった人]

これからどこに住みたい?

車を運転していた時、隣のキャサリンさんが言った。「今、マレーシアでこうしてやってる事を踏まえて、もし仕事の事を考えなくて良いとしたら、まだマレーシアに残る?それとも他へ行く?」

難しい問いだけれど、答えはマレーシアにいても良いし、他でも良いと思う。無難っぽい答え。

でも、今住んでいる街残るってのは無いだろう。もうちょっと良い場所に行く。良い場所ってのはどう言うところかと言うと、「匂い」があるところ。匂いと言うのは、文化の匂いとか海とか山でも良い。海、山は物理的な匂いだけれども、文化ってのはそれと違う。

だからって京都とかそう言うのは意味しない。イメージする京都とか鎌倉とかだと、自分が観光で行ってしか知らないが、あれは観光のためのイメージで住むためのじゃない。つまりディズニーランドみたいな意味で京都って言うテーマパークを言ってしまっている。もちろん街にはそうでないある生活スタイルがあるかと思うので、テーマパークって言うのは自分が知らないからそう見てしまうって意味で、決して京都のせいじゃない。

例えばどこかに漁村があったとして、そこに住んでいる人達がそこで当たり前にやっている生活の仕方とかそう言うのを指して匂いと言っている。その意味においては京都と漁村はきっと一緒だと思う。

前にいたバリ、あそこも観光ガイドでは独特の文化がある場所と紹介されている。住めば独特の文化とか生活様式は実際にあるけれど、観光客が見ている面は実は全然そんなのではなくてテーマパーク的な部分だ。そんな外向きの部分が生活の内部に混じり込んできてしまって生活するって事になるとあまり快適とも言えない。

だから別に華やかなそうしたものなんかでない匂いがする場所に入って生きていけばそれで良いと思っている。そしたら、今住んでいるここなんて、真っ先に却下じゃないかな。山切り開いて猿が右往左往してるところに目が血走っている似非不動産屋がソロゾロって、コリャ到底住むところじゃないってわけ。


それでね、話はここから次のステップに行くわけだけど、キャサリンさんのこの質問はとても示唆に富む問いだなと思ったわけ。

多くの人はまずお金ないといけないから仕事を探してとする。自分もそうで、さっき書いたように仕事場の近くって事でここに住んでいる。本来的に言えば本末転倒で、自分がどう生活したい、どんな場所で生きていきたいってのが二の次になっている。

時間もそうで、寝ていたい時に起きていて、庭の花が咲いている時間には仕事で外にいたりする。優先すべきはどっちなのかと言う問いへの答えは難しい。背に腹はかえられぬにだいたいなってしまって、本当に好きな事はずっと後回しになる。定年になるまで。でも定年になる頃には忘れてしまう。

うーん、精神の問題としてはとても不健康だなぁ。元に戻す方法って?....
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