最後に「NIKITA」を見たことで、これをリメイクしたくなる気持ちが少しはわかったような気がします。
まず、「POINT OF NO RETURN」(アサシン)ですが、主人公の逃れられない生い立ち、特に母に対するものを際立たせたかったのだと思われます。「NIKITA」では裁判が終了して注射される場面にでママを恋しがるのですが、「アサシン」ではママの歌っていた歌がずっと最後まで象徴的に使われます。初期の複線をぼかさないやり方がアメリカ的だと思います。
しかしその代償に幼児体験のトラウマに対する自立のような描き方になっていて、「NIKITA」の人間としての完成と言うような感じは抜けている気がします。「NIKITA」では男と分かれる時に「あなたを巻き込みたくないの」と思いやる心が印象的です。これは主人公が大人に成長した証しだと思われます。
しかし「アサシン」ではもう戻らないと言う決心の表情で立ち去るところで終わります。こちらは組織及び、母に対するトラウマのようなものからの開放を意味するのではないでしょうか。
そう言った結末を採った「アサシン」で少し気になってしまうのは、男との別れに心理的にどう決着をつけたのかが分かり難い事です。この部分はどうにかして欲しかったと思います。
ヨーロッパとアメリカの匂いの違いを感じる結末です。
また、「アサシン」はほとんど同じストーリーにも関わらず細部が洗練されていて見やすくなっています。もちろん後出しジャンケンなのだから当たり前ですけれど。
香港映画「Black Cat 黒猫」(黒い女豹)では最後の別れの部分が大きく違っています。主人公が男を殺して組織に戻ります。
涙で別れと自由をものにしたであろうフランス、わりとすっきり終わったアメリカに対して、マシーンとしての「運命を受け入れる」事を選んだ香港。それはそれでアジア的な匂いを醸し出していて好ましいと感じられます。
アジアでは女は自立したり独立したりはしません。ひたすら運命を受け入れ、直向きに生きるのがアジアの女像です。そこに一片の物悲しさを感じるのではないでしょうか。
そう言った意味でこの「黒猫」も、作りは粗く見えるのですが、存在価値がある映画であると思います。
皆さんのご意見はいかがですか?
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