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もんく [とある南端港街の住人になった人]

どうにもならない人生を

家を出てから(死んだ)父親を思い出すこともほとんど無い。でも、ごくたまに思い出す。
父はミシェル・オバマの父親とは正反対の人だった。毎日なぜかイライラして怒っていて、時代もあったかもしれないが、それが家での父親の権威を示す唯一の方法と考えていたのか、それとも単にそういう性格だったのか? それが日常であったから自分にはわからなかった。今になってみると、父は自分に自信が無かった人なのだとわかる。これ以上詳しくは書かないがともかくミシェル・オバマの父親とは正反対の人だ。

それで、自分は父親が死ぬ前の様子をほとんど何も知らないのでどうとも言えないが、人生に満足して死んでいったのだろうか? 死ぬ直前より何年か前に見た様子からは、そうでもなかったような感じがする。何か不足するものがあって、満たされていなかった印象がある。弱っていて暴力的なところは失せていたにしろ子供の頃のあの印象とそう違わなかったからだ。

不足を何かで補うことはできなかったのか?

持っている、持っていないは外のことで、満足するかしないかは内のこと。外のことは何ともならないが、内のことは何とでもなる。そうはきっと考えられなかっただろう。どうにもならない人生、どうにもならない豊かさ。そんなものを無駄に恨んで死んでいっただろうか?
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