もんく [マレーシアで働いて13年→2022猫を連れて日本]

映画「SAYURI Memoirs of a Geisha」 -日本人として見る

「芸者」って何か?
今ごろそれが言える人間も少ないのだろうと思う。
もちろん私もわからない者の中の一人だ。


............

そろそろ梅の咲く季節。
梅を見に梅園に行くのも良いのだが、家で盆栽の梅を観賞するのも良い。

「盆栽」を作るには梅が苗木の時期に小さな鉢に植えてしまう。根は成長してもその鉢からはみ出す事はできないので大きくはなれない。それでも梅は枝を伸ばして大きくなろうとする。しかし枝は見る者の視点の中で重ならないように、そしてバランスの良いようにと剪定される。決して自然ではないがあたかも自然に美しく枝を伸ばしたかのように整えられる。

梅は自然のものでありながら自然を許されずに最も美しい花を咲かせる。時には咲くその時さへもコントロールされる。人の理想の中の美を実現して生きるのが盆栽なのだ。



日本人の生き方は盆栽と同じようなものかもしれない。
与えられた枠の中で精一杯に咲く花。
運命を受け入れる事で生きる糧を得る草木だろうか。


............

日本人なので映画のテーマとは違う見方をしています。
この映画は欧米人向けに作られていますから。
しかし、日本人も見る価値はあるものだと思います。

(結果:日本人の生き方を外から見てみたい)


追加
この映画を作るにあたって宮崎アニメの色合いとか転回のテンポなどを参考にしたのではないかと思いました。主人公が子供のころにタッタッタと走って行くにつれて場面も動いていくのが宮崎アニメ実写版と思いませんか。

追加
映画には、とりわけアメリカ映画には何らかの問題提起とそれに対する回答(メッセージ)が不可欠の要素である。しかし本作品の主人公、またはその生き方がアメリカ人の共感を得るものではない事から、そうしたメッセージ性を読み取ろうとするには無理がある。平たく言えばこの主人公の生き方がアメリカ人の参考になるものでは無いと言う事だ。むしろアメリカ人にとっての異文化体験「旅行」を提供する作品と考えるべきではないだろうか。

だからと言って、それが真実の日本を表現し理解するものとなっているかどうかは別である。そこに現れる事実関係等が日本人から見て少し変なものであっても仕方ない。日本人には感じる事のできない日本を表現した作品なのだから。もしこの作品の背景や設定に日本人として違和感を感じ、それがいけない言うのなら、同じ日本人が作った宮崎アニメについてはどう思われるだろうか。アニメなら許されて実写はダメとは言えないだろう。

そんな議論よりもこの作品で異文化のエッセンスを体験できるメリットの方が大きいのではないあろうか。(特に外国人にとって)故にこう言ったアプローチの映画があっても良いと思う。

コメント一覧

summergirl
私も観ました
http://www.amanatsudori.com/blog
sweet summer avenue.(甘夏通り)管理人のsummergirlです。以前にコメントを頂いていたのですが(宗教に関する意見、ありがとうございました)、サイト移転に伴いご返信が遅れて申し訳ありませんでした。



私もSAYURI、観ました。日本文化がどのようにアメリカに見られているか、ということ感じるのに面白い映画でしたし、日本の文化がハリウッドで注目されること自体、すごく嬉しいと思いました。しかも映像がきれいだったし・・・。宮崎アニメとの関連性も面白い視点ですね。気づきませんでしたが、そういう見方もありますね!
orang-u
バックラッシュとは
>男にとって都合の良い文化を描いている=バックラッシュ

とはどう言う意味ですか。

現在の女性が強くなった社会への反発的な主張が製作意図にあると言う意味ですか。「もっと男に都合の良い社会に戻るべき」と、「既存の家父長制文化の追認」をしているのだと。



私はそうは見ません。

前提としてアメリカ人には常に根源志向があると思われます。自分達はどこから来た者なのか?と言う問いです。そのスタイルが外国に対しても適用され、盛んに海外の文化を研究がなされます。太平洋戦争戦争の時に日本の文化を深く研究していたり、経済発展した原因を文化の面から解釈してみようと言う試みもされています。



この作品に関してもそんな探究心を満足させるものとして作られた可能性が高いと思われます。



日本と言えば昔は芸者、富士山でしたが、現在でも彼らにとっては大きな謎なのでしょう。日本らしいものとして今でも相撲や歌舞伎が紹介されるのと同時にハイテク製品が多く輸出されるのを見ていてはそれも肯けます。アメリカからは映画やニュースその他多くの情報が日本に入ってくるのと対照的に、日本のそれはリアルタイムに伝わっていないと言うか、伝える努力をして来なかった事によってそうなっているのかも知れません。もし生の日本の情報がもっと多く伝わっていればSAYURIは作られなかったのではないかとも思います。



もし「既存の家父長制文化の追認」と言うような意図があるのであれば、日本文化を知らないアメリカ人が登場した時に多分、打ちひしがれ落胆し「自分の信じてきたものは何だったのだ」などと言う場面が出てきてもおかしくないとも思えます。ラスト・サムライの主人公ような役割のアメリカ人が。しかしこのSAYURIにはそんな人は登場しません。比較はされず、あくまでも外国の文化の中の事になっています。良いとも悪いとも明言はされていません。SAYURIの最後の言葉が運命を受け入れて生きていくと言う気持ちを述べたものになっているのはそう言う事ではないでしょうか。
マダムクニコ
メッセージ
http://blog.goo.ne.jp/mt1936_001
>アメリカ人にとっての異文化体験「旅行」を提供する作品



そういう側面もありますが、男にとって都合の良い文化を描いている=バックラッシュ、とも思われます。
ひし
TB
TBどうもです。



『SAYURI』残念でもあり、うらやましくもありでした。
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